第5話 女(2)

 黒山は、全員を焚火の周りに車座に座るように促した。

 女は泣きながら、倒れている連れの男を揺らしている。

 焚き火の灯りが照らす中、枯れ枝の爆ぜる音と女の泣き声だけが響いていた。

 黒山は女の様子に気遣いながらその横に座ると、一同の顔を見回した。

 誰もが、危機を脱した高揚感に包まれている。冷静に今の状況を振り返り、整理する必要があった。


 黒山が話を始めようとしたその時――

「今の大蛇は何だ!? あんな化け物が現実にいるわけがないっ!」

 皆方が、突然声を荒げて女に詰め寄った。

 女はおびえた様子で、小刻みに震えていた。

「おい、答えろっ! 実際、あれは途中まで半透明だった……。あんな生き物がいるはずがないんだっ!!」

 皆方の声は震え、顔から血の気が引いていた。受け入れがたい現実に拒絶反応が起きているかのようにも見える。

 さらに詰め寄ろうとする皆方から隠れるように、女は黒山の横にぴったりとくっ付いた。

 黒山は体に触れる女の体温に戸惑いながら、皆方を手で押しとどめた。


「まあ待て。とりあえず、少し落ち着こう」

 黒山はそう言い、皆方を押しとどめた。

 そして、女を体から離すと、改めてじっくりと見た。

 ゆるくウエーブのかかった長い黒髪。肌は真っ白で肉付きがいい。背は百六十センチくらい。それに、はっきりとした二重の目と厚く肉感的な唇が魅力的だった。何より黒と青が混じり合ったような瞳が目を引き寄せる。

 大変な美人だと言っていい部類だった。

「君の名は何という? 私は黒……、いやオモヒカネという」

 女から目を無理やり引き剥がしながら訊く。


「私の名は、タイメイ……」

 女はかすれた声で言った。

「あなたは、どこから来たのだ? その男はあなたの夫なのか?」

 女の傍らで倒れている男を指して、黒山は尋ねた。男の目は虚ろで、既に息をしているようには見えなかった。

「この男は、私の夫ではありません。私はここよりも北の方に住む民で、彼とは狩りの仲間なのです」


「狩り?」

「はい。ほかの仲間も一緒に鹿を追いかけてここまで来たのですが、途中ではぐれて二人だけになったところ、あの大蛇に襲われたのです」

「なんと、そういうことだったのか」

 黒山は頷きながら、再び女を見た。

 白くなまめかしい太ももが目を射る。動物の皮で造ったような腰巻が申し訳程度に体を隠していた。足には、革製の袋状の靴を履いている。

 上半身には黒山が渡した上着を羽織っていたが、合わせ目からは豊かな二つの乳房が覗いていた。


「そ、それでだな」

 黒山は唾を飲み込み、頭を振った。

「あの大蛇は……、この辺りには、あんな化け物がたくさんいるのか?」

「いえ。私も話にしか聞いたことはありませんでした。黄泉よみの国から来る化け物だと聞いています」

「黄泉の国?」

「ええ、地の底にあるという死後の国のことです」

「この世のものではないと? だから最初、あんなふうに透明だったのか?」

「はい。恐らく黄泉の国から迷い込んできたのです」


「だが、途中から普通の生物のように色がついた。あれはどういうことだ?」

「もう、こちらの世界のものとして定着したのだと……」

「そんなことが、あるのか……」

 この世のものではないものが現れ、やがてこの世のものとなる。女の言っていることはそういうことだった。

 黒山も科学者の端くれである以上、理屈で説明のつかないことを簡単には信じる気にはなれなかった。だが、目の前で実際に起きたことには違いがない。何か、もっと論理的な説明がつくのではないか――。そう思うのだが、今のところ何の仮説も頭には浮かんでこなかった。


「あ、あの……」

 健二がおずおずと口を開いた。

「狩りに来たっておっしゃっていましたが、タイメイさんはこの近くにお住まいなのですか?」

「近くではないです。私はサルタヒコ様の治める国よりもさらに北側の山に住んでおります」

「そうなんですね? できれば、この辺りの国の状況なんかを少し教えていただけるといいのですが……。あ、申し遅れました私はホオリノミコトです」

 健二が頭を掻きながら言った。言いなれない名を口にしたのが照れくさいようだった。


「状況ですか? 皆さまはこの辺りの方ではないのですね? そう言えば、オモヒカネ様は普通の人では使えないような光と炎を使われましたが?」

「ああ……、我々は天津神の眷属なのだ。地上に降りてきたばかりで勝手が分からんでな。サルタヒコ殿に挨拶は済ませたのだが、ほかはさっぱりでな。状況を把握するために海まで行こうと考えていたところなんじゃ」

「それでは、しばらく前に空から光とともに降りてきたのは、あなた様たちだったのですね!」

 女は目を見開いて言った。

 戦う様子を見せたのが、功を奏していた。女の顔は黒山の言ったことをすっかり信じ切っているような表情だった。

「あ、ああ」

 黒山と健二は頷いた。


 女の話によると、サルタヒコの治める国はフタカミと言い、国津神とその眷属たちの国であるとのことだった。尋常ではない技や能力をもっているため、襲いに来るような命知らずはいないらしい。

 女たちはそれよりも北の方の山に住んでおり、狩りを主な生業なりわいとした山の民とでもいうべき人々だとのことだった。

 さらに、北に行くと大きな火山があるらしい。そして、そこにはクマソという戦いを好む血気盛んな一族が住んでいるらしかったが、フタカミまで来ることは滅多にないとのことだった。

 そして、海の方だが、やはり大きな集落があるらしかった。そこにいる人々はアガタと呼ばれているらしい。黒山たちが明日にでも海の方へ行こうと思っていることを伝えると、女は一緒に行きたがった。

 

 海の方にあるというアガタの集落では、仲間に会いに行った武たちに合流できる可能性が高い。そこで、この女に会った時、武は何と考えるだろうか――。

 黒山はあごに手を置いて考えた。自分でも何を心配しているのか、言葉にはできないのだが、まとまらない懸念が頭の中で渦巻いていた。

「特にいいんじゃないですか?」

「ああ」

「おれも大丈夫だと思う」

 健二が言った言葉に、健一と皆方が同意の声を上げた。山田も無言で頷く。


「今日の恩返しに必ずお役に立ちます……」

 女が濡れた瞳で懇願するような表情をした。

「それでは、そうするか」

 黒山は皆の顔を見回し、頭を掻きながらそう言った。

 ――やれやれ。

 心配の中身が分かった。この美しい女が、このチームの輪を乱す可能性を心配していたのだ。一同が女を気にかけ、心配するような表情をしているのが気に掛かる。

 まあ。今ここでそのことを言っても、おかしい顔をされるだけか。

 そう考えていると、健二と目が合った。健二がにかっと笑うのを見て、ため息が出る。

 全く。人の気も知らないで。

 黒山は前にせり出した自分の腹をなでながら、大きくため息をついた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る