第5話 迷宮(5)

 林は両手で槍を持ち、中段の位置で穂先を武へ向けていた。

 穏やかな笑みを浮かべていたが、目だけが怖い。


 その隙のない構えは、全盛期と同じ、いやそれ以上の完成度だった。


 どっしりとした安定感と、前後左右に素早く動ける軽やかさといった相反する要素が同居している。


 技だけでなく、気力、体力ともに充実していないと、これほど隙のない構えを取ることはできない。


 武は知らず知らずのうちに、額に汗が流れるのを感じていた。

 深く息を吸い、ゆっくりと吐くと、神気の網とも言える感覚を師父に向けて広げる。


 すると、一瞬、林が蜃気楼のように揺らいだ。

 体が動いたのではない。体にまとう闘気が、ほんの僅か、揺らいだのだ。


 ――と、

 ブンッ!

 風を切る音がした。


 同時に唐突に槍の穂先が眼前に現れる。


 まさに神技。

 目の動きや僅かな所作、意識の起こりまで――

 一切の初動が消えていた。


 あったのは、神気の網でやっと捉えられるほどの僅かな闘気の揺らぎのみ。

 そして、最短距離を真っ直ぐに辿るその攻撃には、明らかに殺意がこもっていた。


 寸前で武は、同様に初動を隠しつつ最小限の動きで槍の穂先をかわした。

 傍らのワカミケヌには、槍の穂先が武の顔に突き刺さったかのように見えたであろう。


 ワカミケヌが息をのむ声を聞きながら、右回りに足を踏み込みつつ刀を振った。

 峰打ちで林の首を狙う。


 ガギギッ!!

 林の槍が大きく渦巻くように回されたかと思うと、武の刀の一振りが絡め取られるように跳ね飛ばされた。


 体ごと、林の槍の作る大きな渦の動きに巻き込まれる。

 武はその勢いに逆らうことなく、さらに加速するかのように地面を蹴った。


 加速が加わった武の体は、恐ろしいほどの速度でその場で宙返りした。

 そして、地面に足をつくと、その勢いで後ろへと飛び退る。


 だが、それとほぼ同じ速さで林がついてきた。

 槍の連撃が襲いかかる。


 下がればやられる!

 ギャリリッ!!

 一瞬の判断で刀のやいばを僅かに槍の穂先に当て、隙間をくぐるように前に出る。


 手加減をする余裕はなかった。

 その勢いのままに刀を突き込む。


 神気が十分に乗った一撃は、林の想像を超えた速さだったはずだ。

 だが、その必殺の一撃はすり抜けた。


 残像を残し、林は武の後ろに回り込んでいた。

 武は間髪入れずに前転をし、距離を取ると構え直した。追撃に備えるが、林はその場でニヤリと笑った。


「今の攻撃はよかったな。中々の殺気だった。それに、こちらで新しい技術をものにしたようだな……」

 林の声が少し震えていた。それはまるで喜びに震えているかのような声音だった。


「ええ。高天原というこちらの神々のいる世界に行った際、神気と呼ばれる特別な気を多く浴びました。その後、師父に教わった仙道の呼吸法を応用して、私の武の威力は増しています」


「それは、よいな」

 林は更に笑った。唇の両端を大きく吊り上げて笑う様は狂的なものを感じさせる。

「もう、止めませぬか。私は師父を傷つけたくはありませぬ……」

 武は言った。


「そんな冷たいことを言うな。我と死力を尽くしあい、殺し合おうではないか。それでこそ武の行き着く先が見えるというもの」

 ゴキゴキッと、首の骨を鳴らす音が不気味に響いた。林が自分の首を回す音だった。


「しかし、私はあの頃の私とは違います」

 武は苦しげに言った。すると、林は声を上げて笑い始めた。

「はっ、はっ、はっ、はっ……」


「何がおかしいのですか?」

「新しい力を得たのが己だけだと思っておるお前がおかしくてな」


「どういうことです?」

「おぬしが神気という気を浴びたように、我もこの世のものならぬ力を浴びたのだ……」


「この世のものならぬ力!? それは何ですか?」

「英了にいざなわれ、鬼界に赴いた。そこで会うたのよ。黒牙ヘイヤーという化け物にな」


「何っ!? それでは鬼気を浴びたというのですか?」

「おうよ……。最初は気持ちの悪い邪気と思うたが、強い力であればいいのよ。鬼気を大量に浴びた結果、我の力は今が最盛期。この身には鬼界の鬼気が満ち満ちておるのさ……」


 林がそう言った途端、体から強烈な気勢が吹き上がった。

 吐き気を催すかのような悪臭が巻き起こり、辺り一帯の気温が一気に下がった。

 林の体を真っ黒な鬼気が分厚く覆っていた。


「お主が戦おうとしているオモヒカネも、同様の力を身につけておるぞ。オモヒカネを倒すのであれば、我を倒さぬ訳にはいくまいて。先ほどの峰打ちのように手加減をして勝てると思うておるのであれば、大間違いぞっ!!」

 林が叫び、また気勢が吹き上がった。


 武は体内の神気を、尾骨の位置にある仙骨に集めた。

 さっきまで周囲にふんだんにあったはずの神気を鬼気が覆い隠し、僅かにしか無かった。


 腹式呼吸を繰り返し、下腹の丹田に引き上げると、さらに神気の球を大きく練り上げていく。


 仙道にある小周転の技法。ヨガで言うところのチャクラに沿って体内の神気を回して神気を煮詰めるかのように強化していく技法だった。


「おお。我の教えた小周転の技法か。回せ、回せっ! 体内の神気を高め、我の鬼気とぶつけ合おうぞっ!!」

 林がまた笑った。


 武の頬を涙が一筋伝った。脳裏には、林と過ごした厳しくも幸せな日々がよぎっていった。だが、それはもう戻れない日々なのだ。


 自分が強くなることに全てを捧げた凶人の笑い声――

 武は変わり果てた恩人を前に、全ての思いを断ち切るかのように刀を一閃した。

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