第6話 荒立神社

「遥、また、ぼうっとして! 人の話を聞かないんだから」

「あ。ごめん、ごめん」

 遥は、頭を掻きながら謝った。

 佳奈に誘われ、家の近くにあるという荒立神社に歩いていく途中のこと。佳奈から学校の感想を訊ねられていたのだが、向こうに見える山並に目を奪われて話を聞いていなかったのだった。


 夜の七時を少し回ったくらいの時間。もうすぐ、日が落ちようとしている頃合いだった。

 穏やかな稜線が、霞むような雲に囲まれて朱と紫の中間の色に染まっている。夕闇に包まれるその景色に、無性に懐かしい気持ちになっていた。


「あの山が気になるの?」

「うん。なんだか、いい風景だなと思ってさ」

「私も好きなんだ。ここから見える山の風景。どこにもないよ」

 佳奈が微笑む。

 遥は佳奈の言葉に頷き、夕闇に包まれる山々をしみじみと見つめた。それくらい、心打たれるほどの美しさだった。


 しばらく立ち止っていると、からすが鳴いた。

「さあ、行こ。真っ暗になっちゃうよ」

 佳奈が言うように、山々の風景はあっという間に夜の闇に染まり、辺りも暗くなっていく。遥は名残惜しかったが、視線を外すと佳奈と一緒に神社の方へ足を向けた。

 佳奈の提案で散策してみようということになった荒立神社は、日本神話の天孫降臨の際、一行を道案内したサルタヒコとアメノウズメが結婚して住んだ場所だと伝えられている。切り出したばかりの荒木を利用して急いで宮居を造ったため、荒立宮と名付けられたと言われていた。


「ねえ。ゆかりのあるものを見つけなさいっていう武見さんのメッセージのこと、どう思ってるの?」

 歩きながら佳奈が訊いてきた。

「ああ。武見さんは俺のことも含め、今回の事件に関して、何か核心的なことを知ってるんだよな」

「やっぱり、そうだよね」

「色々と考えたんだが、この高千穂に来ることを勧めてくれたのも、俺が自分の記憶を取り戻すことに役立つからなんじゃないかな。理由は分からないけど」

「そうだね。昔、ここに住んでいたことがあるのかな?」

「小さい時にってこと?」

「うん」

「確かに。そうなのかもしれないな……」

「もし、そうなら小さいときに会ってるかもね」

「ははは。そうだといいな」


 だが、仮にもし、そうだとしても腑に落ちないことだらけだった。キハチのことも、現代の文明では説明できないような小さな飛行機のようなものに乗っていたということも、どう考えてもおかしい。そもそも、この世界の人間ではなく異世界からの漂流者なのだと言われた方がしっくりくるくらいだ。そのくせ、現代の高校レベルの勉強の知識はある程度持っている。その上で、武見は高千穂でゆかりのあるものを探せと言う。考えれば、考えるほど、混乱するばかりだった。


      *


 しばらく進むと、目の前に大きなコンクリートづくりの鳥居が現れた。鳥居は、信徒の寄付によって新たに建てられたものらしく、寄付者の氏名が刻んであった。

「へえ……ここが荒立あらたて神社?」

「うん。そうよ」

 触ると、冷たく心地良い。向こう側に目を移すと、小さな木製の鳥居があった。恐らく、あちらが本来のものなのだろう。

 くぐってしばらく進むと、こんもりとした小さな森が見えてきた。


「本当に、久しぶり……」

 小さな坂を上り、神社が見えてくると、佳奈はしみじみと言った。

 森に包まれたその場所には、それほど古くないこじんまりとした社が鎮座していた。

「十年ちょっと前に、建て直したらしいわ」

「そうか……いい雰囲気だな。この雰囲気は懐かしい感じがする」

 遥は大きく深呼吸すると、辺りを見回した。

「歩いてみる?」

「うん」

 落ち葉の降り積もった神社の敷地を歩き、裏手に回ってみる。


 大きな杉の木の林の中に、樹木の生えていない開けた場所があった。

 月光が、木立の隙間から差し込み、地面にいくつもの光の束が落ちていた。

 遥は、ふと、大きな人影が、まるで彫像のように立っていることに気づいた。なぜ、すぐに気づかなかったのか……。人影は、黒の学生服を着た逞しい青年であった。


 青年の身長は百九十センチは優に超え、岩のような筋肉が学生服を内側から押し上げているのが分かる。

 辺りは暗く、広場のそこだけが柔らかな光に包まれたステージのようだった。

青年の手には一振りの木刀が握られていた。その木刀がゆっくりと頭上に持ち上げられていく。

相対して、まるで大きな生き物がいるように、遥の目には見えた。

「何かいる」

 佳奈が囁き、遥は無言で頷いた。


 微かにしか見えていなかったその影は、透明な鱗に月光を反射させ、徐々に露わになってきた。

 うず高くとぐろを巻き、鎌首をもたげる。

「蛇?」

「ああ」

 遥は唾を飲み込んだ。


 ――透明な大蛇。

 幻のようにも思えたが、蜃気楼のように揺れるそれは、確かにそこにいた。

 大蛇は、大きく口を開け、凄まじいスピードで迫ってきた。

「いえいっ!」

 裂帛の気合いが辺りに響き渡り、大蛇に向かって木刀が振り下ろされた。

 木刀から真っ白な光が迸り、大蛇を激しく撃つ。


 光は一瞬で消え、辺りは平穏な静けさを取り戻していた。大蛇は何ごともなかったかのように霧散してしまっていた。

 遥と佳奈は、息をするのも忘れ、固まっていた。

 青年が振り返り、二人に気付くと笑う。その屈託のない笑顔を見た途端、二人を縛っていた緊張が一気に和らいだ。

「剣道場にいた人……」

 佳奈が思わず呟いた。青年が、剣道場ですさまじい上段打ちを放っていた剣士と同一人物であることが遥にも分かった。


「今のは何だったんですか?」

 遥が尋ねた。

「あれが見えたのか?」

「ええ。透明な大きな蛇を撃った木刀から光が出て……」

 二人は頷いた。

「二人にとも見えたのか……。珍しいこともあるもんだ。あれは、神界にいるもの。精霊とか妖怪とか、そういった類いのものだが、見えない人、感じない人には何の影響も及ぼさない代物だ。鬼界と呼ばれるところにもいるらしいが、そういうのは邪悪になるらしい。彼らは俺の練習相手といったところだな」


「神界……なんか武見さんに聞いたような……」

「お。先生の名前が出たということは、二人は遥君と佳奈ちゃんだな。話は聞いてるよ」

 青年が笑った。

「佳奈ちゃんのお父さんには、昔、剣道を習ったことがある。早く見つかるといいな」

「ありがとうございます」

 青年の温かい声から心底、そう思っていることが伝わってくる。佳奈は頭を下げた。


「先生ってことは?」

「ああ、武見先生は俺の武術の師匠なんだ。――ここは、神界との境界に近い場所でね。修行の一環で、たまに出てくる彼らと修行してるのさ」

「あの……神界って何ですか?」

「あくまで、先生の受け売りだが、この我々の世界の上に漂う大きな泡のような世界なんだそうだ。この世に重なって存在するが、次元が異なるため、ふだんは関知できない世界らしい。この神社はその世界との境界が近くて、あちら側の住人がやってくることがある。特に君たちや俺のような、霊的感受性の強い人間が来るとね」


 にわかには信じがたい話であったが、現実に見た以上、信じないわけにはいかなかった。それに、あの化け物のように強い武見の弟子なのだ。妖怪と戦うなんてことも十分にあり得る話だと思えてしまう。

「あの、お名前は?」

「ああ。俺の名は、時任ときとう真吾しんご。高千穂高校剣道部の主将だ」

「あ、じゃ。改めてご挨拶を。俺は、遥、秋月遥です。そしてこっちは……」

「秋月佳奈です。よろしくお願いします」

 真吾は笑顔で頷いた。


 その時――

 じゃりっ

 と、土を踏む音がした。

 振り返ると、そこにいたのは丈太郎とフェザーだった。

「やあ。なんか出てきにくくてな」

 笑って言う丈太郎と真吾は、なぜかよく似ているように見えた。

「丈太郎も大きいけど、真吾君も大きいのね」

 フェザーはそう言って、続けて自己紹介した。丈太郎も自己紹介をすると、

「先生からお二人のことは聞いています」

 と、真吾は答えた。


「どこから見てたんですか?」

 佳奈が訊いた。

「真吾君が大蛇と対決するところからよ」

「全然気づきませんでした」

 佳奈の言葉にフェザーが微笑んだ。

「それにしても真吾君。大したものね。あのクラスの悪霊が出ても退治できそうだわ。丈太郎、将来仕事仲間として誘ったら?」

「ああ。本当だな……だが、冗談はさておき、君とは何かえにしのようなものを感じるよ。背丈が一緒くらいなだけじゃなくてな」

 丈太郎は笑って、真吾と握手をした。


 一瞬、丈太郎と真吾の視線が絡み合い、真吾も笑ったように見えた。

「丈太郎さん。俺もまた、お会いするような気がします」

「そうか」

 二人はお互いにそう言うと、離れた。

「それから……、遥君。よかったら、剣道部を訪ねてこい」

 真吾が遥の方を向いて言った。

「勘だが、お前、結構やれるような気がするんだ。霊的感受性が強いっていうのは、敵の攻撃を見切る才能があるってことだしな」


「そういうもんですか?」

「ああ、そういうもんだ。興味はないか?」

「――あの、興味はあります」

「じゃあ決まりだな」

 真吾はそう言って笑った。

「さて。それじゃ、失礼します」

 真吾は防具袋と竹刀を肩にかたげると、出口に向かって歩き始めた。片手を上げて、足早に去って行く。

 風に吹かれ、ざあっと木立が鳴った。

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