第9話 洞穴(2)

 武が叫ぶのと同時に、目の前に巨大な生き物が這い出てきた。

 巨体をくねらせてやってきたそれは、巨大な蛇だった。鎌首をもたげ、大きく開いた口には、針のような牙が無数に生えている。

「ジャアッ!!」

 おぞましい鳴き声を上げる大蛇からは禍々しい気が漂ってきた。


「こいつ、熱を発しているぞ……」

 ミケヌが身構えながら言った。

 よく見ると、蛇の真っ黒な皮膚には真っ赤なひびが入り、そこから熱気が吹き出している。

「ひいぃああ……た、助けて……い、いやあ……」

 大蛇の背後から切れ切れに悲鳴が聞こえてくる。どうやらアムラの仲間は蛇のいる場所から更に洞穴の奥にいるようだった。


「さっき、神気の網を拡げて探索したときにはアムラの仲間しか気づかなかったが……」

 サルタヒコが怪訝な顔をして言うと、

「今、まさに現れたと考えて間違いないだろう。だが、この禍々しさ。神界から来たものではなく、鬼界からやってきたものに違いない」

 と、アメノウズメが答えた。

「ジャアアアア!!」

 大蛇がまた怒りの声を上げた。頭を後ろに数度しならせると、飛びかかってくる。

「任せろっ!!」

 突如大声が響いた。タヂカラオだった。

 体を低くして、大蛇の頭をかち上げるように衝突する。

 ドオンッ

 という肉が肉を撃つ低い音が響いた。


 大蛇がその場で頭を振りながら立ち往生する。

 タヂカラオが素早く後ずさり、態勢を整える。その腕の皮膚は真っ黒に焦げていた。やはり、あの大蛇の皮膚の赤いひびは高温の噴気を噴出しているのだろう。

「大丈夫なの?」

 サクヤが訊くと、

「ああ、こんなのすぐに治るさ」タヂカラオは笑った。

 言っている側から、タヂカラオの皮膚は再生して、黒焦げの皮膚はボロボロと落ちていく。

「お主も人間離れしておるな……」

「俺も国津神だからな」

 スクナビコナの言葉にタヂカラオが笑って答える。


「まあ、頑丈さでこの男の右に出る者はいないが……それよりも、なぜだ?」

「どうした?」

 疑問を呟くアメノウズメにスクナビコナが訊いた。

「鬼界の化け物がこんなところにいるはずはない。もしや今回の火山の爆発には、鬼界の住人が関わっているというのか……」

「おお、そういうことか……鬼界の住人と言えば、武は会ったことがあるのだろう?」


「ああ。アガタで出会った土蜘蛛だな。あの時は健二やオモヒカネも一緒だった」

 スクナビコナに武は答えた。

「その土蜘蛛とやらが今回関わっているのか?」

「いや。あいつは倒したよ。もし関わっているとすれば別の奴だ」

「むう」

 それを聞いたキハチが唸って、言葉を続けた。

「まあ、分からないことで悩んでいても仕方が無い。今はあいつをどうやってやっつけるかだ。俺の雷はしばらく出せぬぞ……。どうする?」

「まあ、ここは我がやるべきだろうな」

 サルタヒコはそう言うと、腕をまくりながら大蛇の前に立ちはだかった。


「ジャアアアア!!」

 タヂカラオの攻撃の衝撃から回復した大蛇が、再び鎌首をもたげた。

「おい! こっちだ!!」

 大きな声でサルタヒコが大蛇を挑発した。

 大蛇は高温の噴気をまき散らしながら、もの凄い早さでサルタヒコに向かってきた。

 サルタヒコは左右の親指と人差し指を開き、顔面の前で菱形を二つに割ったような形に構えた。

 その指で囲まれた部分は白くもやもやとして穴が開いて見える。

 右手と左手を一気に広げると、その穴も大きくなった。


 大蛇がその強大な顎でサルタヒコに食い付こうとした瞬間のことだった。大蛇の頭がその穴に飲み込まれ、さらに太い胴体までもが穴の中へと消えていく。


 あっという間に大蛇は消え、サルタヒコはパチンと音を立てて手のひらを打ち鳴らした。

 両手の親指と人差し指に囲まれていた穴はすっかり消えていた。


「大蛇は一体どこにいったの?」

 サクヤが訊くと、

「海のずっと向こうへ飛ばしてやったんだ。泳げるのであれば帰ってくるだろうが、陸からは大きく離れているからな……まあ溺れて死ぬだろうさ」

 サルタヒコは言った。

「まさか。お主の力にこんな使い方があるとはな……どうやったんだ?」

 スクナビコナが訊くと、

「これはいつもの黄泉比良坂に行く道を開く技の応用なのだ。違うのは一瞬で全く違った場所へとばしてしまうことだな。時間さえも飛ばしてしまうため、我の力もかなり喰ってしまうが……」

「どこにでも飛ばせるのか?」

「いや。こんな時には、いつも海の向こうへ飛ばしてるよ。もしも、船か何かが近くにいたらびっくりだろうな」

 サルタヒコは笑った。


 ――と、その時、

「お前たちっ! 無事か!?」

 アムラの叫び声が洞穴の奥から聞こえた。どうやら我慢できずに走っていったみたいだった。

 サクヤたちも洞窟の奥へと足を向ける。

 すると、すぐに穴の奥で笑って子どもたちを抱いているアムラを見つけた。奥にはたくさんの仲間もいた。


 洞穴にいたアムラの仲間たちは衰弱し痩せ細っていた。サクヤたちが到着する直前にあの大蛇が現れ、もう命はないものと覚悟していたという。

 サルタヒコは彼らを見回し、

「よく耐えた。それに無事で何よりだ」とねぎらった。

「おお」とか「うう」といったうめき声とも泣き声とも言えぬ答えがさざめくように拡がる。皆、命の危機が去ったことに安堵しているのだろう。

 本当によかった――。

 サクヤは口には出さず、心の中で呟いた。


「それで、その大蛇が現れた以外に、何か変わったことはなかったか?」

「そう言えば、二、三日前に見知らぬ真っ黒な服装の男たちが訪れました」

 サルタヒコの問いに、集団の中にいた青年が答えた。アムラの長男でセイヤだと名乗った。

「セイヤ。そいつらは何か言っていたか?」

「ええ。我々はクロガだと。今回の火山の爆発の様子を見に来たと……そう言ってました」

「クロガ……? そうか」

 サルタヒコは唸った。


 サクヤはそのやり取りを聞いて身震いした。

 クロガとはどういう字を当てるのか。クロガのクロは黒ではないのか。オモヒカネが屋敷で儀式を行ったとき、ヘイヤーという言葉を呟いていた。ヘイヤーとは黒い牙のことを指すのだという。

 何か嫌な予感がした。

 まさか、火山の爆発そのものと関係があるとは思えないが、鬼界の大蛇とオモヒカネは何か関係があるのではないか――

 サクヤはこういったときの自分の感覚が当たることを知っていた。何かよくないことに繋がっていく未来が待ち受けているような気がして仕方がなかった。


「まあ、皆の命が無事で何よりだ。これからフタカミに帰って、タカチホのオモヒカネや海の方のアガタ、北のクマソにも今の状況を話さねばならぬ。おそらく日を空けずに空は真っ暗になり、太陽は閉ざされるはずだ。そうなれば、今まで採れていた農作物も採れなくなるだろう」

「ああ、確かにそうだな。急いで帰って、皆に注意を促すべきだ」

 藤田がサルタヒコの言葉に同意する。


「我々も行っていいのですか?」

「もちろんだ」

 アムラにサルタヒコが笑って頷く。そして岩壁に向かって、手を二回打ち鳴らした。合わせた手のひらをゆっくりと開いていくと、目の前に四角い大きな黒い穴が開いた。

「さあ。行くぞ」

 サルタヒコが促すと、皆、黄泉比良坂よもつひらさかの中へと入っていく。


 サクヤは最後に入った。そして、洞窟の中を振り返った。

 火山の焼け焦げた匂いと熱気が、すぐそこにまで押し寄せてきている。これがフタカミまで来ないという保証はあるのか。もっと大規模な火山爆発が起きる可能性はないのか。

 サクヤは脳裏に過った考えを振り払うと、全くの別世界である黄泉比良坂の中へと入っていった。

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