第9話 精霊夜行(1)

 深夜――。

 夏の虫が鳴いていた。

 網戸から心地いい風が吹き込んでくる。

 遥は何度も寝返りを打ち、無理やり目を瞑って眠ろうと苦しんでいた。

 暑くて眠れないわけではない。佐藤との戦いのせいだった。体も心も興奮し、そのせいで寝付けないのだ。

 もう、何時間もこうしてもがいていたが、遥は意を決して起き上がった。そして、音を立てないように、そうっと着替え始める。

 どうせ、眠れないのなら、行ったことのない方向を散策してみようと思ったのだった。


 ジーンズとTシャツに着替えると、音を立てないように気を付けて外に出る。

 佳奈も祥子もよく寝ているらしく、部屋の前を通るときにかすかに寝息が聞こえてきた。

 スニーカーをつっかけて外に出ると、空には真ん丸の満月がかかっていた。月光で辺り一面、照らされ、景色の隅々までよく見える。

 優しく風が吹いていて、気持ちがいい。

 

 遥は家の前の細い道を歩き始めた。

 十分も歩くと、土を踏む音が硬い音へと変わった。

 コンクリート舗装の細い路地。秋月家の周りと違って、所々に家が建つ中にある道を、高千穂の街中とは反対の方向へと歩いた。


 青い月の光に照らされた路地を歩いていると、大きく白い光の玉が所々に漂っていることに気付いた。蛍の光とは違う。大きな白い光の玉だ。

 普通、見たことのないものに出会うと恐怖感を感じそうなものだが、不思議とそういう感情は湧いてこない。

 近づくと、白い球の中心に羽の生えた小人がいるのが見えた。遥と小人の目が合うと、溶けるように白い光の玉が消え、小人が直に見えた。

 ――と、周りに浮かんでいた白い光の球も次々に消え、中に隠れていたものが出てきた。


 羽の生えた小人だけではない。小さな幼児くらいの大きさのもふもふの毛玉のようなものもいれば、身長が一m位で地面につくほどの長いあご髭を持った筋肉質の老人までいた。

 ほかにも、こういった小人たちに混じって、小さな羽の生えた細長い蛇や頭に皿のある緑色の蛙のような生き物。全身が炎で覆われた小鳥といったものまで。

 無数のこの世のものではない精霊たちが、遥と一緒に歩いていた。


 遥は精霊たちの進む流れに乗って、歩いて行った。

 精霊たちは、遥の体に触り、戯れながら一緒に進んだ。

 やはり、怖さは感じない。むしろ、懐かしさや親しみといった感覚の方が強かった。顔のすぐ横を飛ぶ羽のある小人と目が合う。小人は笑顔で、遥も楽しかった。


 途中から上り坂になった道を歩いていくと、大きな古い神社にたどり着いた。

 手を洗い浄めるための手水舎のある場所だった。右の方に大きな鳥居が見える。あちらが本当の入り口なのだろう。

 遥は急いで手と口を漱ぐと、精霊たちと一緒に階段を上がった。


 途中に看板があり、これが槵觸くしふる神社と呼ばれる神社であることが分かった。

 ニニギノミコトが降臨された山に鎮座する神社であり、古くはこの山そのものを神山として崇めていたとあった。

 境内に上がる途中、右側に大きな土俵があるのが目に入る。遥はその土俵を横目に見ながら、精霊たちと一緒に階段を上った。


 境内の本殿に着くと、二礼、二拍手、一礼をした。一緒に周りの精霊も手を打ち鳴らし、頭を下げる。

 本殿の周りを飛ぶ精霊たちと一緒にぐるりと歩くと、横の山に登る小道へと入った。杉や楢の巨木が生える山を登り、しばらく行くと、小高い丘に小さな鳥居と社があったので精霊と一緒に拝む。


 社の手前には看板があり、高天原遥拝所たかまがはらようはいじょと書かれてあった。天孫降臨をした神々がこの丘に立って高天原を遥拝したところと伝えられるとあった。

 精霊たちに囲まれていると、ひょっとすると、そういうこともあり得るのかもな、と思ってしまう。常識では考えられないことだが、この状況が既に普通ではないのだ。


 遥は、ふと、自分の体に力が漲っている感じがすることに気付いた。この山全体から溢れる力が体中に充填されるような、そんな感覚だった。

 社を拝むと、下へ行く精霊たちが増え始めた。それを見て、遥も一緒に下りることにした。

 神社の本殿を過ぎて、さらに下りると、さっきの土俵があった。そこでは、もふもふの毛玉の精霊と髭の長い筋肉質の精霊が相撲を取っていた。先ほど見た小人たちとは違って体も大きく、遥くらいの身長がある。


 どしん

 と、音を立てて髭の長い精霊の突進をもふもふの毛玉の精霊が受け止める。

 さらに押して、押して押しまくる髭の精霊の突進を、毛玉の精霊は土俵に深い溝を刻んで受け止めると、体を回して上手投げに仕留めた。

 わっ

 と、歓声が沸き、皆が拍手する。

 遥も笑顔で、一緒に手を叩いていると、毛玉の精霊が遥を手招きした。


「えっ。俺?」

 遥は自分のことを指さし、首をかしげた。

 毛玉の精霊が、うんうんと頷き、

「あ、=お〇☆わ~!!」

 と、謎の言葉を発した。言葉は分からないが、何と言ったかは分かる。相撲を一緒にやろうと言っているのだ。


「よし、やるか」

 遥は靴を脱ぎ、はだしになると土俵に上がった。

 体中に漲っているこの力を目の前の相手に思いきり試してみたい。そんな気持ちだった。

 周りの精霊たちが一斉に歓声を上げ、拍手する。

 遥は手を上げて歓声に応えると、土俵で毛玉の精霊と向き合った。


 髭の精霊が行司のように二人の間に立った。

「はっけ☆!い!の〇った!!」

 髭の精霊が、合図をかけて手を打ち鳴らしたのに合わせ、遥は突っ込んだ。

 どしん

 と、音を立てて毛玉の精霊が、遥の突進を受け止める。


 その時、不思議なことが起こった。

 目の前の景色も、音も、匂いも、何もかもが全て変わったのだった。

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