第7話 高天原(2)
「どうじゃ。ここは?」
スサノオがじゃれつくキハチの頭を撫でながら、訊いた。
「ええ。想像はしていましたが、全く想像を超えています。昔、僕らの世界に近づいてきていたときは、向こうの世界がこんな風に見えていたのですか?」
健二が答えた。
「ああ。そうだ。お主たちの世界をちょうど見下ろす形だった。せっかくここに来たのだ。お主たちにも関係あるものを見せたい」
「関係あるもの?」
「ああ。我々についてまいれ」
「はい……」
我々は何のことだか分からないまま、スサノオに先導される形で歩きはじめた。
建物の中に入り、長い廊下を歩いて行くと、やがて石畳の広間に出た。
さらにそこを抜けると2階に上がる階段があった。そこを上がっていくと、外につき出た広い板間があった。落ちないように外側に柵が作ってある。
アマテラスたちに促されてそこに出ると、下を見下ろすことができた。
「こいつは壮観だな」
俺は思わず呟いた。山やその下の世界が重層的に並んで見える。この世界ならではの俯瞰の景色だった。俺が下界の景色に目を奪われていると、
「あそこじゃ」
アマテラスが空のある一点を指し示した。
「あれは!?」
そこを見て、藤田が驚愕した。健二も体を震わせている。
山の上の空に浮かぶようにあったのは、長い、長い銀色の管のようなものであった。二つの管が、かなりの距離をとって存在しており、どちらの管もこちら側に見えている面がスパッと切り落とされているように見える。そして、その管は遙か先にまで続いているようだった。
「研究所の衝突型加速器のパイプだ、建物の切れ目から先がこんなところにあったなんて……」
「何が、どうなっているのかは分からんが、お主たちの世界の機械からあれは繋がったままだぞ」
「確かに、向こうの世界にあるパイプの切れ目は、滑らかな平面になっていた……」
藤田が呟くのを聞いて、俺は研究所の管の切れ目のことを思い出していた。そこから出入りすることのできる壁の切れ目と違い、管の切れ目は透明な壁で遮られているかのようになっていて、中に手を突っ込むことはできない状態だったのだ。
「ただ、お主たちの世界からこちら側まで管の中をつたってきても、管の途中の壁を壊さない限り、高天原には出てこられんがな」
「それは、そうだな」
スサノオの言葉に、藤田は頷いた。
そして、
「結局、あの事故のせいでこうなってしまったということか。この四次元の世界での理が三次元と同じとは思えん。もし、実験をしたらどういう結果が出るんだろうな……」
と言って腕を組んだ。
「実験してみたいですね。電力の問題があるけど」
健二はそう言って藤田の横に並ぶと、一緒に管を見上げた。
「まあ、これが見せたかったものじゃ」
スサノオが言った。
「いや、ありがとうございます。我々もコイツの行き先が分かってすっきりしました。この四次元の世界の在り様を知れるだけでなく、こんなことまで解決するなんて思ってもいませんでしたよ」
藤田が笑顔で頭を下げた。
「そうか。そんなに喜んでくれると、こちらも嬉しいな。ところで、ホオリ殿は我々に訊いてみたいことがあるのだろう?」
スサノオは健二を見た。
「ええ。聞きたいのは、オモヒカネが作っている国のことです。アメノウズメ殿からは聞かれていないのですか?」
健二が言った。
「さわりは説明してある。だが、私の話は正確では無いかもしれぬ。直接説明するのだ」
アメノウズメが言った。
健二は頷くと、言葉を続けた。
「それでは、お話しします。オモヒカネが農耕を始めてしまいました。それも、川から大きな水路を引いてきた本格的な水田だ。あれだと、かなりのたくさんの米ができる。本人はよかれと思ってやっていることだと思います。しかし、富が蓄えられ始めると、それが権力を生む。それが、少し気になるのです」
「なるほどな……。確かに、古今東西、農耕によって蓄えられた富が大きな権力を生んだ例はたくさんある。タケミカヅチのいた大陸では、それが原因で大国同士がいがみ合っておるしな」
「それで、これから先どうなるのか。天津神であるあなたたちなら分かるんじゃないかと思って聞きに来たんです」
「ふうむ……そういうことか。正直に言うが、我々は未来を読むことはできぬのだ。なぜなら、未来は
スサノオが息を吐きながら言った。
「天津神にも未来予知はできないですか……」
「神気の変化が絡む天変地異のようなことは多少、分かるのだが、人の関わりの中で起こる未来がどうなるかは分からぬ。ほんの少しの人の気持ちの変化が、未来に及ぼす影響は大きいのだ……」
「私からも一つ、いいか?」
アマテラスが口を開いた。
「あ、はい」
「スサノオが言うとおり、我々に人の未来は分からぬ。だが、なぜ、そんなに気になるのだ? 理由は何だ? ただ、富が集まることを気にしているわけではあるまい」
「確かに……。実は、オモヒカネが少し変わりつつあるような気がしてるんですよ」
健二はため息をついた。
「どんなふうに?」
「本当に漠然とですが、彼に権力欲のようなものを感じるんです。もちろん、あれだけのものを作るのに、そういった気持ちがないのもおかしな話ですが」
「そうか……それでは一つだけ忠告だ」
「はい」
「人の心には、多かれ少なかれ闇の部分がある。どんなにいい人であってもだ。ホオリ殿が気になっているのはオモヒカネのそんなところなのかもしれぬ。せっかくお主の父上も、オモヒカネと一緒に暮らしておるのだ。しょっちゅう、父上を訪ねて、ついでにオモヒカネとも話せ。それがヤツが闇の方向へ落ちぬ一番の方法だ」
「アマテラス様は、オモヒカネにその闇の部分が多いように思われますか?」
「私がそのことを断定的に語ると、その方向になってしまう。故に断定はせぬよ。だがな、奴には物事の全体を調整する能力というものはあるのではないか? のう、スクナビコナよ」
「確かにそうです。私も、それにはお世話になりました」
「そうであろう。要は方向性じゃな」
藤田が頷くのを見て、アマテラスは笑った。
「何かあれば、サルタヒコやアメノウズメを頼るのだ。まあ、そうならないよう日頃から気をつけておくことが大事だがな」
「はい。ありがとうございます」
健二は頭を下げた。
「さて、あまり役には立たなかったが、よかったかな?」
「一番は、ここに来たかったのです。ですから、大満足です。えっと……」
健二はそう言って、何かを言いよどんだ。
「他にも何かあるのか?」
「その……ここにはアマテラス様やスサノオ様、それに……彼女の他には、住んでいる天津神はいないのですか?」
健二は、アマテラスの横にいる女性をチラリと見ながら訊いた。
「この高天原には他にも天津神がいるよ。ただ、この周辺に住むのは我々だけだ。ずっと離れたところに何人かいるのだが、数は多くはない」
「そうですか。それで、うーんと……」
何か他にも言いたそうにしながら、健二が唸った。
「どうした?」
スサノオが訊くと、
「健二は彼女のことを訊きたいんですよ。あの女性は誰なんですか? やはり天津神なんですか?」
中々、切り出さない健二に業を煮やして俺は言った。
「あ、バカ!」
健二の顔が真っ赤になった。
その様子を見て、そこにいた皆が笑った。
「そうか。挨拶がまだだったな」
アマテラスはそう言うと、女性に挨拶するよう促した。
「トヨタマと申します。十年前、八歳の頃、高天原へ迷い込んでしまい、アマテラス様たちにお世話になっています。以降、よろしくお願いいたします」
深々と頭を下げる彼女の耳は健二と同じく真っ赤になっていた。
*
アマテラスによると、トヨタマは幼い頃この世界に紛れ込んでしまった人間の女で、ずっと彷徨っていたのを助けたのだということだった。なぜ、紛れ込んでしまったのかは分からなかったが、希に起こることらしかった。
天津神の二人は力の大きさが邪魔をして、黄泉平坂を通じた
健二は、やはりこのトヨタマのことが気に入ってしまったようだったが、それは彼女も同様であったようだった。なぜなら、俺が健二の気持ちを勝手に話した直後、心を読むことができるアメノウズメがトヨタマを向こうの世界へ連れ帰っていいかを切り出し、彼女はそれを嫌がらなかったからだった。
この日は、アマテラスたちに促され、屋敷に泊まることになったが、明日には一緒に帰る段取りになってしまっていた。
「健二兄ちゃん、よかったな」
食事を済ませ、そろそろ寝ようかと支度を始めた頃――。寝所として与えられた部屋に遊びに来たキハチが、生意気な顔で言った。キハチはホオリという名前で健二のことを呼びたがらない。武のこともタケミカヅチではなくウーと呼ぶ。なんとなく、そちらの方がかっこいいと思っている節があったが、二人は自然に任せていた。
「何でだ?」
「お姉ちゃんが一緒に帰ってくれることになったからさ」
「それが、何でいいことになるんだ?」
「だってあのお姉ちゃんのことが好きなんだろ?」
「バカ、勝手なことを言うな」
「ああ。照れてる! 照れてる!」
ひとしきり、キハチははやし立てた。
健二が困った顔で頭をかく。
「キハチ、あんま健二をいじめるな」
俺が言うと、
「
キハチは不満そうな顔で行った。
「お前まで嬉しそうだな」
「だって、いい人だって分かるからな。健二兄ちゃんは中々目が高いよ」
キハチはふんぞり返って言った。
それを聞いて、そこにいた皆が笑った。
その後、健二が「枕投げをしようぜ」といい、キハチも入れた四人で枕を投げ合って笑った。
しばらくすると、突然生気が切れたかのようにキハチは寝始めた。
「やれやれ……」
健二はそう言うとキハチを隣に寝かせ、添い寝をした。
俺たちは皆で枕を並べ、目を瞑った。
体は疲れているのに、目を瞑っても、まぶたの裏で四次元の世界の見え方が続いているような気がして中々眠りにつけなかった。
大陸からこの国に流れ着いて、三年近く経とうとしている。全ては夢のようだったが、現実のことだった。
確かに、未来は分からぬな……。
俺は心の中で呟くと、暗闇の中で目を開いた。
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