第10話 鬼界(2)

 衝突型加速器の公開実験の前日――。藤田と黒山の二人は公開実験の最後の準備をしていた。

「黒山さん……」

「どうした? 藤田さん」

 目をこすりながら、黒山は訊いた。

 研究に従事する傍ら、スポンサーや関係機関との調整等、裏方での役割を担っていて、徹夜が続いていた。眠いはずなのに眠くないのは、運命の実験を前にして、興奮しているのだろう。


「いよいよだな。それも、世界中に向けた公開実験……いわゆる量子テレポーテーションの実験が行われるんだ」

 藤田が声を震わせている。

 柄にもなく緊張してるのかな――。

 黒山は、藤田の目を覗き込んだ。だが、その目は緊張しているというよりは、遠足を楽しみにしている子どものように見えた。

  

 明日行われる量子テレポーテーションの実験は、量子もつれの関係にある二つの粒子間では、瞬時に変化が伝達されること――。つまり、二つの粒子間で光速を大きく超えるスピードで情報が伝達されることの基礎実験だった。これを自在にできるようになれば、例えば地上基地と宇宙船との間で瞬時に通信を行うことが可能になる。


「これがいつでもできるようになれば、過去や未来に情報を飛ばすことも可能になるかもしれない……ってな」

 黒山が冗談めかして言うと、

「そういう仮説もあるが……だが、まずは安定した遠距離通信への応用だ。黒山さんの段取りのおかげでようやく実現に漕ぎつけたんだ。本当に感謝しているよ」

 藤田が頭を下げた。

「俺だけでは金も集めることができなかったし、こんな風に公開実験なんてとんでもなかった。世界中の企業や大学から多くの反響がこんなに来るなんてな」


「何だよ、突然……」

「いや。ずっと言おうと思っていたんだ。本当にありがとう」

「馬鹿、そんなのは当たり前だろう」

「いや、当たり前じゃないさ。この研究の意義を俺ではスポンサーに伝えることはできなかったよ。黒山さんの段取りのおかげでこの研究は成功する。もちろんノーベル賞も見えてくる」

「うん」

 黒山は頷きながら、藤田の顔を見た。


 藤田の無邪気な笑顔に胸が熱くなる。

 そうだ。いよいよだな。あ、そういえば――。

「なあ、加速器の部品の改良だが……」

 黒山はふと訊ねた。

「最後に、俺が提案したようにしたのか?」

「うん。ああ、あれな」

 藤田が一瞬、困ったような表情になったのに黒山は気づいた。

「あれは助かったよ。確かに、あの部品がボトルネックになってたんでな。――で、実は、な」

 藤田が言葉を選ぶようにゆっくりと話す。


「あの後、黒山さんの助言で閃いてな……。これを見てくれ、この形に改良したんだ」

 藤田が図面を示した。

「あ、ああ、そうだったのか……」

「黒山さんの助言があっての部品改良だ……」

 その言葉を聞いた瞬間、黒山の心にもやもやとした暗い思いが拡がった。

 裏方で、どんなに礼を言われたとしても、今回の実験で表舞台で称賛されるのは藤田だけなのだ。チームのことを考えた俺の提案も結局は無視だ――。黒山は心の中で呟いた。

 藤田は説明を続けたが、黒山の耳にその言葉は入ってこなかった。


 藤田は言わば、天才だった。チームの研究主任でスターのような存在。だが、俺のような人間が支えてやらないと何もできないはずなのだ。実験のために積み上げた基礎研究、スポンサーから集めた金、国や関係機関との調整。まあ、それはいい。藤田も感謝してくれている。だが、俺だって研究者の端くれなのだ。せめて、研究に関係することで感謝してくれれば――。


たまりにたまった鬱憤は、一旦弾けると、黒山の心を黒く塗りつぶした。

「どうした?」

「いや、何でもない」

 黒山はそう言うと、作業に戻った。

 頭に浮かんだある考えを消すことができない。

 黒山は目立たないように衝突型加速器に向かった。そして、出力を設定するパネルを開いた。


      *


「そうさ、あれは俺がやったんだ」

 黒山は呟いた。

 ちょっとしたトラブルになるだけのはずだった。自分が中心になって解決し、藤田も感謝してくれただろう。ついでにチームの皆の称賛も得られたはずだった。それが、まさか重力以上が発生するとは。更に、時空まで歪んで、タイムスリップまでしてしまうとは予想もしていなかった。

 ――俺は、悪くない。


「そうだ。お前は悪くないさ。そして、あれはうまくいくはずだったんだ」

 黒い渦が現れ、黒牙が言った。

「出力のつまみをほんの少し、右に回しただけなんだ」

「そうだよな。しばらくしたら元に戻せばよかっただけのはずだった」

「なぜだ? なぜ、上手くいかなかった?」


「ほら、あの部品だ。あいつが、藤田が、設計しなおした部品。お前の設計通りに作っていれば、きっと大丈夫だったんだ」

「そうだ。そうだよな」

 黒山の中に巨大なエネルギーの塊が育っていた。

ごう、ごう、

 と、耳鳴りが響く。


 音がないはずの鬼界で、轟音が鳴り響いていた。

「これは何だ?」

「お前の心は穴が開いている。大きな真っ黒な穴だ。そこから鬼界の鬼気が吹き込んでくる音だ」

 そう言った黒牙の顔が突然、藤田の顔に変化した。


 狂ったように笑う藤田の顔。

 黒山は、殺虫スプレーの火炎放射をその顔に浴びせた。

 肉が焼け焦げる匂いがした。

「ひゃあああああああああっっ!!!!」

 黒山の口がこれでもかというほど大きく開き、叫び声とも泣き言もつかない声が溢れ出た。


      *


 唐突に、目の前が明るくなった。

 現実の世界――。

 黒山がいるのは、鬼界ではなく松明の焚かれたあの広場だった。

 目の前に、うつ伏せに倒れている黒牙ヘイヤーがいた。

 細かい粒子状になって黒牙の体が消えていく。


 黒山は、ふと我に返ると、全身が真っ赤な返り血で染まっていることに気付いた。顔に付いた血を手で拭うと大きく息を吐く。

 さっきのあれは、何だったのだ?

 夢か、何かか?

「黒山さん……」

「オモヒカネ様……」

 すぐ横に、皆方とタイメイがやってきた。

 二人の目を見た途端、あれは夢ではなかったのだと悟った。


「二人とも、俺の頭の中の記憶を覗いたのか?」

「あなたも?」

 三人とも頷く。

「黒牙は死んだのか?」

 粒子状になって消えていこうとする黒牙の体を見つめ、皆方は言った。


「おそらく死んでない」

 そう、黒山が言った時――。

「種は蒔いたぞ」

 どこからともなく、黒牙の声が聞こえたような気がした。そして、その声で、三人は、黒牙が死んだわけではなく、ただ鬼界に帰ったのだということを悟った。


 三人は腰が抜けたように座り込んだ。

 黒牙の体はもう跡形もなく消えている。

「黒山さん、お疲れ様です! ありがとうございました!」

 健二が走ってきて、笑顔で言った。


「皆方さんも、タイメイさんも無事でよかった!」

 屈託のない健二に、黒山は手を上げて答えた。

 武も笑いながら、足を引きずってやってくる。

 あのいつも大人しい山田も、珍しくはしゃいでいる。

 生き残った集落の若者や長も含め、皆、笑顔だった。


「とりあえず、今はこの解放感に浸ろう……」

 黒山がそう言うと二人とも頷いた。

 三人ともゆっくりと立ち上がる。

 皆が称賛してくれる。そのことが、ただ、ただ、嬉しかった。

 三人が身の内に抱える闇の記憶は、三人の秘密だ。

 黒山は久しぶりに清々しい気持ちで笑った。

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