キハチ正伝～雷雲の鬼神

第７話 迷宮（７）

　目前の三人の林（リン）が、同時に腰を落とす。

　唐突に怒濤の突きが、幾重にも放たれた。

　武（ウー）は静かに呼吸をすると前に歩を進めた。

　そして、右側の林が放つ攻撃だけを避けた。

　他の二人の攻撃は全てすり抜けていく。

「むうっ……」

　林が唸りながら、更に突きを繰り出した。

　先ほどよりも、更に速度も数も多い。

　恐ろしい数の殺気と圧力が、必殺の突きとともに四方八方から襲い来る。

　だが、武は正確にその攻撃を読むと、必要な防御だけをした。防御した以外の突きは、武の体をすり抜けていく。

　間髪入れずに襲いかかる武の攻撃を、林は槍で弾きながら後ずさった。

　林は大きく息を吐いた。

「全てが本体と同じだけの鬼気を纏っておる。どうやって見破ったのだ……？」

「師父よ。全てはあなたから教わった技と心構えの応用ですよ」

　武は答えると、右手に持った刀を肩に乗せ、林に向かった滑るように歩を進めた。

　初動を隠し、軸を揺らさない歩法。

　普通の人間にはいきなり目の前に現れたかのように見える。

　これも、林に習った基本中の基本だ。

　武は高速で移動した体を半身に向けながら、歩みをピタリと止めた。

　上半身に、体全体が前に進もうとする力がかかる。

　その瞬間――絶妙な拍子で、前のめりに進もうとする力を刀の一撃に乗せた。

　下半身の姿勢と歩法、刀を振る上半身の動きが完璧に連動することで可能となる発勁（はっけい）の一つだった。

　ギィンッ！！

　金属と金属が打ち合う音と火花が散った。

　槍が大きく後ろに弾かれ、林の上半身が泳いだ。周りの分身はいつの間にか消えていた。

「むうんっ！！」

　武は噛み殺すように気合いを発し、体を一気に沈めた。

　ダンッ！！

　地面を踏み、半身になりながら右拳を真っ直ぐに伸ばした。

　刀は左手に持ち替え、後ろに下げている。

　爆発的に発した神気を拳に乗せた。

　力は抜かない。だが、殺したくない。

　それ故に選んだ拳での攻撃。

　林の体の中央。鳩尾（みぞおち）に拳がめり込んだ。

「ぐふっ……」

　林が血を吐き、頭が前のめりに倒れた。

　終わったか。

　構えを解こうとした武の右腕に鋭い痛みが走った。

　何かが噛みついている。何だこれは？

　それは林の体から伸び出た触手のようなものだった。

　先に口のようなものがついていて、牙が生え出ている。

「ふんっ！」

　武は刀を振って、その触手を切り落とした。

　噛みつかれた部分の肉が、浅く持っていかれていた。切り飛ばすのが遅ければ、深手を負っていた可能性が高い。

「流した血はお主の血で補うとしよう……」

　林の目は真っ赤に光り、触手が体中から生え出ていた。　

　触手が一斉に襲いかかってきた。

　併せて、槍の連突きが襲いかかってくる。

　そうか……もう、こちら側には帰ってこれないところまでいってしまったのだな。

　化け物に変化した師父の姿を見て、武はそう思った。

「その執念、断ち切るためにも。そして俺の成長を見せるためにも……全力で行きます」

　武は小さな声で呟くと、更に腰を落とした。

　プンッ

　武の姿が消えた。

　林が辺りをきょろ、きょろと見回す。

　体から生えた触手も所在なげに彷徨った。

　突然、武が林の背後に現れた。

　それはまるで、地の底から生え出てきたかのようだった。

　目に見えぬほどの神速で刀が振られる。

　林は一瞬で反応した。

　こちらも神の領域の速度だった。

　槍がねじ込むような回転をかけながら武の刀の一撃に向かう。

　だが、先に動き始めた武の方が速かった。

　武の一撃は、林の槍の防御をすり抜ける。

　ゴンッ！！

　肉と骨を断ちきる鈍い音が響いた。

　林の体は腰の部分で真っ二つに切り離され、地面に転がった。

「絶招（ぜっしょう）――蛟龍斬（こうりゅうざん）」

　武はそう言うと、刀を鞘に収め、地に伏す林の右手を握った。

「よくぞ、ここまで。わしはうれしいぞ……」

　林が武の目を見て言った。

　もうその目は、先ほどまでの化け物の目では無い。武のよく知る林の優しい眼差しであった。

「最後に教えてくれ。どうやって、わしの分身を見破ったのだ？　最後の技もわしの知らぬものだ。どうやった？」

　林の目が好奇心に満ちている。

　この人は体を二つにされてまで、武術のことを考えているのだな。

　武は思わず笑みを浮かべた。

「我々武術家は、ふだんから気を感じて戦うことに慣れすぎなのです。故に有効になる師父の技ですが、私はあえて気の動きを無視し、五感のみで師父の本体を感じ取ったのですよ」

「五感のみ？」

「ええ。最初に師父の脇腹を肘で裂きましたが、その際に吹き出た血の匂い。そして、本体のみから感じ取れる動きに伴う空気の動き……」

「なんと。そんな僅かなものを感じ取ったのか。それも、あれほどに強烈な鬼気を纏った攻撃を無視して……」

「はい。正直、胃が痛かったです。無理かと思いましたが、何とか……」

「ふふふ。ははは。そうか、そうか、そうだったのか」

　林は心底おかしそうに笑った。

「武とは奥深いものだのう。それでは、最後の技はどうやった？」

「あれも気を応用した技。師父の絶招（ぜっしょう）の逆ですよ。体にある神気を限りなく無に近づけたのです。そして、師父に習った隠密の歩法……」

「それで、あんなふうに消えたように思えたのか」

「ええ」

「だが、気を用いずにあの速度で動けるはずが無かろう？」

「体中のチャクラに残すのです。本当に少しずつ。そして、攻撃しようとする意識さえも消す。言わば、体が最初に決めた攻撃に、一瞬だけですが、全力で動く状態にするのです。攻撃する意識さえも消すことで、全く動きが読めなくなる……」

　林が、はっとした、何かに気づいたような顔をした。

「それは……昔、わしが教えた技だな。戦場で死にそうになったとき、僅かな力を持って敵に勝つための技法。まさに生き抜くための技だ」

「ええ。師父よ。あなたの鬼の力と技に勝ったのは、あなたの技です」

「そうか……うれしいことを言ってくれる。だが最早、それはお主の技よ。わしにはそこまでの高みには持っていけんかったわ。蛟龍斬（こうりゅうざん）か……。蛟（みずち）は時に龍に成るという。よき名前じゃ」

　林はそう言うと、大きく血を吐いた。

「師父……」

　武は背中をさすった。

「これを貰ってくれ。わしからの餞別じゃ」

　林はそう言いながら槍を、武の方へやった。

「ありがとうございます。いただきます」

　武はそう言って、林の槍を握った。初めて持つ槍なのに、不思議としっくりくる。

　光る槍の穂先が、武の顔を写した。

「最後に。オモヒカネのいるところ。奴らの根城だが……」

　そう言って、林が震える指で、最初に自分が出てきた小さな五角形の屋根を持つ、黒い瓦屋根に白い漆喰塗りの小さな建物を指さした。

「あそこの地下に行く道だ。心していくがよい。だが、わしは信じておるぞ。お主はわしの最高傑作だ。わしらの武術の威力を全部見せてこい。誰にも負けぬて……」

　林はそう言うと、がくりと顔を傾け、動かなくなった。

　武は大きく息を吐くと、林を地面に丁寧に寝かした。

「武さん。大丈夫ですか……」

　ワカミケヌが近づいてきて、恐る恐るといった風に声をかけてきた。

　やむを得なかったとは言え、武が師父である林を倒してしまったことに気を遣っているのだろう。

「ああ。大丈夫だよ」

　武は立ち上がると、ワカミケヌの肩を叩いて、建物を見た。

「オモヒカネめ。待っていろよ。ただでは済ませぬぞ」

　武は軋るような声音で言うと、林から貰った槍をぶんと振った。

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　作者の岩間です。しばらく他の作品の制作にかかるため、こちらはまたお休みになります。9月になったら再開したいと思いますので、よろしかったらお待ちください。いつも、こんな感じですみません(_ _)