第10話 精霊夜行(2)
「もういっちょ来い!」
タヂカラオの野太い声に合わせ、肉体と肉体のぶつかり合う音が響く。
俺は、友人のキハチ、そしてタヂカラオと相撲を取っていた。
横では武術の達人で俺たちの親代わりでもあるタケミカヅチが相撲を見守っている。
地面に木の枝で丸を描き、簡単な土俵に見立てて、相撲をする。
今、俺が相撲を取っているタヂカラオは力が強く、その太い足は地面から根が生えたように中々動かなかった。自分よりも頭一つ大きいこの男は、まさに筋骨隆々という言葉が似合う国津神で、心を許せる親友の一人だった。
一旦、距離を取ってもう一度ぶつかる。
岩のような筋肉が、腕の中で動く。圧倒的な力の塊を抱きしめているような錯覚に陥るほどだ。
相撲だけなら、キハチも勝つことができないのだ。タケミカヅチだけが、身に着けている武術の技を使っていい勝負をするのだが、毎回勝てるというわけではない。
もうすぐ、夕日が山の向こうに沈もうとしている時間帯――。
すすきが揺れ、虫が鳴いている。
「もう、やめよう」
タヂカラオがそういった言葉に、俺は頑として頷かなかった。
「次で、最後だ」
「さっきも、そう言ったじゃないか」
「今度こそ本当だ」
「本当だな?」
タヂカラオは、念を押すようにそう言うと構え直した
「おい、何であいつあんなに頑張るんだ?」
「いや、分からぬ」
キハチとタケミカヅチの話す声が聞こえる。俺はその声に構わず、真剣な顔で構えを取った。
「まあ、男だし、しゃあないか」
キハチはそう言いながら、土俵に上がると俺とタヂカラオの間に立った。頭をぼりぼりとかきながら、右手を上にあげる。
「はっけよい!」
キハチが声をかけた。
「残った!」
声に合わせ、俺は真っ正面から突っかけた。
受け止めたタヂカラオの足が、後ろにずり下がる。
「おいっ! 手を抜いたら容赦しないぞっ!」
俺が叫んだのに合わせ、タヂカラオが前に出た。一気に土俵際まで押し込む。
その力に、俺は懸命に耐えた。ふくらはぎと二の腕に、太い血管が浮き出る。
「うおおっ」
一歩、二歩と押し返す。
「おっ、おっ!」
タヂカラオが驚嘆の声を上げる。
――あと、一歩。
踏み出そうとした瞬間、力の流れを利用され、タヂカラオに投げ飛ばされた。
俺は二回転ほどして、地面の上に座った。
「おいっ、ミケヌ!! 大丈夫か?」
タヂカラオが慌てて駆け寄る。
「ちっとは力を抜け! この馬鹿力め」
タケミカヅチとキハチが口々に言いながら、俺のところへ来る。
「ははははは」
俺は笑っていた。楽しくてしょうがなかった。
「風が気持ちいいな」
俺は言った。
「よかった。大丈夫そうだな」
タヂカラオが笑った。
キハチとタケミカヅチも笑い声を上げる。
赤く染まった山の尾根が徐々に深緑色へ変化していく。辺りの景色が夕闇へと変化していく中、俺たちは皆で笑った。
「おれは、キハチとタケミカヅチ、タヂカラオが好きだあっ!」
俺は、唐突に山に向かって大きな声で叫んだ。
「お前なあ、突然なんてこと言い出すんだ?」
キハチが、また笑った。
タヂカラオも嬉しそうな笑顔を浮かべている。
「いいじゃないか。言いたくなったんだ」
俺は頬を膨らました。
「じゃあ、俺も!」
タヂカラオが胸をいっぱいに膨らませ、声を発しようとした瞬間、
「俺もおおお、ミケヌとタケミカヅチィッ、タヂカラオが好きだぞおおお!」
割れんばかりの声でキハチが叫び、その声は山々にこだまのように響いた。
「おい!」
タヂカラオが間髪入れずに突っ込みを入れると、四人は顔を見合わせ大笑いした。
「よし、四人は、互いに死ぬまで一緒だ!」
俺はそう言うと、キハチとタヂカラオと肩を組んだ。
傍らで俺たちを見守るタケミカヅチも笑っていた。
幸せだった。
*
「遥! 一人で何をしているの!?」
佳奈の声で突然、元の世界へと引き戻される。
俺は、タヂカラオと相撲を――。
いや、違う。確か、森の中を精霊と一緒に歩いて――
「今、毛むくじゃらの奴と相撲を取ってたんだ」
「え? 何もいないわよ!」
佳奈が驚いた顔で言う。
遥は慌てて辺りを見回した。
Tシャツやジーンズが土俵の土で汚れているが、周りにあんなにいたはずの精霊たちはいなくなっていた。
佳奈は、いつの間にか家にいなくなっていた遥を探してここまで来たのだと言った。
「よくここが……」
分かったな? と言いかけて、佳奈の持つ第六感のような勘の良さを思い出す。遥はキハチやタヂカラオとの話は伏せて、精霊たちと相撲を取ったところまでを話した。
「ああ。そういうこと、あるかもね」
佳奈が納得したように言う。
「信じるのか?」
「うん。て、いうか。その子たちに、私も会ったことあるからね。もう子どもの時だけど」
佳奈はそう言うと、遥の服に着いた土を払った。
なんでも、まだ幼いころ、友人と約束して夕方にここに来た時に、友人が約束どおりの時間に来なくて泣いていたら、精霊たちが現れて慰めてくれたことがあったんだそうだ。その時も、友人が来た途端に、精霊たちは消えてしまったらしい。
「さあ、帰ろう。彼らは悪いものではないから安心して。でも、次から夜中にひとりで散歩するのはやめてね」
「ああ、分かった」
遥はそう言うと、佳奈と一緒に歩き始めた。
歩きながら、過去の記憶の断片を反芻する。剣道場で思い出した記憶よりももっとはっきりとしていた。ここの神社一体の山の力のせいなのかもしれなかった。
ミケヌ。それが俺の名前――。
それは、この地に伝わる古い民話に出てきた名前だ。キハチという鬼を退治する伝説。伝説では、キハチを退治するのがミケヌノミコトということになっている。しかし、実際には戦うような関係ではなかった。それどころか――。
遥は、胸につかえていたものが取れたような、すっきりとした気持ちになっていた。
キハチ、それにタヂカラオとタケミカヅチ。俺のかけがえのない友だ。
遥はそう心の中で呟くと、佳奈と一緒に軽い足取りで家へと帰っていった。
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