第5話 出発
サルタヒコの屋敷の裏手にある岩山――。
まるで一枚の大きな岩で出来ているかのような岩肌の前に、サルタヒコ、アメノウズメ、キハチ、藤田、健二、武の六人と屋敷で働いている若者たちが数人、立っていた。
「これもすごいな。岩山の頂上は全く見えないや」
健二は呟いた。
岩肌には、背の低い雑木や苔が生えていて、ちょうど目の前の高さに大きな
「やはり、
藤田が訊くと、
「そうだ。高天原にはここからしか行くことはできない」
サルタヒコが頷いた。
サルタヒコは、岩山の直前まで歩いて行くと、一礼し、両手のひらを二回、打ち鳴らした。
空気が激しく振動し、岩肌が音を立てて揺れた。
両手を少しずつ開いていくのに合わせ、岩肌の注連縄が張られた少し下の方に四角い真っ黒な穴が開いていく。
前腕には太い血管が浮き彫りになり、汗を滴らせる。
やがて、その穴は大人が通れるほどに大きくなった。
「よし、行くぞ。皆、遅れぬようについてまいれよ」
サルタヒコは穴の縁に手をかけ、体を引き上げるように入ると、手を伸ばしてキハチを引っ張り上げた。
続けて、藤田、健二、俺の順番で入る。
最後に、アメノウズメが入り、穴が閉じた。
暗く濃密な空間に、白い道が延々と続き、所々にある大きな石が微かに光っていた。
前に来たときと同じだな。
健二はそう思いながら、歩を進めた。
どこか、ふわふわとした足取りまでが一緒だ。やはり、ふだんの我々の住んでいる世界とは違う空間なのだということが実感として分かる。
所々に置かれている光る石を起点にして、道が幾重にも分かれていた。
サルタヒコは、時折、足を止め、光る石を触っては、道を選んでいく。
「叔父さん! 俺を呼んだってことは、あそこに行くのか?」
「ああ、そうだ」
キハチの問いにサルタヒコが頷く。高天原に行くために、どうやら、キハチにも役割があるようだった。
今、六歳くらいだろうか――。
毛皮の上着を着て、両手を頭の後ろで組み合わせている姿を見て俺は思った。
キハチに初めて出会ったのは、今から二年と少し前のことだった。狩りに行った山中で、三歳くらいにしか見えない男の子が雷撃を出し、鹿を倒したのを目撃したのが初めての出会いだった。しかし、今、サルタヒコのすぐ後ろを、てくてくとついて歩くキハチは、年相応に可愛い子どもに見えた。とても、そんな力を身に秘めているようには思えない。
「さあ、着いたぞ」
サルタヒコが一際大きな石の前で、そう言った。
巨大な石の表面には、立派な龍の彫り物が刻み込まれている。
「ウズメ、キハチ。二人とも手伝ってくれ」
サルタヒコがそう言うと、二人も石の前まで歩み出た。
石の周りを三人で囲むと、皆、両腕を左右に拡げ、手のひらを石に向けた。
「何をするんですか?」
健二が訊いた。
「まずは場所を探る」
「場所?」
「ああ。高天原は大きな泡のようなもので、この我々の世界と近づいたり離れたりしているのだ。そのために最初はどこにあるのか、調べる必要があるのだ」
「それは、本当の意味で物理的に、その泡のような四次元の世界が、この我々の世界を漂っているということですか?」
健二が顎に手を当てて訊いた。
「いや、そうではない。我々の世界と高天原は、ともに無の世界に浮かんでいるというのが最も近い。お主たちが、アマテラス様たちに会うたときは、まさに二つの世界が重なっておったのだ」
「もし、それが本当なら、他にも、その無の世界を漂っている次元の泡があるのではないか?」
藤田が訊いた。
「その通りだ。高天原、つまり神界と対になる鬼界というものがある」
「鬼界?」
「ああ」
サルタヒコが答えた途端、三人の手のひらから、白い光が迸った。
「兄ちゃんたち、しばらく黙っててくれ。これ、結構疲れるんだよ」
キハチはそう言うと、大きな犬歯をむき出して、にやっと笑った。
俺たちは、黙って事の成り行きを見守った。
「よし……」
サルタヒコがそう呟き、
「もう、いいぞ」と他の二人に声をかけた。
やがて、三人の手のひらから出る光が止んだ。しかし、石そのものの発光する白い光は目映いほどに光り続けていた。
「ホオリ殿たち、三人とも、それぞれ俺たちの間に一人ずつ入ってくれないか」
サルタヒコが言った。
俺たちは言われたとおり、サルタヒコ、アメノウズメ、キハチの間に一人ずつ入った。ちょうど、六人で大きな光る石を囲むような形になった。
「手を繋ぐぞ」
言われたとおりにし、俺はキハチとサルタヒコの間に入った。
手を繋ぐとキハチがニッと笑う。
「もう、その高天原の場所はつかんだんですか?」
「ああ。この石……龍石が導いてくれるよ。いいか、皆で心を一つにするんだ」
サルタヒコがそう言った途端、目の前が白い光でいっぱいになった。石の光がより一層強くなったのだった。
「遙か、先の世界の果てへ
そして、神々の住みたもう神界へ
朗々とサルタヒコの言葉が響き渡り、
脳裏に、真っ暗な世界を切り裂くように突き進む龍の背中が閃いた。
気がつくと、目の前にあるのは白く光る石などではなかった。
我々六人は、巨大な龍の背に乗る運命共同体だった。
振り落とされないように、必死になってしがみつく。
どれくらい、そうしていたのだろうか。
リン、リン、リン
と、鈴が鳴るような音が響いた。
そして、突然、目の前の景色が明るくなった。
最初に気づいたのは、むせるような花の香りだった。
気がつくと、見渡す限りの花畑の中に、六人はいた。
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