第3話 四次元(1)

「あれは健二と久しぶりに酒を飲んだ次の日だったな……」

 武見は遠い目をして、話し始めた。


      *


「うーん」

 あくびをしながら、大きく伸びをする。

ウー。まだ、酒が残ってるね?」

「分かるか?」

「いつもの隙のない歩き方とは全然違うからね」

「今は隙だらけか?」

「うん」

 俺は健二を軽く小突いた。

 昨晩は久しぶりに家を訪ねてきた健二と、しこたま飲んだのだった。

 俺たち二人はひとしきり笑った。


「それにしても、健二が持ってきてくれた酒はうまかったな。ちょっと強かったが……」

「そうかい。あれは、いわゆる芋焼酎ってやつなんだ。蒸留酒っていう特別な作り方をしててさ」

「ふうん。たくさん作れば、みんな欲しがるな」

「そうかな」

「ああ」

 俺は頷いた。 

 目の前では黄金の稲穂が風に吹かれ、傍らには着古した白い上着とジーンズとかいうものを着た健二が立っている。


 俺の住む海辺のアガタから、健二たちの住む研究所へと移動する途中――。健二の父親であるニニギノミコトとオモヒカネの治める国へ立ち寄ったのだった。

 二年前から開墾されてきた土地は、一面の水田と住民たちの住居が立ち並ぶ立派な里へと変貌し、草や雑木で一杯だった元の面影は今やない。


ウーは自分の国に帰りたくはならないの?」

「どうした? 突然」

 俺は訊いた。

「いや。懐かしくならないのかなと思ってさ」

「前はそういうことも思ったが、今は思わないな……」

「何で?」

「さあ。何でかな」

 俺はそう答えながら、健二たちが近くにいるからさ、という言葉を飲み込んでいた。改めてそんなことを言うのが照れくさかったからなのだが、健二は首をかしげながら何回も訊いてくる。


「しかし、オモヒカネも国造りをうまくやったな」

 辺り一面の稲穂を眺めながら、俺は話題を変えた。

「まあね。でも、本当に大変なのは、ここからかな……」

「何か心配なのか?」

 反射的に健二を見る。その目は、遠くを見ていて思いにふけっているような表情に見えた。

 健二の顔を見ていると、突然、歓声が上がった。

 田んぼの向こう側で、子どもたちが走り回っている。

 さらにその向こうに大きな建物が見えた。健二の父であるニニギノミコトとオモヒカネたちが住む屋敷だった。

「うーん……。ねえ、武に訊きたいんだけど、大陸では貧富の差はなかった?」

「たくさんあったな」

 俺は答えた。一握りの権力者と、重い税によって常に飢えている民。そんなことはたくさん見てきた。


「だよね。こうやって農耕をしていくとさ、確かに食料は安定するんだけど、これが富になって権力者に力を与えるんだよね」

「それは、そうだろう。あまり深く考えたことはなかったが」

「これが生み出す貧富の差が、国を安定させもするし、戦いを生んだりもする」

 健二が、稲穂を手のひらにのせて言った。

「確かに……。俺のいた国も、それが原因で侵略され、滅びたといっても過言ではない」

「最初はそんなつもりじゃなかったはずなんだ。ただ、食料の安定を目指して始めたはずなのに、富がもたらす力がその目的を歪めてしまう。歴史上、そんな例はたくさんある。だから、そうならないように……。それだけは気をつけようと思ってる」

「そうか」

 武は健二の言うことに頷きながら、それを青臭い理想論だとも思った。富の収奪は人の本能のようなものだ。大陸ではそれが原因で、悲惨なことになった例をいくつも見ている。だが、そんなことを言う健二だからこそ、好きなのかもしれなかった。


 太陽が山の向こうへ傾こうとする手前の時間。

 一面の稲穂が、茜色に染まりつつあった。

 何とも言えない余韻の中、しばしの沈黙が続いた。

 ざあっ

 と、辺り一面の稲穂が鳴る。強い風が、稲穂を撫でていったのだった。

「ところでさ……」

 健二がおずおずと話を切り出した。

「サルタヒコ殿のところに行きたいんだよね」

「フタカミへか?」

 俺の問いに、健二が頷く。

 フタカミというのはサルタヒコの治めている国津神たちの住む国のことだった。

「サルタヒコ殿に用事か?」

「いや……。ああ、でも、そう、なのかな」

 健二が一瞬、言い淀んだ。


「あの、天津神の住む世界、高天原に行ってみたいんだ……」

「前にも、言っていたことがあったな」

「ああ、言ったことがあったかな。何ていうか、物理学者の端くれとしては、四次元の世界っていうのに興味があってね。ぜひ、行ってみたいんだ。スサノオ様たちは、すぐにまた会えるようなことを言っていたのに、あれから全く気配もなくてさ」

 まだ、あれは健二たちがタイムスリップしたばかりの頃だった。健二と部下のマオと一緒にアマテラスとスサノオに会った。あの時、あの二人は高天原にいながらこちらの世界にもいるのだと言っていた。それは、不思議な体験だった。


 二人に近づこうと一歩踏み出すと、少しだけ遠くにいる。

 次の瞬間には、ものすごくそばにいる。

 二人の気配はあるが、身体の発する生気が極端に弱いのだ。

 彼ら曰く、

「今、我々はこの次元に重なる高次元の世界にいるのだ。だが、場所はここにいる。分かるかな?」

 とのことだった。

 健二が言うには、

「上から鳥の目で見て、同じような場所にいる二人がいるとしてさ、でも実際には高い場所と低い場所にいるとする。高い場所にいる人から低い場所にいる人は見えやすいけど、低い場所にいる人から高い場所にいる人は見えにくいだろ?」

 ということだった。

 つまり、あの時、彼らは高天原にいながらこちら側に干渉していたということが、現象としては一番近い。というのが俺の理解だった。そして、彼らから我々のことはよく見えるが、我々からは見えにくい――。


「それで、サルタヒコ殿にどうやったら高天原に行けるのか、訊きに行くってことか?」

「ああ、そうだ。時空の狭間にある道だという黄泉比良坂よもつひらさかを自由に行き来できる彼なら、会う方法を知っているかもしれない」

「ふうん。ところで、また訊くが、結局、四次元てなんなんだ?」

「簡単に言うと、一本の線の世界があるとして、それを一次元。そして、平面の世界があると仮定して、それを二次元ていうんだ。三次元は奥行きがある世界。まあ、俺たちの住むこの世界のことだけど、四次元ていうのはさらに別の尺度のある世界ということなんだ」


「別の尺度?」

「ああ。その尺度が何なのかは行ってみたいと分からないけどね」

 俺は健二の言っていることが、少しだけ分かったような気がした。今のこの世界にある縦、横、高さのように、三つの尺度で測ることのできる奥行がある世界。それが三次元で、四次元の世界では何らかの違う尺度があるということなのだ。

「その四つ目の尺度っていうのは、想像もつかないのか?」

「うーん。これはあくまで、例えばの話だけれど、四次元の世界は、奥行を横からも見れる世界というか、全てを中身まで透視できる世界というか……そういうことなんじゃないか、と想像はしてるんだけど」


「全く想像もつかないな。それに、一本の線の世界とか、平面の世界とか、そんな世界あるのか? あったとして、そんな世界で生きているものってどんな生き物なんだ?」

「まあ、そういう三次元よりも低次元の世界があるかどうは正直、俺にも分からない。だけど、四次元の世界はあるんだよ。神界、もしくは高天原って呼ばれる世界がね」

 健二が真剣な顔で言った。

「つまり、こういうことか。要は健二の知識欲を満たしたいってことだな?」

「まあ、そうなんだけどさ」

 健二が肩をすくめる。

 俺は頭をかいた。


「付き合ってくれるよね?」

「まあ、健二のたっての願いなら仕方がないな」

 俺は笑って頷いた。

「もう一つ……。実は、うちの研究室のリーダーの藤田さんも行きたがっててさ」

「おお。あの変人か!」

 俺は言った。藤田は研究の虫でいつでも研究所にこもって、何かの実験みたいなことをしている。

「そんな、言わなくても。まあ、でもあの人ほど、知識欲が旺盛な人はいないかもね」

 健二が笑った。

「さて。じゃあ、ここまで来て挨拶をせずに帰るっていうのもおかしいし、親父とオモヒカネ殿、タイメイ殿にご挨拶してから帰るとしよう。彼らが頑張って作ったこの国、タカチホが末永く続くように応援する気持ちを込めて」

「じゃあ、そうするか。ホオリ殿!」

「二人の時はその呼び方は止めろって言ってるだろ! タケミカヅチッ!」

 健二と俺はじゃれあうようにしながら、丘の上の屋敷に向かって歩き始めた。

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