キハチ正伝～雷雲の鬼神

第６話 迷宮（６）

　武は、林の胴体に向かって横薙ぎに刀を振った。

　殺意を込めた一切の逡巡を振り払うための一撃――

　容赦なく、そしてあっけなく林を切り裂くはずの一振りだった。

　だが、刀は何の抵抗もなく、林の残像をすり抜けていた。

　いくらも動いたように見えないのに、林はいつの間にか刀の届かない後方へと後ずさっていたのだった。

　武は体内のチャクラを回しながら神気を移動させた。神気がチャクラを経由するたびに、大きく強くなっていく。

　骨盤の底にある仙骨、下腹部の丹田、鳩尾（みぞおち）、胸の中心、喉仏、眉間、頭頂部。神気を見ることができるものが今の武を見れば、体中のチャクラが光るのが見えるはずだった。

　小周転の技法で回し、練り上げていった神気を下腹部の丹田に集めると、腰を深く落とす。

「ふんっ！」

　一気に吐き出した呼気に合わせ、　丹田にある神気を爆発させた。

　地面を踏み込むと、爆発的な速さで林へと刀を突き込む。

　――林の顔面に刀が突き刺さると思った瞬間、滑らかな渦に巻き込まれるように刀が跳ね上げられた。

　化勁（かけい）と呼ばれる技だ。相手の力を受け流し、軌道を変化させて無効化する。

　ダンッ！！

　地面を踏みしめる音を響かせ、武は体を一気に沈めた。

　爆発的に丹田の神気を足に送り込み、地面の反発力も使う。武術における力の発し方、いわゆる発勁（はっけい）の中でも沈墜勁（ちんついけい）と呼ばれる技だった。

　化勁の作った流れに逆らわず体を半身にしながら身を沈め、跳ね上げられた刀を肩の上に乗せる。

　槍と平行に滑り込みながら、折りたたまれた腕の肘を突き刺すように林の懐へと飛び込んでいく。

「おうっ！！」

　肘が林の鳩尾（みぞおち）に刺さると思った瞬間、爆発的な林の気合いが響いた。

　同時に、槍の長い柄が武の背中を激しく打つ。

　柄には強烈な回転がかかっており、無理矢理に武の攻撃の方向を逸らした。

　肘が林の脇腹を掠め、着物を引きちぎり、皮膚の一部を剥ぎ取りながら向こう側へと突き抜ける。

　振り向く武に向かって槍の連撃が幾重にも襲いかかってきた。

　チ、チィ、チィンッ！

　金属が金属を撃つ音が何度も響く。

　武は林の槍を刀で弾き、攻撃を逸らしながら打ち込む隙を窺った。

　ほんの一拍、攻撃が止（や）んだ。

　その隙に合わせ、右回りに回転しながら近づきつつ刀を振る。

　今度は一撃では無く、右に左に三連撃を加えた。

　槍が、武の攻撃を化勁（かけい）で弾く。

　逸らされた刀の力を、体全体で巻き込みながら四撃目に変えた。

　刀が林の肩に向かって、斜め袈裟斬りに振り下ろされていく。

　だが、次の瞬間、信じられないことが起こった。

　ギィィリリリッッ！

　と、金属と金属が噛み合うような音が響き、刀の動きが止まったのだ。

　刀の刃（やいば）の頂点に、槍の刃（やいば）を合わせられている。

　力が拮抗し、動きの止まる刀と槍。

　まさに神業だった。

　武は躊躇すること無く後ろに宙返りして、距離を取った。

「何という技の冴え……」

「お主もな」

　思わず漏れた賞賛の声に対し、林も笑みながら返した。

　次の瞬間。

　目の前から林が消えた。

　武は戸惑った。

　神気の網は周りに広げている。

　一切の気の動きを感じさせないままに林が消えたのだ。

　気がつくと、辺りに霧が拡がっていた。

　これは……何だ？

　明らかにおかしい。自然にはあり得ない。そう思っている間にも、霧は充満していく。

　ブンッ！！

　空気を切り裂き、突然左側の濃霧の中から槍が飛び出した。

　ギリギリで避けると、髪の毛が数本引き千切れていった。

　更に息も止まらぬ早さの連撃。

　濃い霧を突き抜けるように槍が飛び出る。

　武は再び大きく後ろに宙返りして、飛び退った。何度も後ろに回転しながら距離を取る。

　距離を取る際に大きく呼吸をしたことで、神気の網に、林の気が引っかからないわけに武は気づいた。

　元々濃かった鬼気の量が、明らかに増えている。鬼気をその身に宿した林と辺りの空気が見分けがつかないほどに、霧と鬼気が充満しているのだ。

「どうじゃ？　この技を見切れるか？」

　林がそう言いながら槍を片手に持ち、目の前に現れた。

「こっちはどうかな？」

　左側にも現れる。

「ふっ、ふっ、ふっ、ふっ」

　右側の林は笑いながら現れた。

　三人の林は、同時に槍を腰だめに構えた。

　素早く動くことで残像を見せているのとは違う。霧の水蒸気に鬼気を纏わせることで、分身したかのように思わせているのか――

「ふんっ！」

　三人の林が同時に呼気を吐き、槍の連撃を繰り出した。

　どれも本当の攻撃なのか、見分けがつかない。

　幾つかの突きを避けきれず、槍の刃が体を掠めるように切り裂いていく。

　左肩から血しぶきが上がるが、手当てする暇は無かった。

　まさに窮地というやつだな。

　武は冷や汗を流しながら、心の中で呟く。

　周りの空気に鬼気が充満しているため、呼吸をすることも困難になってきている。浅く、薄く呼吸をし、鬼気を取り込まないように戦うのは至難の業であった。

　武は再び後ろに宙返りして飛び退った。

　だが、三人の林は滑るように追いかけてくる。

　流れる汗を拭う暇も無く、槍の連撃を刀で払い、身を翻（ひるがえ）し続ける。

　できるだけ距離を取ろうと試みるが、林は目をギラギラとさせて瞬く間に詰めてきた。

　その時だ。

　――窮地の時こそ、平常心だ。焦ってはいけない。

　閃くかのように、一瞬、その言葉が脳裏に浮かんだ。

　皮肉なことに、かつて林が教えてくれた言葉だった。

　神気を体の隅々に行き渡らせ、心を落ち着かせると五感を研ぎ澄ます。

　武は狂気の表情を浮かべる林を見つめたまま、あることに気づいていた。

　刀を握る手に力が漲（みなぎ）る。

　武は構えを取ると、三人の林へと向かっていった。