第13章
第1話 迷宮(1)
武は、トヨタマが化け物とワカミケヌに抱きつくのを見て思わず微笑んだ。
状況は笑っている場合ではないのだが、母の愛と兄弟の絆は変わらなかったという事実がうれしかったのだ。
頭に今は亡きミケヌの父、健二の笑顔が一瞬浮かんだ。
「それじゃ、今すぐにでもオモヒカネたちを追いかけよう」
サルタヒコが武に向かって大きな声で言った。
「おう、そうだな」
武は化け物の方を見ながら頷いた。知らず知らずのうちに、笑みが浮かぶ。
すると、
「「待て。その前にすることがある……」」
化け物はそう言って、首を振った。
抱きついていたトヨタマを離し、ワカミケヌを押しのける。
ワカミケヌが何事かというように、化け物の顔を見上げた。
「そうか……」
思わず、武は首を振っていた。
武が見守るその前で、化け物の視線は床に倒れたコヤタを見つめていたのだ。
武はコヤタのことが頭から消えていたことを恥じた。そして、コヤタのことを案じる化け物の優しさにうれしさも感じた。
「「コヤタの神気と生気が切れかかっている。このままでは、死んでしまう」」
化け物はそう言うと、床に寝ているコヤタの傍らまで行って膝をついた。
サクヤと妹のアヤがすぐに駆け寄った。
サクヤが額に手を当て、首の下で脈を測る。
「かなり弱いわ……」
そう言ったサクヤの傍らで、アヤが涙をとめどなく流した。
無理もない。二人は幼なじみで、いつも一緒に遊ぶ仲なのだ。
武はアヤの様子にたまらなくなって、ため息をついた。
化け物から、禍々しい雰囲気はすっかり消えていた。サクヤとアヤの顔を見る化け物の目は美しく澄んでいた。
化け物はアヤとサクヤの頭をぽんぽんと優しく手のひらで叩くと、無言でコヤタを抱き上げる。
化け物の黒い毛の密集した胸から、皮膚を押しのけるように、何かが現れた。それは半円形の金属の板だった。磨き上げられた表面に、雨の
「
武は呟いた。
オモヒカネが国津神の力を奪い、ミケヌとキハチが化け物になってしまった元凶のようなものである。
ふと、頭にミケヌとキハチの考えが閃いた。
止め……
口に出かけた言葉を飲み込む。確かにコヤタを救うにはこれしかないのかもしれない。
八咫鏡が化け物とコヤタの間に浮き上がる。
いん、いん、いん……
鏡が震え、同時に光り始めた。
その光は、ミケヌとキハチが一緒になったときの黒みを帯びた光ではなく、真っ白な神々しい光であった。
鏡が細かく振動し、光と音が大きくなる。
化け物がコヤタを抱きしめた。
八咫鏡が化け物とコヤタに挟まれ、益々、激しく光った。
眩しい光の中で、化け物とコヤタが溶け合っていくのが一瞬見えた。
ゴキ、ゴキ、ゴキ……
体中の骨が鳴り、二つの影が一つになる。
光が消えたとき、化け物の体は、真っ黒だったその色から真っ白な神々しい色へと変化をしていた。
「ミケヌとキハチ、そしてコヤタ……、これも運命か――」
武の頭に、スサノオの言葉が響いた。
思わず辺りを見回す。
すると、声がしたのとほぼ同時にアマテラスとスサノオがその場に
最初に武が二人の天津神に会ったときと一緒だった。
たおやかで美しい女性と荒々しい風貌の男の二人。確かに、アマテラスとスサノオに違いない。
「あれはもう十年以上前だな。あのときは健二も一緒だった……」
武が呟くように言うと、
「ああ、そうだな。こうしてこちら側に降り立つのは本当に久しぶりだ。満月で大分、
アマテラスが微笑みながら言った。
「ミケヌ、キハチ、そしてコヤタ……お主らに、渡しておきたいものがある」
アマテラスの傍らで、スサノオが言った。
「我も、本当ならお前たちと一緒に戦いたい。だが、我らはあの世界に縛り付けられておって、自由にこちら側には降りてこれるのだ。許せ」
スサノオはそう言うと、化け物に近づき右手を握りしめた。
天津神二人の姿が、蜃気楼のように揺らめいた。
「あのときは、姿は見えたが近づくことができなかった……」
「ああ。我々の体は高天原にあるからな。今だけは特別だ」
武の言葉にスサノオが答えた。
何らかの秘術か、スサノオの能力なのか――
武は息をのんでその様子を見つめた。
スサノオの手が真っ白に光り、化け物の右腕も眩しく光った。
スサノオから化け物に、強大な神気が移っていくのを武は感じた。
眩しい光が消えると同時に、二人の姿が蜃気楼が消えていくかのように霞み始めた。
「それは
スサノオはそう言うと、右手を挙げて振った。すると、徐々にその姿が薄くなり始めた。
「必ず勝て。武運を祈っておるぞ……」
アマテラスもそう言うと、右手を挙げた。
二人の姿は徐々に霞み、その場から消えていった。
その場にいた者たち皆が手を振り、頭を下げた。
いつの間にか、化け物の右腕から放たれていた光は消えていたが、そこに何らかの強大な力が移されたことは明らかだった。
「それでは、俺はもう行く」
化け物がそう言うと、バサリと羽音が放たれ体が浮かび上がった。
「待てっ!!」
「一緒に行けばいいではないか!?」
武とサルタヒコが口々に叫んだ。
だが、化け物は一切振り返らずに、ぐんぐんと空に舞い上がっていく。
「兄さんっ! キハチさんっ!!」
ワカミケヌが叫んだ。
すると、一瞬、化け物が下を見た。
だが、それだけだった。
大きく羽を羽ばたかせ、オモヒカネの屋敷の方へと飛び去っていく。
「くそっ。急いで追いかけるぞ!!」
サルタヒコが言うと、皆、頷いた。
武は唇を噛んで、化け物が飛び去った方向を見つめた。
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