第2話 迷い家(2)

 一本道の真ん中にトマトは座り、丈太郎たちを見ている。

 トマトのすぐ後で、道は行き止まりになっていた。

 そして、その向こう側にあるのは、現実とは思えないほどの巨樹だった。茶色いひび割れた樹皮の上に、分厚い濃緑色の苔が生えた幹は、大人が十人で手をつないでも囲めないほどに巨大だ。


 幹に沿って見上げると、遥か上の方にまで木は伸びているようだったが、高さがどれくらいなのかはみっしりと交差している枝のせいで分からなかった。

「なんてこった。こんなでかい木が現実にあるなんて……」

「凄いものを見たわね」

「ああ」

 丈太郎とフェザーはため息をついて言った。


 ふと、巨樹からトマトに視線を戻すと、目が合った。

「にゃあん」と鳴くと、首を振って巨樹の後へと歩いて行く。

 ついてこいと言われたような気がして、丈太郎は急いでヘルメットを脱ぎ、バイクを降りた。フェザーも続く。

 トマトを追いかけていくと、木の後の根元には小さな木造の玄関があった。曲がりくねった木を皮だけむいて組み合わせたような簡素な造りだったが、がっしりとしていて風格を感じさせる。

 玄関の木組みには巨大な根が絡みついており、家そのものはまるで巨樹に飲み込まれてしまっているかのようだった。


「ここは、何だ?」

 丈太郎は呟いた。

 二人が呆然としているのに構わず、トマトは入り口の隙間から中へと入っていく。

 丈太郎とフェザーはすぐに後を追いかけ、入り口の引き戸を軋ませながら開けると中へと入った。


 靴を脱いで家に上がり、トマトを追いかける。すると、すぐに板敷の長い廊下に出た。トマトが廊下から部屋へと入っていくのが見える。

「こいつは、まるで遠野の民話にある迷いだな……」

 丈太郎は呟いた。

 迷い家とは、岩手県の遠野に伝わる山中の不思議な家のことだ。民話では茶碗の一つも持ち出せば長者になれると伝わっている。


 トマトの後を追いかけていくと、板間の広い部屋に出た。

 部屋の真ん中にある囲炉裏の前で、一人の白髪の老人が座っていた。胡坐をかく足の上に、トマトが座っている。

「おお、来たか」

 武見は笑いながらそう言った。

「武見さん……」

「ちゃんと、トマトについてきてくれたな。迷わんでよかった」


 丈太郎は武見の言葉を聞きながら部屋を見回した。壁には、使い込まれた槍や刀が掛けてあった。

「ここは、武見さんの家なんですか? あの大きな木の根元にあった玄関から来ましたが……中に入ってみると広すぎて、てっきり妖怪か何かに化かされたのだと……」

 丈太郎が笑って言うと、

「ああ。主たちが来るのを待っておったよ」

 武見はそう言ってほほ笑んだ。


「ここに来るまでの間、空間が歪むような、少し酔うような感覚を味わいました」

「うむ。ここは、時空が歪み、時が流れるのが遅くなっている場所だからな。周りにも特殊な結界がはってあるため、普通はここまではたどり着けぬ。そして、あの巨樹のある場所からして、その結界の中にあるのだ。あそこにある玄関からこの屋敷には繋がっておるが、ここ自体さらに次元の狭間にある。そのため、玄関の大きさから想像できぬくらい屋敷も広いのだ。そこを開けてみなさい」


 丈太郎は促され、障子を開いた。すると、そこには雑木が生え、いくつかの大きな石が並べられた簡素な庭があった。石には分厚い苔がびっしりと生えている。自然が作り上げたような落ち着く雰囲気がそこには流れていた。

「信じられない……だが、これが現実か」

 丈太郎は大きく息を吐いて言った。

「ふむ。ところで、わしが話したこの事件にまつわる話は、神山から聞いているのだろう?」

 武見が言っているのは内閣情報調査室の神山に、武見が話した過去の話のことだ。

 丈太郎とフェザーの二人は、ゆっくりと頷いた。


「もちろん聞きました。今回の一連の事件は、今から約二六〇〇年ほど前に現代の人間たちがタイムスリップしたことに端を発すると……。そして、そのタイムスリップした人々の中の一人がオモヒカネを名乗り、この事件を引き起こしたのだとか。さらに、アメノトリフネに乗ってこの時代へと逃げてきたオモヒカネを追いかけて、遥君もこの時代に来た。しかし、その時のショックが原因なのか、記憶を失っているということです。あと、武見さん自身は過去の人間だが、タイムスリップとは違う方法でこの時代まで生き残ったと聞きました」


「うむ」

「この家自体が、その方法なんですね? どれくらい時が流れるのが遅くなるんですか?」

「心配しておるのか?」

 武見が笑った。

「まあ、少しだけ……。ここの時の流れが遅いということは、ここで過ごした時間はわずかでも、外に出ると何十年も過ぎている可能性もありますからね」


「心配するな、と言っても、心配になるか……。わし自身が、二六〇〇年の時を超えているわけじゃからな」

「ええ」

「まあ、本当のところを言うと、ここの時間の流れの速さは外の約十分の一といったところじゃ。ここで一時間過ごせば、外では約十時間経っておる計算になる」

「え、それだけですか?」

 丈太郎が意外そうな顔で訊いた。


「おう。と、いうことで、二六〇〇年の時を超えるためには、ここの時空の歪の分だけでは足りんでな。ほかの方法もとったのじゃが、その話は、また、おいおいじゃな……」

 武見が再び笑った。そして、さらに話を続けた。

「聞いておるとは思うが、オモヒカネは最初は真面目に国造りに取り組んでおったんじゃ。少なくともわしらにはそう見えとった。じゃが、途中からおかしくなった。健二の二人の息子、ミケヌとワカミケヌのうち、弟のワカミケヌをそそのかし、この国を恐怖で支配しようとしたのだ。最初からそういう悪だくみがあったのか、権力を握ってしまったからそうなってしまったのかは分からぬがな」


「それで、元々の仲間が中心となったミケヌ側とオモヒカネの勢力であるワカミケ側に分かれて戦うことになったんですよね?」

「まあ、ざっくりというと、そういうことじゃが、そう単純なことでもなくてな……」

「現実は色々あるということですか?」

「まあ、そういうことじゃ」

 武見が大きく息を吐いた。

 丈太郎は武見の顔を見つめた。武見の表情はどこか悲しげにも見えるし、思いにふけっているようにも見える。


 しばらく、無言が続いた。

 静寂を破ったのは、フェザーだった。

「武見さん。いえ、タケミカヅチ様……。私たち二人を呼んだのは、その色々について、詳しい話がしたかったからじゃないんですか?」

 武見がフェザーの顔を無言で見た。

「にいいいっ」

 トマトが突然鳴き声を上げ、

「うむ」

 武見が頷いた。


「フェザーさん、その通りじゃ。お主たちだからこそ、話しておくべきだと思ったんじゃ。細かい話をな。お主たちには知る権利がある」

 武見が大きく息を吐いた。

「どういうことです?」

 問い詰めようとする丈太郎をフェザーが制した。

「さて。やはり、健二との話から、すべきなんじゃろうな……」

 屋敷の外で風が吹き、板戸がガタガタと鳴った。

 武見は遠い目になると、ゆっくりと話し始めた。

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