第6話 高天原(1)
目の前に龍石があった。光は消え、表面に刻まれた龍の彫刻も輝きを失っている。しかし、おかしな事があった。龍石の内部の石の結晶が、幾重にも展開されているように見えるのだ。最初は見間違いかと思ったが、そうではない。灰色と白色の細かい多面体が、キラキラと光りながら広がって見えていている。
俺は目をこすり、足下に咲き乱れる花々に目を移した。すると、それらの一本、一本が、その奥の奥まで見えることに気づいた。それは、なんと表現すればいいのか。透視しているのとは違う。花の中身、全てが、外に向かって展開され、目に入ってくるのだ。花の表面を見ながら、同時に葉脈や茎の中の水の流れ、雄しべや雌しべ、花びらの一枚、一枚が見えているのだ。
俺は、瞬時に溢れる凄まじい視覚情報の量に、目眩を覚えた。
ふと、隣を見ると健二が呆然とした顔でこちらを見ているのが見えた。
「ははは。これは、予想を超える! こんな風に見えるとは……」
健二のはしゃぐような声が響いた。
俺の目に見える健二は、筋肉や骨、内臓はもちろん血管の一本、一本まで、展開されているのに、やはりそれは健二の姿そのものだった。
「健二、お前も俺の中身を見ているのか?」
「ああ……全部ね。すごいね。ここは!」
俺が呆然としていると、
「全くだ。これが四つめの尺度ってやつか……」
藤田が声を震わせて言った。
「藤田さん、感動しているね?」
「ああ。これほど感動しているのは、生まれて初めてかもしれん」
健二の言葉に藤田は頷いた。
「しばらく、ここの見え方に慣れた方がいい。じゃないと歩くことさえままならない。コツは表面を見ようと努力することだ。そうすればいつもの世界と同じように歩くことができるはずだ」
サルタヒコが言い、横でアメノウズメが頷く。
俺も健二や藤田と同じく周りの見え方に目を奪われていたが、サルタヒコの言葉に従い、まずは二人の体の表面に意識を集中してみた。
改めて、目の前で並ぶように展開されている体の中身を無視して表面に意識を集中すると、完全に一緒というわけではないが、なんとか元の世界と同じような視界を確保することができた。
健二たちも周りを見回している。やはり、ここでの目の使い方に慣れようとしているのだろう。
「健二、藤田さん。サルタヒコ殿の言うとおりだ。表面に意識を持っていくと、なんとかなりそうだ」
「そうだね。これはコツみたいなものだね」
健二はそう言って、サルタヒコの方を見た。
「ところで、サルタヒコ殿、ここに来る前、次元の泡の話になったけど、そのときに言っていた鬼界ってのも、ここみたいな感じなの?」
「いや、鬼界は全ての尺度が狂っているというのが正しいのかもしれんな」
「狂っている?」
「ここのように、中身を見ることができるわけではない。だが、例えばまっすぐに見えるものが実際には曲がっていたり、曲がって見えるものが実際にはまっすぐに見えたりするということなのだ。そこにお主たちが言うような四つめの尺度とやらはないが、三つの尺度全てが狂っているように思える」
「へえ、それは、それで面白いね」
「いや。興味本位で行くところではない。物の見え方だけではないのだ。いいことは悪いこと、残酷なことは素晴らしいこと、というように価値観までもが我々とは真逆の世界――。鬼たちが喰らい合う弱肉強食の世界なのだ」
「鬼?」
「ああ。そして、最も忌まわしいのは神気ではなく、鬼気が渦巻いておることだ。普通の人間があそこに行けば、狂い死にしてしまうわ」
サルタヒコが息を吐いた。
「地獄みたいな世界なんだね」
「まあ、地獄という世界のことは知らぬが、そこが鬼の世界なのであれば、似たようなものだと言えるな」
サルタヒコの言葉に、健二は頷いた。
二人の会話から、サルタヒコは何かの理由があって、黄泉平坂を通じて鬼界にも行ったことがあるのだな、と俺は思った。普通の人間であれば狂い死ぬような世界とは、どのようなものであるのか、想像もつかなかったが、恐ろしい世界であることは間違いない。行かなくてすむのであれば、行くべき世界ではないなと思い、俺は身震いした。
「さあて、皆、目は慣れたか?」
サルタヒコが大きな声で訊ねた。
皆が頷くと、
「それではアマテラス様たちに会いに行くぞ。遅れぬようについて参れよ」
と言い、歩き始めた。
サルタヒコが言うように、できるだけ表面だけを意識するようにサルタヒコの後ろ姿を見るが、やはり目に映るもの全てが展開されているように見えることに違いはなかった。少し、気を抜くと体の奥の奥まで外部に展開されている様に目が移る。
すぐ横で健二がスマホとやらで動画を撮り始めた。おそらく帰ったら、この映像を分析するのだろう。喜々として動画を撮影する様はまるで子どものようだった。
健二たちの扱う機械も、最初は魔法の道具のように感じていたが、道具は道具だ。どういう仕組みで動いているのかはさっぱり分からなかったが、慣れてしまうと特に不思議に思うこともなくなってしまう。俺は、健二があれこれと撮影する様に、ため息をつきながらサルタヒコたちに遅れないようについていった。
しばらく歩くと、小高い山の麓にたどり着いた。
「ここを登るぞ」
山を見上げ、サルタヒコが言った。
「上にアマテラス様たちがいるんですか?」
健二が訊いた。
「ああ、そうだ」
俺たちは山を見上げた。そんなに高くはないが、山の中の方までずっと展開されているように見える様は、壮大だった。
山を登り始めると、俺は、ふと体中に駆け巡るように気が充満していることに気づいた。
「これは神気か?」
「武術の達人だけのことはある。やはり、お主が最初に気づいたな」
アメノウズメがそう言った。
「何か違う?」
健二は、アメノウズメの言っていることがピンとこない様子で、首をかしげている。
「まあ、気にしなくていい。だが、そのうち元気になってくるから、嫌でも分かると思うぞ」
俺はそう言って笑った。この神気の量に気づかないとは、それはそれで大したものだなと思いつつ、山を上っていく。
「この山には名前はあるのか?」
俺が訊くと、
「ああ、ある。ここはカササノミサキというのじゃ」
とアメノウズメが言った。
「どういう意味なんだ?」
「さて。昔から言うからのう」
アメノウズメはそう言って笑った。
半時も登っただろうか、しばらくすると、山の頂上が見えてきた。
そこは平地になっていて、大きな屋敷があった。見上げるほどの光り輝く大きな柱を幾つも持ち、広大な屋根がかかった屋敷。それが、内側まで幾重にも展開されて見えるため、ものすごく巨大な屋敷に見える。材質は石が最も近いように思えるが、何なのかはっきりとは分からない。
俺たちはため息をついて、屋敷を見上げた。
すると、ふわっと穏やかな風が吹いてきて、髪をかき上げた。
俺は、あれだけ登ってきたのに息も切れず、汗もかいていない事に気づき、健二たちを見た。健二たちも特に疲れている様子はない。この辺りに充満している神気のおかげであることは間違いなかった。
その時、
「久しいな」
と、背後から声がかかった。
振り返ると、そこにはアマテラスとスサノオの二人が立っていた。たおやかで美しい女性と荒々しい風貌の男。二人とも白い着物を着て、以前に会ったときの姿、そのものだった。
そして、その横にもう一人。長い黒髪の白い着物を着た美しい娘が立っていた。
娘は色白で、高い鼻に茶色の大きな瞳を持った印象的な顔立ちをしている。
「んっん、ん……」
健二が突然、横で咳払いをした。見ると、顔が真っ赤になっている。
気持ちの動きが丸分かりだ。
普段は、研究のことや男が好む狩りのことなどにしか興味を示さない男が、珍しいこともあるものだと、俺は苦笑した。
「お久しぶりです」
健二が顔を真っ赤にしたまま頭を下げた。
キハチがはしゃぎながら走り回っているのを横目で見ながら、俺と藤田もお辞儀をする。
「この三人がどうしてもお二人にお会いしたいというのでお連れしました」
サルタヒコがそう言うと、
「全て分かっている。アメノウズメから話の内容は伝わってきたからな。二人はこの世界の在りようも気になっていたのだな?」
とアマテラスが言った。
心で思ったことを伝えるテレパシーとやらで、アメノウズメから話が伝わっていたというようなことであるらしい。
アメノウズメが頷くのを横目で見ながら俺は思った。
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