第9話 迷宮(9)

 しばらくは何事も無かった。だが、洞穴の奥……すなわち川の上流から鬼気を含んだ風がゆっくりと吹いてくることが不気味だった。


 ウズメは半眼を開け、アヤに手を引かれて前へと進む。その横に並んでサクヤも歩いた。

 皆、足下の河原の石に、足を取られぬよう気をつけながら足を進めていく。


 すると、突然アヤがびくりと体を震わせた。手を握ったウズメから緊張が伝わってきたのだ。

「飛び上がれっ!」

 ウズメが叫び、アヤを抱えて跳んだ。

 おそらく洞穴の奥へ行ったウズメの黄金の鷹が何かを感じ取ったのだ。サクヤも躊躇すること無く大きく跳躍した。


 ビュオッ!!

 空気を切り裂き、それまで三人がいたところに、何かが飛んできた。恐ろしい勢いで飛んできたそれらは、地面の石を砕き、散っていく。

「石かっ!?」

 サクヤが地面に着地しながら上流を見ると、暗い中で何か人ならぬものが大勢、うごめいているのが見えた。


 滑るように黄金の鷹が戻ってきた。

 一行の上空を一周旋回して、ウズメの肩にとまる。

 すると、鷹を中心にして、光の網が広がった。光の網は球状に皆を包み込み、ゆっくりと右に回転した。


 間髪を入れず、また無数の石が飛んできたが、今度はウズメの張り巡らせた光の網に絡め取られるように止まり、勢いをなくして下に落ちた。


 程なくして、そいつらはやってきた。

 足が短く、体中が毛だらけの、人と猿の中間のようなもの。肌は緑色で、手には棍棒を持っており、口からは、涎を垂らしている。よく見ると頭には、小さな角があり、口元からは牙が覗いている。


「あれは……鬼か!?」

 ウズメが言った。

「鬼って?」

 アヤが震えながら訊く。

「鬼界に住むという穢れた者たち。おそらくオモヒカネを導いている鬼界の者が連れてきたのだろう」


「どうします?」

 サクヤが訊くと、

「数が多すぎるな。生身で戦っては勝ち目は無い」

 ウズメが汗を滴らせながら言った。


「私の術で操ってみます。この結界しばらくは保ちますか?」

「ああ。何があっても壊れぬよう保たせるよ」

 ウズメの言葉にサクヤは頷いて竹笛を口に当てた。


「グるるるッ!」

 鬼の鳴き声が響いた。そして、一斉に走り出すとウズメが張り巡らせた光の結界に棍棒や拳を打ち付けた。

 鬼の数は見る見る増え、辺り一帯に腐った卵のような悪臭が充満してくる。鬼たちは目を血走らせながら棍棒を打ち付け、石を投げた。

 その見た目のおぞましさと漂ってくる悪臭に、サクヤは胃の中身が逆流しそうだった。


「大丈夫か?」

「はい!」

 サクヤはともすれば萎えそうになる気持ちを奮い立たせてウズメに頷くと、体内の神気を巡らせた。下腹の丹田で大きく育てた神気の玉を体内を巡らせて笛の音へと変換する。


 ふぃいいい……

 サクヤの笛の音が、暗い洞穴の中に鳴り響いた。

 ひゅぅうう……

 ふぃいいい……


 笛の音が流れていくのに従って、鬼たちは動きを止めていった。

 さらに、笛の音が大きくなっていく。

「ぎ、ギ、ガッ……」

 鬼が声を上げ、また棍棒を結界に打ち付けた。サクヤの術に抗っているのは明白だったが、その打突の勢いは弱いものになっている。


 すると、鬼は手に持った棍棒を地面に落とし、近くの鬼と二人組になって互いの首に手を回しはじめた。

 サクヤが汗を滴らせ、鬼たちを睨みつけて笛を鳴らす。

 鬼の前腕に太い血管が浮かんだ。お互いに、首を絞め合っていた。


「ぐ、ムムムッ……」

 鬼たちが苦悶の声を漏らす。そして、バタバタと倒れ始めた。

 互いに相手を締め落としたのだ。

 だが、鬼たちは倒れたのに、お互いの首から手を離すことは無かった。


 しばらくすると、倒れた鬼たちから黒い塵が煙のように立ち上った。そして、みるみるうちに消えていく。

「さすが。お姉ちゃん!!」

 アヤが笑顔で手を叩いた。


 力を使い果たしたサクヤはその場に膝をついて、大きく喘いだ。

 同時に、ウズメの黄金の鷹から出ていた光の網が消えた。

 ウズメもその力の多くを使ったのだろう。ぜいぜいと息を荒げている。


 その時だ。

 唐突に、ヒュンッという甲高い音が聞こえ、何かがサクヤの笛をその手から弾き飛ばした。地面に落ちたそれは弓矢だった。

 殺気も何も感じないその一撃は、まさに虚を突く一撃だった。


「危ないっ!!」

 ウズメは叫び、躊躇すること無くサクヤの前に立ちはだかった。


 ヒュンッ、ヒュンッ、ヒュンッ!!

 立て続けに三回、弓矢の飛んでくる音がした。

「ウズメ様っ!!」

 サクヤは突然のことに驚き、叫び声を上げた。

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