第3話 迷宮(3)


「訓練場はこっちです」

 武はワカミケヌの指し示す方向に目を移した。

 そこは家の裏にある山の方角だった。


 考えてみたら、これまで一度も裏山の方へは行ったことがない。水田も軍事訓練用の野原も屋敷の南側に作られていて、裏山にそんな場所があるとは思ったこともなかった。

「よし。それじゃ行ってみるか……ワカミケヌよ。案内してくれ」

 武はそう言うと、皆と一緒に裏山へ足を進めた。


 屋敷の裏から続く一本道には、大きな檜の枝が屋根のようにおおかぶさっていた。

 枝が風に揺れるのに合わせ、地面に落ちる木漏れ日も一緒に揺れる。

 頭上で小鳥が鳴き、辺りに一行の土を踏みしめる音が響く――

 敵の隠れる場所などそこかしこにあるのだが、気配は微塵みじんも感じない。


 武はふと、隣を歩く藤田の背負う大きな長方形の箱を見て、

「その火炎放射器というのは、お主たちのいた未来の武器なのか? 油か何かが背中の箱に入っておるのだな?」

 と、訊ねた。


「ああ、そうだ。大陸にはこのような武器はないのか?」

 藤田は武の顔を見ると、問い返した。

「無いな……。初めて見たよ」

「そうか。俺のいた時代では、国同士の戦争の道具だった。こっちの専門ではないから少し苦労したが、こんな時に役立つのではなかろうかと思ってな。以前から試作品を作っておったのだ。やっと最近使えるような物になったところなんだがな……」

 藤田は手に持った金属製の筒を撫でながら言った。


「ふむ……そうか」

 武が頷くと、

「背中の箱は真ん中で二つに仕切られておってな。一つには油が、一つには不燃性の圧搾ガスが充填されておるのだ……」

 と、難しい言葉で説明を始めた。放っておくと、いつまでも話し続けるに違いない。

「そうか。まあ仕組みはよいわ。とにかくそれが役に立つと言うことは間違いないだろうからな」

 武は頭を掻きながらそう言って話を終わらせると、前を見た。


 あまり、話に夢中になっていると、隠形に長けた敵がいた場合、見落とす可能性がある。

 武は神気の網とでもいうべき感覚を更に広げ、僅かな気配にまで気を配った。

 傍らのサルタヒコも同じように、辺りの気を探っている。

 こうして歩いていると、林の中には小鳥や虫、狸やイタチのような小動物など、多種多様な生物の気が感じられた。

 武はそういった僅かな気も漏らさずに感じ取りながら歩いた。


 しばらく一本道を進んでいくと、程なくして広く開けた場所に出た。向こう側には杉や広葉樹の混在する林が見えるが、そこに至るまでの間は広場のようになっている。

 かなりの広さであるその場所には、土に穴を掘った塹壕や丸太を組み合わせた構造物のようなものが点在している。それらは地面から一本だけ突き出した傷だらけになったものだったり、橋のように幾本もの丸太を組み合わせて作られたものなど、多様なものであった。


「ここか?」

 武が訊くと、

「はい。ただ、奥の木立の中にも訓練場はあって、そこでも実戦訓練を積んでいるはずです」

 ワカミケヌが言った。


「そうか……」

 武は辺りを見回し、一帯の気配を慎重に探った。隠れるところはそこかしこにあるが、的が潜んでいる様子はない。

「ふうむ。やはり、何も感じぬが……」

 武とサルタヒコが一歩、踏み出したそのとき……


 突然、床が抜けたかのように、体が下へと落ちる感覚があった。

「ひいっ」

 誰かの悲鳴が聞こえる。


 その途端、最初の落ちる感覚が、どこかに飛ばされていくような感覚に変わった。

 周りの皆の気配が、てんでばらばらに飛ばされていくのを感じる。

「人が来るのに合わせ、勝手に発動する罠か。こいつは、まずったな……」

 武は苦虫を噛みつぶしたような顔で呟いた。


      *


 突然、視界が明るくなり、地面に足がついた。

 それまで暗い別空間の中を飛ばされていたのが、現実の世界に戻ってきたような感覚であった。


 武は周りを見回した。

 隣にワカミケヌが倒れている。だが、それ以外に人は見当たらなかった。

「おい。ワカミケヌよ……目を覚ますのだ」

 武はワカミケヌの体を揺らしながらも、辺りの気配を慎重に探った。


「う、うん……」

 ワカミケヌが、頭を振りながら起き上がる。

「武さん。ここはどこですか?」

「考えられるぬことだが、俺が若い頃に修行した場所にそっくりだ……」

 武がそう言うと、ワカミケヌは跳ね起きるように立ち上がり、周りを見回した。


 空気の薄さから高い山の上だと分かる。

 周りはうっそうと草木が茂り、ここだけが開けた広場のようになっていた。

 足下は緑の草原で、そこかしこに桃色の野の花が咲いている。

 草原には所々にうずたかく石が積まれた石塔のようなものがいくつもあった。

 そして、真ん中に一本の石畳の道――

 続く先には、小さな五角形の屋根を持つ、黒い瓦屋根に白い漆喰塗りの小さな建物があった。 


「確かに、こんな場所は知らない……。まさか、海の向こうにある武さんの故郷に飛ばされたって言うんですか?」

 ワカミケヌが信じられないといった表情で訊いた。

「いや。見た目はそっくりだが、そんなことはあるまい。奴らが、如何に鬼界の力を使うといえど、そんなことまではできないはずだ」


「じゃあ、ここはオモヒカネたちの作ったまやかし?」

「おそらくな……」

 武は建物を見ながら呟いた。

 すると、


 キイッ――

 と、建物の扉がきしむ音を立てて開いた。

 現れた小柄な人影は、黒い大陸風の着物を着た小柄な老人だった。


師父スゥフ……」

 武は呆然とその老人を見つめ、呟いた。

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