第4話 新しい生活(2)

 引っ越しが終わって三日目――。七月の最初の月曜日を迎えていた。

 駐車場に停めた自動車から、遥と佳奈、そして祥子は降りた。

 アブラゼミが喧しく鳴き、夏の日差しは容赦なく降り注ぐ。

 遥と佳奈の二人は、祥子に連れられ、通うことになっていた高千穂高校に来たのだった。


 古びた校門を抜け、コンクリート造りの校舎へ入る。

 玄関に入って、事務室の窓口で要件を伝えると、すぐに中に通された。

 高校に転入する手続きは、内閣情報調査室の神山が全て手配済みだったらしく、何の滞りもなく円滑そのものに終わった。


 事務的な手続きが終わった後、校長室で、白髪頭の校長に挨拶を済ませると、同席していた担任の佐藤という教師が教室へ連れて行ってくれることになった。

 佐藤は、四十代くらいに見える眼鏡をかけた女性だった。白いブラウスを着て、グレーのタイトスカートを履いた佐藤は、平凡だが愛嬌のある顔立ちで、ニコニコと笑いながら挨拶と自己紹介をしてくれた。


 佐藤と教室に向かうことになると、祥子とはそこで別れることになった。

「じゃあ。がんばってね!」

 祥子はそう言い、校長室から出て行った。

 遥と佳奈も、佐藤と一緒に校長室を後にする。


 遥は、教室が並ぶ廊下を歩きながら不思議な気分になっていた。

 窓越しに、通り過ぎる教室の中の様子が見える。たくさんの制服を着た男女の若者が、思い、思いに話をし、笑っている。こんな風景があること自体、これまで想像をしたことがなかった。

 きっと、自分が記憶を取り戻したとしても同じように思うのではないか――。そう考えながら佳奈と並んで歩く。


 やがて、自分たちが転入するクラスの前に着いたらしく、佐藤が歩みを止めた。

 ガラッ

 と、音を立てて、入り口の引き戸を開けると三人は教室へと入っていった。

 それまで騒がしかった教室の中が一斉に静かになり、二人に視線が集中するのを遥は感じた。

 日直の女の子が、「起立! 礼! 着席!」と号令をかけ、皆一斉に頭を下げて座った。


 佐藤が黒板に二人の名前を書くと、挨拶を促した。

 先に、佳奈が口を開いた。

「秋月佳奈です。久しぶりに高千穂に帰ってきました。知ってる人も多いけど、改めてよろしくお願いします」

 佳奈が頭を下げると、拍手と一緒に「おかえりー」という声が響く。手を振っている生徒も何人もいて、その中には浩の顔もあった。


「えっと秋月遥です。佳奈の従兄弟いとこになります。高千穂は初めてで分からないことも多いですが、よろしくお願いします」

 遥は、話し終わると、頭を丁寧に下げた。

「そんな、硬くならんでいいぞー!」

 浩がニヤニヤしながらはやし立てた。


 遥が顔を上げると、笑いながら手を振っているのが見えた。

「こらっ。山下君!」

 担任が注意すると、浩は首をすくめたが、顔は笑顔のままだった。


 和気あいあいとした雰囲気に迎えられ、二人は教室の後ろの方の空いている席に案内された。

 朝のHRが終わると、すぐに周りに人だかりができた。

 高校には、別の町から来ている生徒もいたが、昔からの佳奈の友人もかなりの数がいるようだった。一番聞かれたのは、やはり遥のことで、こんないとこがいるなんて聞いたことがなかったという声がとても多かった。


 佳奈は、遙のことをふだんは東京に住んでいる従兄弟いとこなのだと言い、遙も前もって用意していた説明をする。両親の仕事の関係で、しばらくこちらに住むことになったという説明だった。

 そうこうしているうちに、あっという間に一時間目のチャイムが鳴った。

「今日新しい、英語の先生がくるみたい。こんな中途半端な時期に珍しいけど……」

 佳奈の隣の友人が、そう囁くが、遥の耳にも入った。


 やがて、廊下から足音が響いてきた。窓越しに見える教室へと近づいてくる男は、金髪の背の高い外国人だった。百九十cmは優に超えているように見える。

 引き戸を開けて入ってきた男は、教壇に立つと、「おはようございます」と日本語で挨拶をした。

 クラスメートの低くどよめくような声が響く。

「皆、どうしたんだ?」

「たぶんだけど、先生の見た目が想像を超えてたんじゃない……」

 遥が訊くと、佳奈が囁くように答えた。


 がたがたっと机と椅子を鳴らし、今日の日直の女の子が立ち上がった。

 号令をかけ、皆で挨拶をする。

「新しくこのクラスの英語を受け持つことになりました……」

 男は流ちょうな日本語で挨拶を続けた。

「私の名前はリチャード・ミラーと言います。沖縄からこの仕事のために引っ越してきました。高千穂はこの国の最初の神話や伝説が残っている町だと聞いています。新しい生活をとても楽しみにしています。皆さん、よろしくお願いします」


 その男は、短く刈り上げ、七三にぴっちり分けた頭を下げた。

 頭を上げたリチャードと、遥の目が合う。そして、その目に意味ありげな表情が一瞬浮かんだ。

 間違いない。この人は俺のことを知っている。

 遥は思った。それは確信だった。

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