第7章

第1話 血統(1)

 武見の家にある広い板間――。

 縁側に面した部屋の南側は大きく開け放たれていて、穏やかな日の光が差し込んでいる。

 強い風が庭木の枝葉を揺らす音が聞こえるが、外の世界で聞こえる自動車の音などは一切しない。

 隔絶されたこの世界で、遙か過去の話を聴いてきた丈太郎とフェザーは、話が一段落してほっと息を吐いたところだった。


「あの、武見さん。話を再開する前に、一つ、訊いてもいいかしら?」

 フェザーがおずおずと切り出した。

「おう、いいぞ」

「この武見さんの家って、研究所が時空を飛び越えた影響で出来た場所なんですよね?」

「ああ、そうじゃ。おかげで時空がひずみ、時間の流れが遅くなっておる」

「もしかして、武見さん以外にも生き延びた人がいるんじゃないんですか?」

 フェザーが探るような目つきをする。


「おっと。まあ、そうじゃな……」

 武見が頭をかいて、思案するような表情になった。

「あの。言いにくかったらいいんですが……」

「いや、隠すつもりはないんじゃ。実はもう一人、生き延びた者がいるんじゃが、恥ずかしがりやでな……。まあ、会うべき時が来れば出てくると思うから、しばらくは勘弁してやってくれんか」

「もちろん、それで大丈夫です。その時が来れば分かるのでしょうから」

「そうか」

 武見がほっと息を吐くと、

「ただ、それが誰なのか。今まで武見さんの話に出てきた人なのか、気にはなりますけどね」

 フェザーはそう言って微笑んだ。

「まあ、そうか。それはそうじゃろうな……」

 武見はお茶を一口飲んだ。


「すみません。何だか、フェザーが話の腰を折ったみたいになっちゃって。続きをお願いします」

 丈太郎がフェザーに対して、人差し指で口を塞ぐようなジェスチャーを入れて頭を下げる。

「さて、それでは話を戻していいのかな?」

 武見に丈太郎が頷くと、

「わしがタカチホを訪問するところからじゃったな……」

 武見は話を再開した。

「クマソ討伐の知らせが入った後、落ち着いた健二は研究所に帰っていったのだが、それからしばらくして、わしもタカチホを訪問することにしたのじゃ……」

 再び風が吹き、庭木の枝がざわついた。

 武見は遠い目をして話を続けた。


      *


 健二が研究所に帰ってから一週間後、俺は久しぶりにタカチホを訪ねた。

 タカチホに入ってすぐに、冬になって何も生えていない田んぼの上で、千人ほどの若者が武術の訓練をしているのが目に入った。若者たちは突きと蹴りの簡単な連続技を練習していた。

 近づいていくと、

「タケミカヅチさん!」

 と言って皆方が寄ってきた。

「その呼ばれ方はこそばゆいな。タケミナカタよ!」

 俺は皆方の顔を見て返した。クマソで実際に戦いに臨み、生きて帰ってきたからなのか、その声には自信のようなものが溢れていた。

「立派な鎧だ」

 タケミナカタの分厚い上半身を覆う鎧は、薄い鉄の板と動物の皮を組み合わせて作られた実戦的なものだった。


「出雲の方に鉄を作る人々がいるらしくて、そちらから買った鉄を加工したんです。まだ、貴重品なんで革と組み合わせていますが、オモヒカネ様が指揮官はそれなりの格好をしなきゃいけないって言って……」

「そうか。それは、そうだな。それに軍勢も思っていたよりも大規模だ」

「ええ。以前から我々と一緒に訓練してくれていた者が百名ほどいて、後は最近入った者たちですが、見所がある者が多いですね」

 タケミナカタが腕を組んだ。

「そうか。まあ、これならある程度の戦いも対応できるだろう……クマソでの戦いはどうだったのだ? この者たちは全て連れて行ったのか?」

 俺は練武の様子を注意深く眺めながら訊ねた。


「皆ではないです。元々訓練していた者、百名とさらに見所がある者を百名、合計二百名連れて行きました。今回は国を攻めると言うよりも、この辺りを荒らして回っている賊を退治しに行く感じだったんで、そんなにたくさん連れて行く必要は無かったんです。ただ、ついでに周辺の国々と同盟を結んできました。だから、この軍の中にはクマソの国々の者たちも入っています」

「そうか……」

 俺は感心していた。襲ってきた賊の討伐が主目的で、おまけに周辺の国々と同盟まで結んだのであれば、言うことは何もない。


「しっかり、国を守れるよう鍛えておきますよ」

「ああ。頑張れよ」

 タケミナカタが笑顔で言うのに、俺も笑顔で頷いた。

「さあ、武器の練習を始めるぞ!」

 タケミナカタが大声で言うと、若者たちは剣を手に構えた。それぞれ鉄の剣や青銅の剣を構えている。どれも貴重な金属製だった。

 号令とともに剣を振り始めた軍勢を見て、俺はその軍事力の高さに感心していた。

 俺は軍の練兵を後にし、オモヒカネの屋敷を目指した。


 屋敷に向かう途中の茂みから、突然子どもが三人走り出てきた。

 年の頃は十歳くらいか――。

 完全に気を抜いていた俺は、反射的に立ちとどまると、

「おい、危ないぞ!」と声を荒げた。

「あ。武さん!」

 ぶつかりそうになった子どもたちの一人が俺の顔を見て言った。

「ミケヌか!?」

 目の前にで笑っていたのはミケヌとワカミケヌ、それにキハチだった。


「お前たち、子どもたちだけで来たのか? それにキハチもか?」

「ちょっと、オモヒカネさんに誘われてさ。三人で四日前から遊びに来てるんだ」

「え、そうなのか?」

「そうだよ!」

 キハチが笑って言った。

 俺は意外すぎる出会いに驚き、頭をかいてケタケタと笑う三人の顔を見た。

 俺がオモヒカネの家に行くと言うと、三人ともついてきた。

 歩きながら、

「武さん。最近は魚釣りとか狩りには行かないのかい?」

 と、ミケヌが訊いてきた。


「そうだな」

 俺は腕を組んで話し始めた。

「うちは海沿いだから、川とは釣れる魚は違うが、釣りには行くな」

「へえ。どんな魚が釣れるの? 海の魚は大きい?」

「ああ。最近だとでかい鱸(スズキ)を釣ったな。これくらいはあったぞ」

 俺は手を広げて大きさを示して見せた。

「すげえ!」

 キハチが感嘆の声を上げ、ミケヌもワカミケヌも好奇心で目を輝かせた。

「今度、皆で釣りに来い。海釣りの仕方を教えてやるよ」

 俺が言うと、皆一斉に頷いた。


 そんな風に他愛もない話をしながら、つらつらと足を進めていくと、いつの間にかオモヒカネの屋敷に着いていた。

「おい、オモヒカネよ! 武が、タケミカヅチが訪ねてきたぞ!」

 俺は大声で叫んだ。

 すると、若い男が出てきた。妙に存在感の無い冷たい感じの男だった。白い肌に切れ長の目が、一層冷たさを連想させる。

「これはタケミカヅチさま。それにミケヌ様たちも一緒ですか」

 男は頭を下げると、武たちを屋敷に上げ、広間へ連れて行った。


 程なくして、オモヒカネとタイメイが現れた。

 ただ、オモヒカネたちが現れると、子どもたちは軽く挨拶だけして屋敷の中へ走り去っていった。

「タケミカヅチよ。久しぶりだな」

「タケミナカタにも言ったが、その呼ばれ方は、こそばゆいよ。オモヒカネ殿」

 俺は笑った。

「ところで、クマソの討伐はうまくいったみたいだな。タケミナカタとも話をしたよ」

「おお。もう聞いたか。おかげさまでうまくいった。こちらも少し犠牲が出たから、それはかわいそうだったがな」

「そうか……そうだな」

 眉をしかめるオモヒカネに、俺は頷いた。


「まあ、戦争はしない方がいい。これで平和になるのが一番だと思っているよ」

「ああ、確かにそうだな。ところで、ミケヌたちはよく遊びに来るのか?」

「たまに、呼んでるんだ。ニニギが亡くなってしまってこの国の者たちも寂しいのさ」

 オモヒカネはそう言って笑った。

「ミケヌたちがニニギの血縁だからか?」

「ああ」

「それって、次の王としてワカミケヌかミケヌを考えているってことなのか?」

「ああ。ニニギが亡くなってしまってこのタカチホには求心力が必要でな。本当は健二……いや、ホオリ殿に来てほしいんだが」


「お前が王でいいではないか? 実質そうなんだろう?」

 俺は首を傾げた。

「わしには求心力というか、王としての魅力が少し足りないのだ。まあ、無理にミケヌたちになれと言ってるわけではないんだ。徐々にその気になってくれるといいなと思ってるだけだ」

「そういうものか……」


 俺はオモヒカネがミケヌたちを遊びに読んでいる理由を知って大きく息を吐いた。まあ、そうであれば、健二は来ぬだろうな……。

「まあ、ゆっくり無理せずに進めてくれよ」 

 俺の言葉に、オモヒカネは笑顔でゆっくり頷いた。

 だが、俺にはその表情が、薄い仮面を被っているように一瞬見え、オモヒカネの目を見たが、やはりその表情は読み取れなかった。

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