第10話 別れ

 秋が過ぎ、もうすぐ冬になろうかという季節――。

 俺の家に健二がやってきた。


「久しぶりだな」

「ああ……」

 そう言ったきり、何も言わない健二に俺はいつもと違う雰囲気を感じていた。健二の顔や体には細かい擦り傷があり、服には泥も付いている。

「どうした?」

「いや……」

 そう言って、また健二が黙る。


「何かあったのか?」

 俺は躊躇しながらも、もう一度訊ねた。

「実は、父さんが死んだ」

「何っ!?」

 想像もしなかった言葉だった。

 健二の目から涙が流れ出る。

 外では風が強く吹き、入り口の戸がガタガタと鳴っていた。


「早く入れ」

 そう言って触った健二の肩は、ひどく冷えていた。

 俺は急いで健二を家の中に入れると、家の中心にある囲炉裏の前に座らせた。

 囲炉裏に薪を足すとパチパチと火の粉が爆ぜ、炎が大きくなる。

 とりあえず、沸かしたお湯でお茶を入れると、飲むように促す。


 大ぶりの素焼きのお椀に入ったお茶をしばらく健二は見つめていた。お茶の温かさをお椀越しに手のひらで確かめているようにも見える。

 健二はしばらくそうしていたが、一口だけお茶を口に含むと、その一口をゆっくり飲み込んだ。

 俺は待った。健二が落ち着き、口を開くのを。


 また、ガタガタと戸が鳴った。

 健二が大きく息を吐く。そして、俺の顔を見ると、笑うような泣くような、そんなどちらとも言えないような表情をした。

 ふうっと、もう一度息をつき、

「話すよ。何があったのか……」

 健二はそう言った。そして、訥々と話し始めた。

 タカチホで何が起こったのかを――。


      *


 その日、俺は父親を訪ねて、タカチホにやってきていた。高天原から帰ってきて初めての訪問で、約二か月ぶりのタカチホだった。

 高天原から帰ってきてしばらくは、藤田と四次元世界についての考察を加えたり、四次元世界に行ってしまっている衝突型加速器のパイプを使った実験のシミュレーションが忙しかったのだが、やっと一段落して訪問することができたのだった。


 タカチホに着いて最初に目に入ったのは辺り一面の刈り入れの終わった田だった。

 刈った後の稲の株が、規則正しく整然と残っている。里全体が、沈みゆく夕日の赤に染まり、烏が鳴いていた。以前、来たときには黄金色の稲穂がたわわに実っていたのが、少し寂しい感じがするなと思いながらあぜ道を歩き、俺はオモヒカネの屋敷を目指した。


 屋敷に着くと、オモヒカネや彼の妻であるタイメイと様々な話をした。高天原の話やサルタヒコたちの話、そして近隣の諸国の話まで。

 オモヒカネによると、サルタヒコの国であるフタカミよりさらに北の方にはクマソという地方があり、凶暴な賊もたくさんいるのだということだった。今までも、交易に行く途中でこの国の者が亡くなったような事件もあったらしい。そのため、自警のための備えを皆方さんを中心に行っているとのことだった。


 さらには、これが本題だったのだが、オモヒカネの考えるタカチホの国づくりの方針についても話を聞いた。ざっくばらんに自分の懸念も伝え、オモヒカネの考え方も聞いた。ある程度、権力が集中するのは仕方ないが、民が不自由するほどに重税をかけるようなつもりはないとの説明を受け、ひとまずは安心したというところだった。

 意見交換が終わると、宴席になった。

「ホオリ殿はニニギノミコト様の隣がいいな」

 オモヒカネがそう言い、俺を父の隣に座らせた。父にはさとるという本当の名前があるのだが、ここではニニギノミコトという天津神の名で通している。だが、その名で呼ぶのはよそよそしく感じるため、健二がその名で父を呼ぶことはほとんど無かった


 俺は父の隣に座り、話し始めた。こんなに落ち着いて話をするのは本当に久しぶりだった。

「父さん。特に変わったことはないかい?」

「ああ、大丈夫だ。だが最近は現代のことばかり思い出すよ」

「そうか……」

 俺は父の皺が増えた顔を見て、年を取ったなと感じた。

「しかし、結局、現代には帰れなかったな……」

 父が俺にしみじみと言った。

「父さん、実はまだ諦めてないんだ」

 オレはそう言った。


「そうなのか。藤田さんは何か方法を見つけられそうなのか?」

「うん。まあ、何となくヒントだけはつかんでるって感じかな。俺も手伝ってるよ」

 そう言うと、父親の顔を見た。遠くを見るような表情をしていた。

「帰れるものなら、帰ってみたいが、わしはもう間に合わんかな」

 父親はそう呟いて笑った。

 その後は孫であるミケヌやワカミケヌの話になり、もっと頻繁に顔を見せろという小言ももらった。

 腹一杯酒を飲んだ俺は、その後すぐに寝入ってしまった。

 どれくらい経っただろうか。叫び声や炎の爆ぜる音で俺は目を覚ました。


 ガンッ

 と、打ち合わせるような大きな音がして、家が揺れる。

 俺は急いで起きると、部屋から外に出た。

 外では皆方みなかたが大きな剣を振り上げ、賊と対峙していた。

 俺は、地面に落ちていた石を拾うと、思い切り賊に向けて投げつけた。石が当たり、賊が怯んだ隙に皆方が切り捨てる。


「奥に、ニニギノミコト様がいる。俺はここを守る。見に行ってきてくれ!」

 皆方が健二に言った。皆方の周りでは若い衆が何人も、鉄の剣を持って賊と対峙している。

 俺は頷くと、屋敷の奥へと向かった。途中、賊の落とした石斧を拾う。

「父さん!」

 ニニギノミコトの部屋に付くと、数人の賊が部屋の中を荒らしている最中だった。父は床に倒れている。

 俺が入っていくと、賊どもは俺を突き飛ばしながら逃げていった。

 俺は慌てて父に駆け寄った。

「大丈夫か?」

「いや、もうだめらしい」

 力なく笑う父の体からは暖かい血が流れていた。


「こいつらは誰なんだ?」

「オモヒカネにも聞いただろう。クマソの民の中にこういったことをする荒っぽい連中がいるらしい。おそらくその人たちだろう。争いは何も生まないのにな」

 父が

 くっ、くっ、くっ、

 と、声を出して笑った。

「欲に負け、争いをする。結局、これが人の本質なのからもしれぬな」

 そう言って目を瞑る。

「父さんっ!」

 俺が叫び声を上げたとき、オモヒカネが部屋に入ってきた。

「ニニギは死んだのか!?」

 その表情は憤怒に彩られ、鬼のようだった。


      *


「俺は止めたのだが、クマソの方へ賊退治に出かけることになったんだ」

 健二が力なく言った。

「もうあれは軍隊だ。皆方さんが天津神であるタケミナカタを名乗り、若い者たちを集めている」

「そうか」

 俺は返す言葉が見つからなかった。予想もしない形で、健二が懸念していた方向へ事態は進もうとしていた。


「おそらく、このことをきっかけにオモヒカネは国の範囲を拡げようとするだろうな」

「やはり、そう思うか?」

「ああ。国を安定させ、安全を得るためにそうするだろう」

 俺は言った。

 健二が大きくため息をついた。


 俺は健二の肩を叩き、

「思い悩むな、なるようにしかならない」と伝えた。

「そのことよりも、親父さんは死に際はどうだった?」

「どうとは?」

「辛そうではなかったか?」

「いや。どこか、吹っ切れた感じだったな」

 健二はそう言い、遠い目をした。


「葬儀は済ませたのか?」

「ああ、簡単にだがな。墓も作ってきたよ」

 健二はそう言って頷いた。

 タカチホの方へ行くと、ニニギノミコトの敵討ちに利用されそうで嫌だというので、健二はしばらく俺の家にいることになった。


 だが、オモヒカネたちがクマソの方まで平定したという報せが入るのに、そう時間はかからなかった。六日後にはその報せが来たのだ。

 それはあらかじめ、戦いの準備をしていたのではないかと思えるほどの早さだった。

 その知らせを受けた健二の表情は暗かった。


      *


「なんとも凄い話ですね」

 丈太郎は呟くように言った。

 場所は武見の家の広い板間。囲炉裏の前で、武見は胡坐をかき、その上にトマトが座っている。壁には、使い込まれた槍や刀が掛けてあった。

「ああ。まあ、まだ途中なんじゃが、大分長いこと話をしてしまったな。疲れていないか?」


「はい、大丈夫です」

 丈太郎とフェザーはそう返事した。

「本当に凄い話。でも、何だか懐かしい感じがするわ」

「ああ、そうだな」

 丈太郎がフェザーの感想に同調する。どうにも初めて聞く感じがしなかった。特に、高天原の四次元世界の話などはそう感じる。それは既視感とでもいうべき感覚だった。


「まだ、まだ続きはあるのじゃが、まだ聞きたいかな?」

「ええ、ぜひ」

 丈太郎が答えると、

「そうか。それでは続きを話すとするかの」

 と、武見が言った。

 外では風が強く吹いていた。

「にゃあん」

 突然、トマトが鳴いた。

 まるで、話はまだ序の口だと言われているような感じがして、丈太郎はフェザーと顔を見合わせた。

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