第13話 決別(1)
屋敷に着くと、何度か会ったことのある若い男が外で箒を掃いていた。
藤田がオモヒカネに話があって来たことを伝えると、すぐにいつもの広間へ通される。
「しばらくお待ちください。今なら屋敷の中におられると思いますので……」
男はそう言うと、屋敷の奥へと消えていった。
広間では板の床の上に稲わらを編み込んだゴザが敷かれていた。俺たちはその上にあぐらをかいて待つことにした。
戸が開け放たれた南側から温かな日差しが差し込み、小鳥のさえずりが聞こえてきた。
「何だかこうしていると、この前のあれが嘘のようですね」
「確かにそうだな……」
俺は健二の言葉に頷いた。
あの溢れるようなおぞましい鬼気。あの時、オモヒカネの左目に向かって八咫鏡が振り下ろされたように見えたが、あの後どうなったのか? 全てが夢の中での出来事だったかのようにも思える。
「この屋敷も来るたびに立派になりますね」
考えに浸っていると、全然違うことを健二が言って我に返った。
俺は苦笑いしながら、壁をぐるりと見回した。
以前は、細く切った竹を雑に編み込んだ簡素な壁だったのに、丁寧に白い土が塗られている。
「木材をこんな風に製材したり、きちんと組み合わせて家を作るのも生半可な技術じゃないはずだがな……。前に来たときは当たり前のように思って気にもしなかったが、これも大したものよな」
藤田もそう言って屋敷の柱を撫でた。
「なあ、藤田さん」
「うん。何だ?」
藤田が屋敷の柱から手を離して俺を振り返った。
「今日話す内容だが……」
「うむ。今日は私に任せてくれないか」
藤田が、強い口調で反応した。
「もちろん、主な部分はそうしようと思っているが……」
「何か気になるか?」
「いや。昔からの友人だからこそ、訊きやすいこともあるだろうが、厳しいことが言いにくいのではないかと思ってな」
俺がそう言うと、藤田は首を大きく振った。
「そうならないように気をつけるよ。もしも、俺の言うことで足りなかったときはその時は頼む」
「そうか。分かった」
俺は頷いた。
しばらくすると、数人が歩いてくる足音が響いてきて、俺たちは居住まいを正した。
足音の主はオモヒカネとタイメイ、そして山田と皆方だった。皆方は訓練を終えたばかりなのだろう。体からは、もうもうと湯気が立ち、汗を流していた。
「いやあ、しばらくだな」
オモヒカネは笑いながら座った。右横には妻であるタイメイがサングラスをかけて座り、後ろには山田と訓練を終えたばかりの皆方が座った。
久しぶりに相対するオモヒカネは精悍な見た目に変化していて、白い上着からは太い腕と鍛えられた胸が覗いている。鬼気は全く感じられず、見た目が少し変わった以外、普通の人間のように思えた。
藤田が頭を掻きながら、切り出した。
「しばらくぶりだが、若返ったか?」
「そうか」
「ああ。痩せたというか、精悍になったな」
「外で野良仕事や武道の練習をしたりすることもあるからな」
「本当か?」
「ああ」
二人は笑いながら、話をした。
「ところで、その目はどうした?」
「これか? これは少しばかり怪我をしてな」
藤田がオモヒカネの閉じている左目について訊ねると、オモヒカネはそう答え、瞑っている瞼を撫でた。
「怪我か……それは大変だったな」
藤田は首を傾げ、オモヒカネの左目を見つめた。声に訝しむような雰囲気が微かに混じっている。
「ところでオモヒカネよ。今日はその名ではなく、黒山さんと、そう呼ばさせてもいたいのだがな」
藤田は厳しい表情になり、突然、切り出した。
「それなら、私もあなたのことはスクナビコナではなく藤田さんと呼んだ方がいいのかな?」
オモヒカネの笑顔が真剣な表情に変わった。言葉遣いも丁寧で改まったものへと変化している。
「ああ。意味は分かるな?」
「古くからの友人として、隠し事をすることなく話そうということかな?」
「ああ、そうだ」
「分かった」
二人とも真剣な顔で頷いた。
俺は正座をし、藤田の横でオモヒカネの表情を見つめた。
「黒山さん。八咫鏡という高天原の道具が、神域の奥にある神殿から無くなったのだ。あの時、一緒に行った山田が持ち去ったのではないかと思うのだが、ここにあるのではないか?」
「ああ、ある。山田は私が為そうとしていることに役立つのではないかとの思いから持ち帰ったのだ」
俺が黒山の後ろを見ると、そこにいる山田は下を向いたまま、こちらを見ようとはしなかった。
「為す? 何をだ?」
「それについては後ほど話そう。しかし、あるのは半分だけだぞ」
「半分だけ? 何故なのだ?」
藤田は鏡が半分に断ち割られていたことをあの時、見て知っている。だが、そのことは伏せて訊ねた。
「分からぬ。ある日、半分になっていたのだ。もの凄く硬い素材でできている故、あれをあんな半分にすることなど、できぬはずなのだ。物の怪か何かのせいだとしか思えぬ」
黒山が話していると、その半分になった八咫鏡を山田が膝立ちでにじりながら持ってきた。黒山はそれを受け取ると、藤田に渡した。
俺は藤田と一緒に八咫鏡を眺めた。表面は硬い金属のようだったが、青銅や鉄ではない。切断面は滑らかでどうやって切ったのか想像もできなかった。
一通り、眺めると藤田は健二に鏡を渡した。健二も裏返したりさすったりして興味深くそれを観察していた。
「黒山さん。お主、これを悪用してはいないか?」
「悪用とは?」
「この鏡は使いようによっては国津神の超能力を吸い取って我がものにすることができるようなのだ。少し前に行方不明になった国津神がいただろう? あれはお主の仕業ではないのか、と訊いているのだ」
「藤田さん! それは失礼だぞ!」
憤る皆方を制しながら、黒山が笑った。
「この鏡にそんな力があることは今初めて知ったよ。もちろん、何らかの力がこの鏡にあることを期待して山田は持ち帰ったのだが、結局は何も分からなかったのだ。行方不明になった国津神であるクラヤマツさんは私も昔からの知人だ。とても心配だが、我々はそのことに関わっていない。その証拠にそれは返そう」
黒山は眉根に皺を寄せ、息を吐いた。
「だが、現に半分になってしまっているではないか。残り半分はどこにあるのだ?」
「藤田さん、本当に分からぬのだ」
黒山が開いている右目だけでまっすぐに藤田を見つめていった。
「そうか……それでは違うことを訊くぞ。鬼気という言葉に聞き覚えはないか?」
「きき? どんな字を書くのだ?」
黒山の表情がわずかに動いた。
「鬼の気だ。何でも高天原の神気と対になる気で、闇の住人が纏うのだそうだ」
「知らぬな」
首を振り、頭を掻く。
「それでは
「ヘイヤー?」
「中国語らしい。大昔に大陸の王をたぶらかした大妖怪の名前だそうだが……」
「いや、知らぬな」
「そうか」
黒山は顔から流れる汗を手の甲で拭った。だが、その表情に大きな変化はなかった。
藤田は大きくため息をついた。
黒山とタイメイが
直感だが、サルタヒコのところの国津神の失踪に黒山が深く関わっていることも、ほぼ間違いないように思える。
「それではもう一つ訊かせてくれ。お主、この国を拠点にして何を為そうとしているのだ? そもそも山田が八咫鏡を持ち帰った理由は何なのだ?」
「ふむ……。まあ、八咫鏡の能力云々が関係ないことは説明したが、私が力を求める理由を知りたいと言うことでいいかな?」
「そうだ。近隣の国を平定し、大がかりな軍隊を持つことの理由を聞きたい」
藤田ははっきりとそう言い、黒山の残った右目をまっすぐに見つめ返した。
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