第2話 引っ越し(2)
「ここに住むんだな?」
丈太郎の声に、遥は後ろを振り向いた。
ジーンズを履いた丈太郎とフェザーが立っていた。二人とも薄手のブルゾンを脱いで手に持っている。
フェザーが、きょろきょろと家の周りを見回した。
「この家、いいわ。凄く風情があるし、自然の中、調和して存在しているって感じがする。私たちもこの辺りに住もうよ。隣にちょうどいい空き家もあそこにあるし」
フェザーが少し先にある空き家を指さして言う。
「え。二人で住むつもりか?」
「もちろん、間に境界線を設けるわよ!」
おどけるように言う丈太郎に、フェザーが笑いながら返した。
「分かってると思うが、俺たちは当面近くのビジネスホテルだ」
「もちろん分かってるけど……」
フェザーがむくれるような顔をする。
「落ち着いたころにまた来る。ひょっとすると、本当に隣に住むことになるかもしれないがな。俺の携帯電話の番号は知ってるよな。何かあったら連絡してくれ」
「私のことを強く思って、助けて! ってテレパシーを送ってもいいわよ」
フェザーが笑って言った。
「そう言えば、武見さんからメッセージを預かっている。お主にゆかりのあるものを見つけろ。だそうだ。じゃ、また来る」
丈太郎が手を上げ、バイクに跨がると、フェザーも後部座席に飛び乗った。
ハーレーダビッドソンは、低いエンジン音と排気音を響かせゆっくりと動き出す。そして、すぐに遠くに見えなくなった。
最後の言葉が引っかかったが、何のことか分からない。遥が走り去るバイクを見ていると、
「じゃ。始めるわよ」
祥子の声で現実に戻された。振り返ると、腕まくりをしている祥子が見えた。
ブロンズ色の古びた玄関の鍵を回し、ガラス戸をがたがたと音を立てて開けると、据えた空気の匂いが漂ってきた。
「ただいまあ」
佳奈が控えめに声を上げ、入り口の電気を付ける。
黒光りしている柱や床は、すべすべとして滑らかだった。見上げると、天井の梁も黒々としている。
三人で窓や戸を次々と開け放していくと、山の空気がふわっと通り、湿った空気が追い出されていく。それまでの暗い感じが嘘のように、明るい雰囲気になった。
祥子と佳奈が掃除機とぞうきんを出して、掃除を始めた。
遥は引っ越し業者と一緒に荷物を運び入れる。
段ボール箱に詰められた荷物をおおかた運び入れたところで、家の奥に仏壇が運び込まれた。
祥子は、掃除の手を止め、両親の写真や仏具を並べ始めた。そして、ふきんで綺麗に拭き上げると、ちんと鐘を鳴らして手を合わせた。
いつの間にか、佳奈と遥が横に座って一緒に拝んでいることに気付き、祥子は微笑んだ。
「さあ、再開よ!」
祥子が言うと、二人は持ち場に戻って再び、働き始めた。
遥は、流れる汗を拭きながら、引っ越し業者と協力して、黙々と本棚などの家具類を運び入れる。
「祥子さん、これは?」
遥が、家の奥に置いてあった楽器の山を見て尋ねた。
「うちの両親が音楽が好きでね。周りに家が無いから、音も出し放題なの。私も実は弾くのよ」
「へえ」
遥は感心して頷いた。
すぐに分かったのは、黒いアップライトピアノと古いエレキギター、パーカッション類だった。インターネットの動画サイトで演奏を見たことがある。
「興味がある?」
「ええ、ちょっと……」
「じゃあ、落ち着いたらみんなで弾こう! 遥には私が教えるわ」
二人のやり取りを奥の部屋で聞いていた佳奈が、大きな声で言うのが聞こえてきた。
すっかり荷物を入れ終わり、掃除も終わった時には、辺りは薄暗くなっていた。時計を見ると、夜の七時を大きく回っている。
熱かった空気も、すっかり温度が下がり、吹き込んでくる風は爽やかだった。
庭で、
リ、リ、リ、リ、
と、虫の鳴く音が響く。
餌を食べ終わったゴン太が、外で伏せの体勢で目を瞑っているのが見える。
「さあ、ご飯にしよ。引っ越したばっかりで何にも無いから、今日はカップ麺の蕎麦ね」
「引っ越し蕎麦ってこと?」
「そそ」
祥子がカップ麺を三つ持ってきて、机の上に並べていく。そして、湯気を立てるやかんから、お湯を注ぐ。
「こんな感じでごめんね」
祥子が手を合わせて謝った。
「いえいえ、そんな」
遥はそう言って、思わず微笑んだ。
何だか、和むんだよな。
祥子と佳奈とのやりとりに、遥はそう思った。
しばらくすると、蕎麦のいい匂いが漂ってきた。
「これって、もう食べていいんですか?」
遥はふとあることを思いついて、祥子に訊ねた。
「もう少しだから、待とうね」
「え。そ、そう……ですか」
遥が下を向く。
「ん。どしたの?」
「いえ……その」
「ちょ、ちょっと、そんな……。あの、なんで……?」
慌てて祥子が遥の肩を揺らすが、遥は下を向いたままだ。
「ねえ、怒ったわけじゃないのよ。なんでそんなに落ち込むの?」
祥子が慌てた声で言うと、
遥は笑顔で顔を上げ、にっと笑った。
「もう我慢できないですっ!」
茶目っ気たっぷりに言って手を合わせるとカップ麺のふたを開ける。
「あ、こら」
「いただきます!」
「もう……」
すごい勢いで蕎麦を食べる遥を見て、祥子と佳奈が笑った。
遥はその笑い声が嬉しくて、わざと大げさに蕎麦をすすった。
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