第2話 迷宮(2)

 ウーは化け物が飛び去った方角を見つめ、大きく息を吐いた。

 風が吹き、武の前髪をなぶっていく。

「なあ。なぜ、あの体は黒から白になったのだろうな?」

 サルタヒコが訊ねた。


「なぜかな……。あくまで想像だが、奴らと一体となったコヤタの思いのおかげかもしれぬな」

「元に戻ってほしいと、コヤタが願ったということか?」

「ああ」

「そうか……そうかもしれぬな」

 サルタヒコは武の言葉に頷いた。


 すると、

「なあ。ちょっといいか?」

 と、藤田スクナビコナが武の肩を叩いた。

「どうした?」

「すぐに追いかけるから、先に行っててくれぬか?」

 藤田の顔を見ると、何か覚悟の座ったような目つきをしている。

「スクナビコナ……何か考えでもあるのか?」


「少し、研究所から持って行きたいものがあるんだ。こんな時のために用意していたものがあるんだよ」

 藤田はそう言って笑った。

「藤田先生。私も持って行くものがあります!」

 山田が大きな声で唐突に叫ぶと、

「お前のことは知らぬわ……勝手にしろ」

 藤田は頭を掻きながら、首を振った。


 武は二人に、

「できればミケヌとキハチが突入する前に、奴らと会って止めたいんだ。お主たちのことは待たぬぞ」と言って、ワカミケヌを見た。

「さて。じゃあ行くか」

 武がワカミケヌの肩を叩くと、

ウーさん……絶対に兄さんとキハチさんを助けるよ」

 そう、ワカミケヌが呟いた。

 ワカミケヌの目には、強い意志の光が宿っていた。


      *


 茅葺きの大きな屋根を持つ広大な平屋――オモヒカネの屋敷に、一行は着いていた。

 見慣れた屋敷だったが、今はがらんとしている。

 武は屋敷の隅々まで気を探ったが、軍勢も黒牙衆も全く気配を感じなかった。おそらく、ワカミケヌの言っていた裏山にあるという訓練場に隠れているのだろう。訓練場の更に奥にある洞穴にいるのかもしれない。


「どうだ。何か感じるか?」

 武がサルタヒコに訊ねる。

「お主が感じぬものを、俺が感じるはずもないよ」

 サルタヒコは首を振って武にそう言った。

 武もサルタヒコも、気配を感じることにはけている。たとえ、相手が武術の達人であろうとも、この二人にかかれば見つからないはずはなかった。


「念のため、屋敷の中を探してみますか?」

 ワカミケヌが訊くと、

「誰も居ぬのは確かだが、何か手がかりがあるやもしれぬな……」

 武はそう言って、ワカミケヌに先導してもらって屋敷へと入っていった。


 屋敷の玄関から入り、廊下を通って広間を覗く。そして、便所や寝所、土間のある台所、小さな部屋……とまで隅々まで見ていく。だが、何の手がかりも残されていなかったし、人っ子一人いない。ワカミケヌに案内され、武器庫も見たが、武器も一切が無くなっていた。


「ウズメ殿の飛翔の術で魂の状態になってここに来たあの時……すさまじい鬼気がここには溢れておった。オモヒカネは怪しい儀式を行っておったのだ。言うても仕方が無いが、あの時にもっと問い詰めておれば、ここまで事態は悪化しておらんかったな……」

 武は誰に言うともなく、そう呟いた。

 返事をする者は誰もいなかったが、皆がそう思っていたに違いない。今さら、時間をさかのぼることはできない以上、本当に言っても仕方が無いことではあった。


「だが、何か怪しいな……。人の生気の残滓さえ全く感じぬぞ。普通は匂いのように残留した気の残り香のようなものを感じるのだ。鬼気どころか、人の残すはずの生気の欠片も感じぬとは……」

「どういうことだ?」

 武の言葉にサルタヒコが反応する。


「おそらく、しばらくの間、ここには住んでおらぬということだな」

「別に拠点を持っておるということか?」

「ああ。ワカミケヌ。どうだ?」

「私は別宅に住んでいましたが、オモヒカネたちが普通にここに住んでいたのは確かです……」

 ワカミケヌがそう言った途端、家の壁が、

 ザワリ……と鳴った。


 それまで感じなかった鬼気が一斉に吹き上がる。

 溢れるような鬼気とともに、家の壁が細かい小さな粒子のようになり、一斉に一行に向かってきた。それは小さな黒い蜘蛛の集合体だった。

っ!!」

 武は小さく叫んだ。蜘蛛が小さな牙で噛みついてきたのだ。


 体に群がってくる蜘蛛を払いながら、一行は家の外を目指した。

「式神の術か!? あれで人が住んでいたように見せかけていたのか!?」

 サルタヒコが逃げながら叫んだ。ワカミケヌの見ていたオモヒカネは式神の術で操られた傀儡くぐつだったのだ。おそらく、最小の鬼気をもって自動で動いていたのだろう。


「とにかく、足を動かせっ!!」

 外を目指して走る間にも、家の壁や床は黒い蜘蛛へと変化していった。おそらくここで少しでも殺すつもりなのだ。武は皆を鼓舞しながら、外を目指し走った。


「こっちへ来い!」

 藤田の叫び声が外から響いた。

「食らえっ!!」

 山田の叫ぶ声も聞こえた。

 と、体にすっばい匂いのする液体をかけられた。

 何やら鼻もむずむずし、武はゴホゴホと咳き込んだ。

 だが、体にくっついた黒蜘蛛は一部は下に落ち、残りも一斉に逃げていく。

 

「何だ、これは?」

 腹を見せてけいれんする黒蜘蛛を見ながら武は呟いた。

「手作りの殺虫剤です。酢に唐辛子の粉を混ぜました。あの英了の術に対抗しようと思いまして……」

 手に大きな竹筒を持った山田が言った。


「まだ、終わらぬぞ!!」

 藤田が言って、背中に背負った長方形の箱から伸びた筒のようなものを家に向かって掲げた。

 筒は銀色に光る金属製で、背中に背負った長方形の箱からは蛇腹の管でつながっている。

 と、突然そこから、ボウッと音を立て、火炎が伸びた。

 武は感じたことのない高温をその太い火柱から感じた。


「お前ら化け物にはこれが何だか分かるまいっ!! 火炎放射器だ!! 人の知恵の作り出した武器だ!! 何が鬼界の化け物だ!!」

 藤田はそう叫びながら、次々に黒蜘蛛を焼き払っていった。火炎は屋敷にも燃え移り、バチ、バチッと轟音を上げ爆ぜた。

「さすがはスクナビコナの名を冠する男よ。全く、見たこともないものを使うな……」

 サルタヒコが感心したように言った。


 サクヤやアヤ、ウズメやワカミケヌが、二人の周りに集まってきた。

 一体、これからどんな罠が待ち構えているのか――ここにいる皆を奴らの構える場所へ連れて行っていいものか。

 武はため息をついて、赤い炎に包まれて燃えていくオモヒカネの屋敷を見つめ腕を組んだ。

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