第7話 戦いの記憶(1)

「なあ、俺。やっぱり剣道部に顔を出してくるよ」

「だ、か、ら。それは明日にしようって言ったじゃない」

「だけどさ、それだと、なんか、せっかく誘ってくれた時任さんに悪いって言うか……」

「もう!」


 玄関で靴に履き替え、外に出てきたところ――。周りを部活に入っていない生徒たちが、下校するために通り過ぎていく。

 佳奈は理由は言わないが、どうも遥を剣道部に連れていきたくないらしく、機嫌が悪かった。遥が剣道部に行きたいと言った途端、「それは明日にしよう」と言って、この会話になったのだった。


「時任さんに悪いっていうだけじゃない」

 遥は佳奈の目を見つめた。

「どういうこと?」

「武見さんがゆかりのあるものを探せって言われてるだろ。戦うことで、何かを思い出しそうな気がするんだ」

 遥がそう言った途端、佳奈がはっとした顔になった。

「どうしたんだ?」


「何で、嫌なのか分かったの」

「うん?」

「遥が遠くに行ってしまうような気がするの。それは記憶を取り戻すことを恐れているからなんだわ」

 佳奈はそう言って下を見た。

「ごめん。遥……何だか、私、勝手なことを言ってる」 

 遥は言葉を返せずに、黙っていた。

 すると、

「もう、分かったよ。分かった! でも、私もついて行くからね!」

 と、佳奈が顔を上げて言った。降参だというように両手のひらを上に向けている。


 その時、

「俺も行くぞっ!」

 浩が、背後から勢いよく言った。

 浩がいることに気づいていなかった二人は、跳び上がるように驚いた。いつも、浩には驚かされたり、笑わかされたりする。遥と佳奈の間にあったわだかまりはいつの間にか、解けて無くなっていた。


      *


 遥たちが、外から、剣道場を覗いていると、

「お、来たな! 山下と佳奈ちゃんも一緒か」

 真吾がそう言いながら現れた。

 真吾の体からは目に見えない闘気のようなものが立ち上っているように見える。屈強な体を持った剣道部の面々の中でも一際大きいその体は、言葉に表すことの出来ない強さを醸し出していた。


 遥は頭を下げて挨拶をした。

「あの、この前は誘っていただきありがとうございました。見学に来ました」

「そうか。遥くんは、本当に剣道の経験はないのか?」

「はい、先輩」

「ふうん。歩き方とか見えていると、そういうふうには見えないんだがな……。まあ、上がれ」

 道場では、部員が二人一組で実際の試合のように自由に技を打ち合っていた。木の床を踏む足の音と、竹刀が防具を打つ音、打ち込みの気合の声が、混然と混ざり合っている。


 遥たち三人は、練習の邪魔にならないよう、端の方で立っていた。

 遥が、道場の様子をきょろきょろと見まわしていると、真吾が、

「遥、ちょっと基本をやってみるか?」

 と、訊いてきた。

 遥が頷くと、

「おい、佐藤! ちょっと基本を教えてやってくれ」

 と、大声で部員の一人を呼んだ。


 道場の向こうから、部員をかき分けるように、一人の男がやって来た。真吾よりはずっと小柄だったが、がっちりとした体つきをしているのが、道着越しにも分かる。

「佐藤だ」

 男が軽く頭を下げる。

「あ。秋月遥です」

 遥も頭を下げた。


 佐藤は、遥の手に竹刀を持たせた。

「まず、持ち方だが、力を入れるのは、両手の小指、薬指、中指で、人差し指と親指は軽く添えるだけだ。そうだ」

 遥の竹刀の持ち方をチェックした佐藤は、次に構え方を教えた。

「基本の中段の構えだ。こう構える。やってみろ」

 佐藤が構えて見せた。


 見よう見まねでやると、

「ほう、中々、様になっているな」

 佐藤が、感心した声を上げた。

 遥も、竹刀を構えた感じは不思議としっくり来た。重心を腰の中心に据え、自然に中段に構える。

「こう、振ってみろ。目の前の敵の頭を打ち砕くイメージで。力は入れるな」

 佐藤がそう言いながら、竹刀を振って見せた。

 ぶん

 と、風を切る音をさせ、一歩前に踏み出す。


 遥も、続けて、竹刀を振る。

 少し、軽いな。

 遥はそう思いながら、竹刀を振った。

 まるで、長年、体に染みついた動きであるかのように竹刀を振ることができる。それが楽しくて、遥は何度も、何度も、竹刀を振った。


「本当にやったことがないのか?」

 佐藤が首をかしげて訊いた。

「はい。でも、楽しいです」

 遥は言った。

「じゃあ、次は切り返しだ」

 佐藤はそう言うと、面をかぶった。遥にやり方を教え、自分に打ち込ませる。

 正面を打って、体当たりをし、そのままの勢いで左右の面打ちを行う。


「えらい、上手いな」

 面を脱いで、佐藤が笑った。

「これは、剣道の基本となる練習法で、打撃の基本が全て含まれていると言われている。遥くん、ちょっと、やってみないか?」

「やるって、何をですか?」

「地稽古。つまり、戦ってみないかということさ」

 佐藤はそう言うと、真吾の方を見た。

 真吾も頷く。

 遥は訳も分からずに頷き、横で佳奈が天を仰いだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る