歌姫は...

赤青黄

第1話 歌姫

 月が円を描く。夜の時間はとても寂しい。街灯の光は虫を妖艶に誘い殺し、また新たな犠牲者を誘う。

 そんな神秘的で孤独的な空気感は慣れるものではない。何故ならば、正気に戻った時に後悔してしまうから自分が放った痛い言葉を思い出しながら。

 ....手遅れな様な気がするが一旦、目を逸らすことにする

 すこし夜の色気に酔っていると自動ドアが音楽を鳴らし開く。夜には似つかわしくない音楽と共に塩の香りと海のさざ波と共にお客様が来店してきた。

 そうここはご存じの通りに24時間営業のコンビニであり、そこで働く俺は二十路のバイトお兄さんである。

 いきなりの自己紹介が終わったところで俺は来店してきたお客様に好奇心の目を向ける。

 こんな夜更けに来店してきたお客様はみんな一律に異様な雰囲気を持っているような気がする。そう、彼女もこれまでのお客様と同じように何かおどろおどろしい雰囲気を持っていると思った。しかし彼女の持つ雰囲気は今までのお客様と違い何か違っていていた。そんな彼女に俺は目を奪われていた。

 一見するとただの二十代後半の女性に見えるがだが彼女の雰囲気は年齢以上の色気をもっていた。長く伸ばされた絹の様な黒髪はあらゆる光を取り込むように俺の視線を釘付けにする。とても綺麗だ。

 しかしながらこの感覚を何処かで味わったことがある。俺は彼女を知っているような気がした。

 彼女は一通り棚に置かれた商品を確認した後にお気に召すものが無かったのか何も持たずに俺のもとに向ってきた。レジ一つ挟んだ先には魅力的な彼女が居た。

 ただそこにいるだけで鼓動は大きくなる。血が巡り全身が熱を帯びる。なぜこんなにも惹かれているのか分からない。いや、分かっているのかもしれない。この現象を一言で例えるとすればたぶん俺は彼女に一目ぼれしたのだろう。

 彼女はだるそうに「21番」と声を発した。関われば関わるほどに心臓は大きく動き体温が上がる。

 「21番」

 彼女の顔は彫刻のように洗練されて美しいこんなにも心惹かれることがあっただろうか、いいやなかっ「21番、聞いてますか」

 あ、しまった。「すみません。21番ですね」

 彼女に見とれてしまい本来の役割を忘れてしまっていた。俺はすぐさま後ろに置かれているタバコの群衆から依頼された番号のタバコを取し会計を始めた。

 一通り終わった後に彼女はため息を吐きながらコンビニから出ていった。

 彼女はもういないはずなのに何故か今でもここにいるような感覚に囚われる。

 俺の思考は気持ち悪いと理解するが、しかしこの気持ちを高尚なものと感じる俺もいる。そんな矛盾した気持ちを抱えていると奥から聞きなれた女性の声がした。

 「先輩そろそろ、交代の時間ですよ」

 そんな掛け声とともに奥からパンクな女性が現れた。

 「あ、もうそんな時間か」俺は時計を確認するともう日付が変わっていることが分かった。

 そしてバイトの時間は終わりを迎え、俺は今、夜の浜辺を裸足で歩いている。

 静かで穏やかな浜辺は心を癒してくれる。上を見上げると夜空は星のドレスを着ていた。

 砂の優しく包み込むような感触に母の温もりを感じ取りながら俺の好きな歌手の歌を歌う。

 もしも今この歌を本人が聞いたらビンタされるような歌声だが、しかしこれが俺にとっては限界だった。

 「〜〜〜〜〜〜〜ん」

 さざ波は俺の拙い歌声を優しく包み込む。それだけで俺はこの世界で一番の歌手になった気分を味わう。だがそんな気分を誰かの歌声によって奪い取られる。

 どこからともなく聞こえてきた透き通る歌声はどうやら浜辺をたどったその先に持ち主がいるらしい。まるでセイレーンの歌声のような魅力の魔法が籠った歌声に俺は誘われた。

 美しく座りまるで芸術品の様ないで立ちに本物のセイレーンのようだった。

 月明かりはセイレーンをスポットライトのように照らす。

 月明かりによって照らされた黒髪の女性。このまま近づいたら危険だと分かっていても俺は好奇心と共に彼女に近づいた。

 そんな俺に気付いたらしく彼女は俺の方に振り向いた。黒髪は月明かりに照らされ透き通った肌は青白く映る。彼女は見たことがある。そう俺がさっきまで歌っていた歌の歌手である木崎雫でそしてコンビニでタバコを買ったお客様であった。

 「あなたは、確かボーとしていたコンビニ店員さんじゃない」

 彼女は俺を視認した後にコンビニで買ったタバコに火を点ける。煙はゆらゆらと空に溶けてゆく。

 彼女が俺を覚えていたことに感動を覚えると同時に俺の失態を覚えていたことに少しの恥ずかしさを覚える。

 「あ、あのその節はすみませんでした」

 俺は慌ててお辞儀すると彼女は小さく笑いそして

 「いいよ、謝らなくて疲れてたんでしょ」

 と予想していた返答とは違い優しい言葉が帰ってきた。

 俺は少し涙が溢れそうになるが、男は泣いてはいけないと思い出し無理やり涙を引っ込める。しかしますます彼女に好きになってしまう。ファンとは恋愛感情を盛ってはいけないのに。

 ドキドキとドラムのように鳴る恋心を抑えるために自分自身に向かって鈍い音が出るビンタを食らわせた。

 そんな行動に彼女は心底驚いた顔を作っていた。

 「いきなりどうしたの」

 優しい彼女が心配するのも当たり前だと彼女の声によって気付かされる。

 俺は慌てて「すみませんでした。」と謝る。

 「え、何で謝るの?」

 そうだちゃんと理由の説明もしなければいかなかった。

 「説明が遅れてしまい申し訳ございませんでした。先程の行動は雫さんに惚れないようにするために自分に活を入れる行動で決して心配されるようなことではありません。」

 ぽか~んと少しの間が生まれた後に雫さんは笑った。

 「惚れないためって、っぷ。おかしい。あははは。君面白いね」

 何故笑ったのかわからないが雫さんを笑顔にできたことは誇らしかった。

 一通り笑い、涙の粒を拭う。そして雫さんは口を開く

 「そういえば、さっき私の曲を歌っていたよね」

 まさか俺の拙い歌声を聞かれていたとは、恥ずかしくて顔が排熱が追いつかないコンピューターのように熱くなる。

 「申し訳ございません。あんな拙く歌ってしまい」

 「いいよ、いいよ。全然いいよ。君の歌声や音程の取り方はお世辞を言うのは逆に失礼になるくらいだけど私は好きだよ。」

 「....すみません」

 「だから何で謝るの?謝るのはこれから禁止ね。それとそんなに、かしこまった敬語も禁止。これからはタメ口でいいから」

 「し、しかし」

 「敬語は」

 「禁止です、じゃなくて禁止ですよね。」

 「う〜ん。ぎりぎりセ..いや、アウト。う〜ん。まあ、これから慣れていけばいいよ。」

 これから...?これは一夜だけの夢じゃないのか

 「じゃあ、私はこれで、あ、そうだ君の名前を聞いてなかったね。君の名前はなんて言うの?」

 「わ、わた、いや、俺の名前は」

 ピピピピ。名前を名乗ろうとした瞬間、自然の音の中に不気味な機械音がなる。

 雫さんはポケットから、スマホを取り出し俺に申し訳無さそうな顔を作りながら「ごめん。もう行かなきゃ、名前は明日教えてね。」と慌ただしくタクシーを拾いにいった。

 明日。これは夢なのか、自分にビンタしてみる。「痛い」夢のような時間だったがこれは夢ではなかった。

 俺はしばらく呆然と立ち尽くしながら潮の香りとさざ波の音に感覚を一体化した。

 


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

歌姫は... 赤青黄 @kakikuke098

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ