第10話 迷宮(10)
「ウズメ様っ!!」
サクヤは急いでウズメの前方に回り込もうとして、信じられないものを見た。
そこにいたのは、四つん這いで唸り声を上げるアヤだったのだ。そして、あろうことか、三本の矢はアヤの口にあった。
サクヤは動転しつつ、ウズメに矢が刺さっていないことを確認すると、アヤの口元をもう一度見た。
状況から見て、高速で飛来した矢をアヤがその口で噛み取ったことは間違いなさそうだった。
「アヤ!?」
「にゃぁぁ……」
アヤが鳴いた。その目は青く光り、矢を咥えた口の端からは細い牙が覗いていた。
「ど、どうしたの?」
「にゃああうううああっ!!」
アヤが洞穴の天井に向かって叫ぶように鳴く。すると、ざわざわと音を立て、体中を真っ黒な毛が覆っていった。
そして、尻からは一本の太い尾が美しい弧を描きながら伸びた。
洞穴の天井に向かって鳴き上げる姿は、まるで大きな猫のようだ。
「ウズメ様。こんなの知りません!! アヤ、大丈夫!? 痛くない?」
「お姉ちゃん。何だか力が湧いてくるの……」
アヤはそう言うと、また大きく鳴き上げ、四つん這いのまま力を溜めるように背中を丸めた。
――暗い洞穴の空間に、
あまりの移動の速度に、そう見えたに違いなかった。
突然のことに呆然としていると、
「サクヤよ。大変珍しいことではあるが、我は獣の姿になれる国津神を他にも知っておるよ。この追い込まれた状況で真の力が覚醒したのだ。心配するな」
と、ウズメが言った。
「こんなことって、あるんですね……」
「ああ。アヤは長いこと、力が発動することも無く、別の意味で心配しておったがな」
ウズメはそう言って髪をかき上げた。
「そうですね。まさか、こんな力を持ってるなんて思いもしませんでした」
サクヤは大きく息を吐いた。
「それにしても助かったわ。まさに必殺の三本の矢だった。獣の反応速度で、アヤが咥え取らなんだら、危なかったな。だが、次の矢が来ぬということは、既にアヤと敵は戦っている可能性が高い。アヤが力に覚醒したからといって勝てる敵であるとは限らぬ。追いかけるぞ」
「はい!」
サクヤはウズメの言葉に頷き、すぐに体内の神気を育てるための呼吸を始めた。
すぐ横で、ウズメの呼吸音も響く。
サクヤはウズメと並んで、早足で洞穴の奥へと進んだのだった。
*
河原の石に蹴つまずかないよう注意しながら、できるだけ駆け足で進む。
すると、唐突にウズメの黄金の鷹が前方に滑り出た。
もう、復活したのか――
サクヤが感嘆していると、敵の襲来に備えるかのように黄金の網の結界が二人を包み込んだ。
「アヤがおる。やはり、敵と戦っているぞ」
ウズメが指で指し示した方向に、高速で動き回るアヤの姿があった。アヤが体から血を流しながら見えない敵と戦っている。
飛んでくる矢をその反応速度で避け、矢の飛んできた方向へすぐさま移動すると、牙と爪を振るうのだがそこに敵は既にいない。
かと思うと、アヤの攻撃の終わり際に全く違う方向から矢が飛んでくる。
かろうじて、その矢を躱すのだが、確実に急所を正確に狙ってくるその攻撃は鋭く、掠めるようにアヤを傷つけていっていた。
「アヤよ。一旦戻れ!!」
ウズメが叫ぶと、アヤがとんぼ返りを打ってすぐさま戻ってきた。
「ウズメ様。あいつ、てんで捉えどころが無いの!」
「ああ。ここは皆の力を合わす時じゃ!! サクヤ、頼む」
ウズメはそう言うと、敵がいるであろう範囲全てに、黄金の網の結界を薄く広く拡げていった。そして、サクヤの肩に手を置いた。ウズメが何も言わずとも、その考えが手を通して伝わってくる。
「敵は隠形の術に長けているのよね。でも、ウズメ様がその術で必ず見つけてくれる。どこいるかは、私が笛の音に乗せて伝心する。昔からやっていたから読み取れるわよね」
「もちろんよ、お姉ちゃん。まずはどこ!?」
「右奥の崖の上!」
「にゃうっ!」
アヤはサクヤの言葉が終わるか終わらないかのうちに、闇に溶け込むかのように消えていった。
ふぃいいいいぃぃ……
サクヤは笛を低く、細く吹きながら、ウズメの考えをアヤに伝心する。
ウズメから細かな情報が次から次に伝わってくるが、サクヤはその全てを伝えた。
向かってくるアヤに気づいたのか、敵が気配を消したまま移動を始める。だが、その動きの全てはアヤに伝えられていた。
「ぎぃやっ!」
男のうめき声が一瞬響く。
アヤが正確に弓矢使いの男の首をその爪で切り裂いたのだ。
だが、その次の瞬間、アヤの背後から心臓に向かって弓矢が突き刺さった。
敵の弓矢使いは二人いたのだ。
もう一人の弓矢使いは、心の中で歓声を上げたかもしれない。
しかし、弓矢は寸前で黄金の結界に絡め取られていた。
ひゅううううぅぅ……
サクヤは笛を吹いた。
アヤは素早く踵を返すと、もう一人の弓矢使いに猛然と向かっていった。川を挟んで反対側の崖の上にそいつはいた。
「なぜだ? 隠形の術が通じぬのかっ!?」
敵が叫び、刀を抜いた。
ブンッ!!
空気を切り裂く音がして、一瞬、二人が交錯するのが見えた。
血飛沫が上がり、敵はどうと音を立て、その場に倒れた。敵も黒牙衆の達人であったに違いない。だが、変化したアヤの獣の速度にはついてこれなかったのだ。
「お姉ちゃん。やったよ!!」
アヤは飛ぶようにやって来て、サクヤに抱きついた。
「もう……」
サクヤはそう言ってアヤを抱きしめ、頭や背中を撫でた。もふもふとした黒い毛並みを撫でていると、ウズメがびくりと動いた。
「ウズメ様……どうかしました?」
「誰か来る」
「え!?」
サクヤはまた敵が来たのかと身構えた。
ウズメは、河原に向かって斜めに降りてくる別の道を見つめていた。
「敵では無い……」
ウズメがそう言うと、黄金の鷹が戻ってきて、体内に滑り込むように吸収された。
しばらく待っていると、二人の人影が見えてきた。
「やはり、そうか。武とワカミケヌだ……」
ウズメがそう言って笑った。
サクヤとアヤは、武とワカミケヌの二人を確認すると、手を取り合って喜んだ。
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