第8話 タケミカヅチ(5)

 武の目の前で、漆黒のもやは徐々に形を成し、どろりとした粘着質な塊になった――。そして、瞬く間に密度を増していき、弾力性のある固形の塊へと変貌していった。例えるならば、真っ黒な肉の塊とでもいうようなものへと変化したのだった。


「ぐ、ぐ、ぐ、も、も、も、もっ……」

 それは、喉につっかえた塊を吐き出すかのように鳴いた。虎とも人ともつかぬような顔が肉の塊に現れ、口を開いて鳴き続けた。


 すると、

 ず、りゅ、りゅ、りゅっ……

 と、音を立て、塊の下の方から足らしきものが八本生え出てきた。毛がびっしりと生えた足は虫の足に似ていた。


 全体的には、筋骨隆々とした黒牛のようにも、大きな黒蜘蛛のようにも見えた。前についている顔は、虎と人の中間のような顔立ちで、口からは二本の巨大な牙が覗いている。


 不吉であるとしか言いようのない存在。武はこの化け物に見覚えがあった。ずっと昔にアガタで見た――

「土蜘蛛……」

 化け物の名が口から漏れ出た。


 その途端、背中の皮が音を立ててめくれ上がり、一気に人のようなものが生え出る。

「ふふふふっ……」

 それは、下半身を化け物の背中に埋めこんだまま、背中から出た上半身で周りの景色を睥睨し、漆黒の長髪を後に撫でつけ笑った。

 一見、少年のような華奢な体躯に見えるそれは、明らかにこの世の者では無かった。


「生きておったのか!?」

 武は呻くように言った。

 オモヒカネやミケヌの父である健二とともに倒したはずの化け物。それがなぜこんなところにいるんだ?

 身体が縛られているかのように動かない。背中から生え出た男の真っ赤な瞳に魅入られているかのようだった。


 身体の表面は真っ黒に塗れ光り、服は身につけていない。

 顔の肌は体と対照的に真っ白で、鋭い刃物で切ったかのような細い目が斜めに切れ上がっている。

 高く細い鼻梁。薄い眉に真っ赤な唇。そして漆黒の長髪。

 間違いない。あの時、アガタで倒したはずの化け物だ。


「ふうう…………」

 武は腹式呼吸を繰り返し、下腹の丹田で神気を練った。身体の中心軸に沿って神気を上げ、中丹田でさらに練り上げた神気を体中に行き渡らせる。

「ふんっ!!」

 武は爆発的に息を吐くと、身体を縛りつける圧力を弾き飛ばし、矢を四連射した。


 常人ならば、一回打った動作にしか見えないはずだ。それほどに無駄が無い、超速度での連射だった。

 武の大弓は、普通の大人には扱えないほどの強弓だ。それを四連射し、そのどれもが土蜘蛛の上に生え出た男の顔へ向かった。

 だが、その矢は男の目を貫く寸前で止まっていた。

 顔の皮膚が何本もの鋭いとげになり、矢を絡め取っていたのだ。


「なかなかの武の腕前だな。今まで、これほどの弓の使い手には会ったことが無い。だが無駄だよ」

「何を言う。土蜘蛛めっ!!」

 武が再び矢をつがえていると、

「それはかりそめの名だ」

 男は静かに言った。


「何っ!? では、お前は何なのだ?」

「我か……我が名は黒牙ヘイヤーだ」

「ヘイヤー……大陸の言葉か……」

 武は首を傾げた。

「そうか! ヘイヤーとは黒い牙の意味。奴らが黒牙衆くろがしゅうと名乗っているのは、そういうことだったのか!」


「うん? 何か気づいたか?」

 黒牙ヘイヤーと名乗った男が、欠伸あくびをしながら言った。

「お主、オモヒカネを操っておるな。奴が変わってしまった原因はお前なのだな?」

「操るとな……は、はははは!!」

 黒牙ヘイヤーは天を仰いで笑った。

「あれは、元々ああいう男だ。我は、本当の自分に戻る手伝いをしてやっただけだよ。今回はかなり手伝うことになってしまったがな……」


「では、オモヒカネの考えで我々をここに閉じ込めたということか?」

「ああ、そうだ。ここはな、我の開いた結界の中。鬼界の力をここに封じ込めているのだ。お主たちの力の源である神気を神界から導くことはできん。お主たちを葬るには絶好の場所だろう?」

 男は再び欠伸をすると、武の目を射るように見つめた。


「では、始めようか」

 黒牙ヘイヤーがそう言った途端、男の背後に大小様々な漆黒の渦が幾つも生まれた。空中に浮かんだそれらは、わずかに回転をしているように見える。

 頭に鈍い痛みがガンガンと響き、吐き気をもよおした。渦から濃厚な鬼気が溢れ出てきているのだ。


 無数の渦のうち、幾つかが大きくなり始めた。そして、中から何かが現れてきた。

「こいつらは我が眷属。中々に強いぞ……」

 黒牙ヘイヤーの言葉が不気味に響く。

「身体は動くな?」

 武はミケヌたちにそう言うと、再び身体に神気を巡らせ、黒牙ヘイヤーと背後の渦を睨みつけた。


 渦の中から六枚の羽を持つ人のような影が浮かび上がったかと思うと、すぐにそれはこちら側へと現れた。


 人のような身体に、二本の腕と四本の足が生えている。腕は人にそっくりだったが、四本の足は虫のそれだった。そして、その皮膚にはびっしりと緑色のうろこが貼り付いていた。


 背中の六枚の羽は、二対ずつ異なる種類の羽が生えていた。一番上の二枚がからすのような真っ黒の羽。真ん中の二枚が蜻蛉のような透明の羽。そして一番下の二枚が蝙蝠のような薄い皮膚の黒い羽だったのだ。


 さらに異様だったのは、その頭だった。蜥蜴にそっくりなその顔の目だけは昆虫のような複眼だったのだ。


 その化け物は羽を一振りすると眼前から消えた。

 そして、瞬間移動したかのようにスクナビコナの目の前に現れる。

「なっ!?」

 ミケヌやキハチが驚く声が響いた。


 背中の羽のうち、蝙蝠のような羽が大きく伸びた。薄く尖った先はやいばのように変化し、スクナビコナの細い首へと向かった。

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