第11話 始まりの記憶(1)

 研究所の屋上――。

 真っ赤な夕日が、西の山の向こうに沈もうとしている。

 藤田と黒山は二人で、屋上の柵に肘を乗せ掛け、佇んでいた。

「やはり、出ていくのか?」

 白衣を着た藤田が、穏やかな声で訊いた。

「ああ」

 黒山は頷いた。

 晩秋の冷たい風が顔を弄っていく。

 アガタの集落で土蜘蛛と戦った一件から、一年以上経っていた。


「できれば、ここに残って、未来に帰るための研究を手伝ってほしいところなんだがな……」

「そうだな。だが、あれを動かすためには莫大な電力が必要だ。それが解決しない限り、実験さえままならない。それに、過去に飛んだのはあくまで偶然だ。タイムスリップの原理が分からない以上、元いた時代に帰ることは、そもそも難しいだろう」

「まあ、そうなんだが、無理と言われると燃える性質たちでな」

「藤田さんらしいな」

 頭を掻きながら言う藤田に、黒山は笑った。

「まあ、いずれにしてもここに根を生やして生きていかなくてはならないのだったら、そのための準備をしようと思ってるんだ」

「前も言っていたが、新たな国を作るんだな?」

「ああ、そうだ。国と言うか、村だけどな。規模的には」

 黒山はそう言って、夕日の光に目を細めた。


 あれからも、周辺の状況を調べながら地図を作っていた。調査をしてみると、思っていた以上に集落はたくさんあり、そして黒山たちの活躍についても知れ渡っていた。

 人々の噂話がこれだけ伝わるということは、それぞれの集落の往来があるということで、実際に訪ねた集落で訊いてみると、物々交換のネットワークが存在していることが分かった。取引の際に交わされる会話で、噂話が話が伝わっていくのだ。海辺や山間部、それぞれの集落で採れない食べ物の交換というのがほとんどだったようだが、石器や土器を作るのに長けた人々もいて、そういった道具の交換ということも行われているようだった。そして、ごく稀なケースだったが、貴重な青銅器、大陸から伝わった鉄器なども一部取引されているようだった。


 黒山たちも集落を訪ねる時には、お土産を持って行った。よく持って行ったのは鹿の皮を編んで造った投石紐だった。拳より少し小さいくらいの石を遠くへ投げるための紐状の道具で、皮を編んで作った紐のちょうど真ん中あたりに石を包むための幅の広い部分があった。古代のヨーロッパや中国でも使われた狩りなどに使われる石を投げる道具だったが、この時代のこの地域では普及していないようで、皆喜んだ。


 黒山たちが集落を訪問すると、どこに行っても、天津神の一行ということで歓迎された。そこで出会った現地の人々の笑顔や畏怖の表情が頭に浮かぶ――。そして、それらの人々の中には行動を共にしたがる者たちもいた。やがて、研究所まで押しかけてくるような人々も出てきたのだ。

 黒山たちはそうした人々を追い出すことはしなかったため、彼らは研究所の周りに住み着いたのだが、それならば自分たちの集落を作ってしまおうという話になった。ここからそう遠くない場所に、農耕を始めるのに適した平地もあった。


「ちょうど、宮入さんがニニギノミコトということになっているから、宮入さんに頼んで、米を育て始めるための儀式もやろうと思ってる。その前に開墾して、水田を作らないといけないがな」

「天孫降臨神話を再現しようってことか?」

 藤田が訊いた。

「ああ、そうだ。天津神ということで、我々の安全が守られているところもあるからな」

 黒山は言った。神話では、稲穂を持ったニニギノミコトが高天原から降りてくることになっている。それに、元々、食料の確保のため、農耕を始める必要性も感じていたのだ。

 食料にするための植物は、理科の教師だった山田が中心になってすることになっていた。野生の稲は、既に山田が見つけている。後は、それをできるだけ神々しく儀式めいた感じにするか、だったが、それは健一と健二の兄弟が考えてくれることになっていた。


「まあ、課題は多いが何とかやってみるよ」

「なんだか、黒山さん、生き生きしてるな。顔も体も精悍になったしな」

 ため息をつく黒山に、藤田は笑いながら言った。

「そうかな。自分では分からんが……」

 黒山はそう言い、髭面をなでた。

「まあ、皆も一緒にやろうと言ってくれてる。ここから通いながら手伝う人たちもいるが、何とかなると思うよ」

 黒山はそう言って、藤田を見た。

 藤田が一瞬悲しそうな顔をしたような気がした。


 黒山は再び山へ目を移した。

 頭の中を暗い記憶が駆け巡っていた。

 狂おしいほどの嫉妬――。そして、勢いに任せて犯した過ち。その結果、起きてしまった取り返しのつかない事故。

 なぜ、今、またこのことを思い出しているのか――。藤田が横にいるからなのか。それとも、これから始まる国造りのプロジェクトを前に、感じるものがあるのか。

 自分のことなのに、自分でもうまく説明がつかない。だが、はっきりと分かっていることもある。

 あの時に――、黒牙ヘイヤーと対峙した時に、はっきりと自覚をしたのだ。

 後悔はしていない。

 俺は天津神、オモヒカネだ。

 新たな国を造る。これは俺のプロジェクトだ。

 黒山は大きく息を吐き、無言で山の向こうにある暗闇を見つめ続けた。

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