第5話 タケミカヅチ(2)

 まだ日が昇りきらない時間帯――

 武たちは指定された山の麓に集まっていた。

 草についた朝露が、膝から下を濡らす。すねには麻布を巻き、薄い革を挟んだ二つ重ねの草鞋わらじを履いていた。枝や石で怪我をしないように工夫した装備だが、それらが水を吸って重くなっていた。


「びしょ、びしょで気持ち悪いぜ」

 タヂカラオが脛の麻布を引っ張って言う。

「そこら中、沢水が流れてるんだ。どっちにしても足は濡れるぞ」

 ウーは諭すように言った。

 すぐ近くには山肌を流れた沢が集まった川がすぐ側を流れている。ここは広場のようになった大きな河原だったが、膝丈ほどの草が密集しているせいで、朝露が足を濡らすのだ。


 季節は、梅雨が始まるか始まらないかの頃――

 野草や山の木々の発する匂い、川の水の流れる音が周りを囲むように溢れている。すぐそこにある山には、無数の動物の発する気配が濃密に溶け込んでいた。


 この場には、武、ミケヌ、キハチ、タヂカラオ、サクヤ、スクナビコナの六人が来ていた。

 少し離れた向こうには、オモヒカネや英了たち黒牙衆の三人、オモヒカネの妻であるタイメイとタケミナカタにワカミケヌ、そしてお付きの若い衆が五人ほどいた。


 若い衆の足下には十頭ほどの犬がいる。耳は三角形で鼻もすっと前に尖っていた。尾は上に巻き上がり、色は黒や赤茶だ。いずれも精悍な顔立ちをしている。

 犬たちは吠えることなく、黒牙衆の三人の周りをゆっくり走りながら回っていた。


「武さん。何だかわくわくするな」

「そうか?」

 武は笑顔のミケヌに思わず訊ねた。

「ああ。この前のおはぎ作りも楽しかったが、こうしてオモヒカネたちも一緒に狩りに来る日が来るなんて、嘘みたいだよ」

「まあ、確かにそうだな。だが、これほどにしっかりと準備をしてくれたんだ。今日は獲物をたくさん捕るぞ」


「ああ、そうだな」

 ミケヌが頷くのを見て、武は心が温かくなるのを感じた。親友だった健二の息子たちが仲直りしていくのは、やはり嬉しいものらしい。

 頭を掻いて微笑みながら、ふとキハチの方を向いて口を開いた。


「ところでキハチよ。お前の雷はここでは使うなよ」

「まあ、そのつもりだが、なんでだ?」

「犬たちが怯えてしまって猟にならなくなるからさ」

「そんなものか……?」

「ああ。あいつらは特に、元々の野生が強いはずだからな。雷で死ぬと言うことも本能で分かっているはずだ」


「そうか……まあ、でも元々使うつもりはなかったさ。獲物を黒焦げにしてしまってはみんなが面白くないだろうからな。今日はこれを使うつもりなんだ」

 キハチは革で作った投石紐とうせきひもを掲げて見せた。腰に結わえられた革袋には手頃な大きさの小石がたくさん詰められている。


「それならいいな。ミケヌとタヂカラオは何を使うんだ?」

「俺たちはこれを」

 ミケヌは弓矢を掲げ、タヂカラオは身なれれない木製の道具を見せた。途中で折れ曲がった木の棒のようなそれは、表面が滑らかに磨き込まれどこか美しさを感じさせた。


「それはどうやって使うんだ?」

 武がタヂカラオに訊くと、

「こうするんだ」

 タヂカラオはそう言って道具を握った右手を振った。

 一瞬右手の先が見えなくなるほどの速度だった。


 それは、

 ぶん、ぶん、ぶん、ぶん

 と、音を立て、回転しながら飛んでいった。

 ぐるりと大きく弧を描きながら飛んでいく。

 そして、しばらくすると、タヂカラオの手にぴたりと戻ってきた。


「ほう。面白いな」

 武は感心して言った。初めて見る道具だった。

「それは、何て言うんだ?」 

「ミケヌのとこのこんぴゅーたに入ってる……あーかいぶとかいうのにあったんだ。ほら、おはぎの作り方もあれで見ただろ。これはぶーめらんっていうんだぜ」


「ほう。ちょっと貸してみろ」

 武は言うと、そのブーメランを投げた。一投目は途中で落ちたが、二投目は近くまで帰ってきた。

「さすが、武さん。もうできるようになったな」


「いや、いや。さすがに初めて使う物は練習が必要だよ。これはお前の馬鹿力の方があってる」

 武は笑いながらブーメランを返した。よく見ると、タヂカラオは背中にもう一つ大きなブーメランを背負っている。タヂカラオの肩の辺りから尻の辺りまで長さがあった。

「そのでかいのは、何に使うんだ?」

「これか? まあ、何かあった時用だ」


 タヂカラオはそう言うと、背中から外して右手に持って見せた。前腕に太い筋肉と血管がうねるように浮き出ている。

「そんなのを獲物に当てたら木っ端微塵だぞ」

「そうかな……熊ならちょうどいいんじゃないか?」

「うーん。それも怪しいな」

 武は呆れたように言った。


「ところで、武さんは何を使うんだ?」

 キハチが訊くと、

「ん? ミケヌと一緒だ」

 武は背中に背負った大弓を見せた。つるを引くのにコツがあって、武以外には中々使いこなせない弓だったが、上手く使いこなせばかなり遠くの獲物まで矢が届く。


「一緒じゃないよ。俺にはそれは使えない」

 ミケヌは一回り小さな弓を掲げた。

「確かに大きさは違うがな。ミケヌの弓の腕前も捨てたもんじゃないぞ」

「そうなのか? 俺の知ってるミケヌの弓はそこまでじゃなかったが、武さんと大分練習したのか?」


 武の言葉を聞いたキハチが、ミケヌの目を覗き込みながら言うと、

「まあ、自慢するほどじゃないがな」

 ミケヌは胸を反らして言い、それを見たキハチは笑った。


「ところで、スクナビコナとサクヤはどうするんだ?」

 武が二人に訊く。

「見学だ。何もせんよ」

「そうなのか?」

「うん」

 サクヤも頷く。確かに二人とも手ぶらで来ている。


「そもそも、来るつもりは無かったんだ。ミケヌがどうしても来いと言うから来ただけでな」

 スクナビコナが言うと、

「まあ、研究ばかりしてるんでたまには気分転換も必要かと思ってさ」

 ミケヌは頭を掻いて笑った。


「猟のやり方には少し興味もあったしな」

「私は料理するのを手伝うわ」

 スクナビコナとサクヤはそれぞれ言った。 

「サルタヒコたちは来なかったんだな?」

「ええ。何か用事があるらしくて、今日は結局来られなかったみたい」

 サクヤが答え、武は頷いた。


「皆の衆。そろそろ今日の段取りを説明しようと思う。集まってくれ!!」

 黒牙衆の英了が大声で叫び、武たちはオモヒカネたちがいる方へと歩いて行った。

「兄さん!」

 ワカミケヌが笑顔で手を振る。

 武は歩きながら、ミケヌの背中を叩いた。



  ******


 どうも。作者の岩間です。

 キハチ正伝では、1か月ほどのご無沙汰でしたが、ようやく連載を再開することになりました。

 しばらくは1週間に1回程度の更新になりそうです。


 長かった過去編も、いよいよ佳境に入っていくはずです(^_^;

 この先も、お付き合いいただけると嬉しいです。どうか、よろしくお願いいたします。

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