転章

慟哭

 ミケヌの眼前に、黒い存在が在った。それは全てを壊す――

 悪意の固まり


 なぜ、俺たちを傷つける?

 幸せに暮らしたかっただけなのに。


 なぜ、俺たちから奪う?

 あなたたちから奪うつもりは無いのに。


 周囲に満ちる悪意を胸いっぱいに吸い込む。

 暴力への衝動が体内を駆け巡る。


 友は壊れてしまった。


 二度と動かない体

 生気を失った顔

 虚ろな瞳が俺を見つめる。


 一緒に相撲を取ったこと――

 一緒に魚釣りに行ったこと――

 一緒に瀬戸内の海や出雲で戦ったこと――

 夕焼けの中、一緒に語り合ったこと――


 友との思い出が、瞬く間に駆け抜ける。


 なぜ、こうなった?

 信じた俺が、馬鹿だったのか?

 騙された方が、悪いのか?

 俺のせいで、タヂカラオは死んだのか?



「うああああああああああっ!!!!!」

 喉を押し開き、慟哭が溢れ出た。

 涙がとめどなく流れ出て、それはやがて血涙になった。


 傍らでキハチも泣き叫んでいた。

 裏切られ、仲間を失った悲しみは、心を黒く塗りつぶす。

 ミケヌはどす黒い鬼気を体に受け入れた。

 キハチもそうだった。


 構うものか。

 利用できるものは何でも利用する。


 二人の髪は逆立ち、体の皮膚が黒く変化していった。

 凶暴な力が満ちていくのを二人は感じていた。

 これで、あいつを倒せる。

 知らず知らずのうちに、唇が笑みの形へと変化していた。


 すぐにキハチとミケヌは互いの心身を同調させた。

 火山の噴煙により、空が真っ黒になったあの日――高天原のアマテラスと通じ合い、巨大な竜巻を発生させた時に会得した能力だ。キハチの雷や風を操る力が、ミケヌを通ることにより倍加される。


 パチ、パチッ

 と、弾けるような音とともに、黒紫色の電気の糸が二人の体の周りに出現した。

 今までの神気を使った力では無く、鬼気を元にした復讐の力だった。


「帰って来れぬぞ……やめるのだ……」

 遠くで武の叫ぶ声が聞こえた。

 だが、その声は心の表面を滑り落ちていった。今は憎き奴らを倒すことだけにしか興味が無い。


 胸から半分になった八咫鏡やたのかがみが浮き上がった。

 オモヒカネが盗み出し、その後帰ってきた鏡の残りの部分。二度と誰かに取られぬよう穴を開け、首から紐で下げていたものだった。


 いん、いん、いん……

 鏡が震え、同時に光り始めた。

 光は鬼気の影響なのか、黒みを帯びた光であった。


 人の魂と神気を吸い取り、他の人に移し替える力がある。頭の片隅に誰かから聞いた言葉が蘇る。


 鏡が細かく振動し、光と音が大きくなるに連れ、不思議なことが起こった。

 体中に満ちた鬼気が溢れ出し、キハチとミケヌの体が溶け合ったのだ。一つに重なり合い、凄まじい快感が二人の背骨を突き上がった。


 ゴキ、ゴキ、ゴキ……

 体中の骨が鳴った。

 一つに溶け合った体の骨も絡み合うように一つになり、何か違うものへと変化をしていく。


 骨や筋肉が暴れ、頭からは二本の角が、背中からは翼が生え出てきた。

 皮膚は漆黒へと変化し、瞳は赤くなった。

 ミケヌとキハチは無言で宙に飛んだ。いつの間にか、二人は一つになっていた。凶暴な力が体の中を駆け巡り、倍加されていく。


 身体に宿る凶暴な力と背骨を貫く快感に、二人は狂喜した。八咫鏡にこんな力があったとは。いや、神気では無く鬼気に基づいた力の発動故にこうなったのか。


 二人は復讐のためだけの存在だった――

 

 もう、言葉はいらぬ。

 いるのはあいつらの生命いのちだけだ。


 目の前で黒牙が笑いながら、数え切れないほどの巨大な触手を伸ばしてきた。緑色の黒牙から伸びる無数の根。

 あらゆる生命力を吸い取る恐ろしい根だ。

 だが、俺たちは黒い稲妻を発し、あっさりと触手を焼き尽くした。あんなに手こずったのが嘘のようだった。

 何も容赦することは無い。あいつがそうしたように、俺たちもあいつから奪ってやればいい。


 雷は無尽蔵に俺から打ち出された。真っ黒な稲妻だ。

 黒牙ヘイヤーが信じられないものを見るような表情でこちらを見る。

 ああ、そうか。

 お前はこれまで奪われたことが無いのだな?

 遠慮することは無い。存分に奪われろ。


 真っ黒な雷雲が空一杯に広がっていく。

 ゴロ、ゴロ、ゴロ、

 と、巨大な鉄の鍋をひっくり返したかのような音が響く。

 俺たちは、大きく深呼吸をして、両手の人差し指を空へと伸ばした。

 そして、躊躇無く振り下ろす。


 黒牙の顔が恐怖に歪んだ。

 俺たち二人の背骨を、快感が駆け上る。


 ――閃光と音、そして熱が同時に発生した。

 巨大な太い黒紫色の雷が、黒牙に向かって落ちていく。

 それは、黒紫色の大きな光の柱のようだった。

 毒々しい巨大な花は黒牙ごと一瞬で蒸発し、強い熱風が顔を叩いた。


 鬼界の結界が消えた。

 雷雲で一杯になっていた空もいつしか青空に戻っていた。

 作り出していた黒牙が消滅したためか――

 俺たちは、バサリと真っ黒な羽を振った。

 羽ばたくごとに、ふわり、ふわりと、体が宙を進む。

 オモヒカネたちの住むタカチホへ向かうのだ。


 「ミケヌ! キハチー!!」

 サクヤと武の声が遠くから聞こえたような気がしたが、今はどうでもよかった。

 もう、俺たちに引き返す気はない。


 オモヒカネと黒牙衆――

 奴らを殲滅せねば。


 俺たちの頭はそのことだけで一杯だったのだ。

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