第4話 女(1)

 宿泊用に選んだその場所は、獣道から三メートルほど登った小さな崖の上にあった。背後に岩山があり、後ろから襲われる心配はない。

 全員で地面から小石を取り除くとブルーシートを敷き、雨が降った時に備え、周りに排水用の溝を掘った。途中で拾った大きな木の枝を柱にして、ブルーシートの屋根を立てる。

 研究所に、徹夜用に置いてあった寝袋をセットすると、それで今日の寝床は完成だった。


 しばらくすると、皆方が薪にする枯れ枝を拾って戻ってきた。

 テントの前に、大きめの石を丸く並べ、黒山がライターで薪に火をつけた。

 黒山は残り少ない煙草を出すと火をつけ、パチパチとはぜる薪を見ながら煙を吸い込んだ。

「ふう……」

 口から煙を吐き出し、ほっと息をつく。

「おいしいですか?」

「ああ。もう残りがほとんどないから、味わって吸うよ」

 健一に、黒山は笑って答えた。

 

 健二が、小さな鍋に水筒の水を入れ、お湯を沸かした。そして三食分の袋ラーメンを放り込む。

 途中で山田が採取した山菜も入れると、すぐにいい匂いがしてきた。

 皆方の腹が鳴るのを合図にしたかのように、全員の腹が次々に鳴り始め、笑い声が起こった。

 鍋に入ったラーメンを五人で回しながら食べた。一緒に入れた山菜のおかげもあるかも知れないが、ありきたりの即席ラーメンが、体の隅々に染み渡るほどに美味しく感じる。量は少し物足りなかったが、これから何があるか分からないため、食料は節約する必要があった。


 ――辺りは既に暗くなっていた。オレンジ色の薪の光が、ゆらゆらと揺らめくのを見ていると、全てが幻のような気分になってくる。

「みんな、ご苦労様だった。今日は疲れたな」

 黒山は、大きくため息をつくとそう言った。

「明日はきっと海に着きますね。そうすると現地の人たちに会うことになります」

 皆方が言った。

「ああ、そうだな」

「危ないことにならなきゃいいですが」

「そうだな。十分気をつける必要があるな……」


「もちろん、最後は私が戦うということも考えなきゃいけませんが、できればそれは最後の手段にしたい。争いを避けるためにほかに対策は考えているんですか?」

 皆方が黒山の目を見て訊いた。

「ああ、これとかいいんじゃないかと思ってるんだが」

 黒山はそう言うと、懐中電灯をつけた。強く白い光が上に伸びていく。

「超強力タイプのLED懐中電灯だ。まあ、使いようだろうが、天津神だと名乗ってこれを見せれば、いきなり襲われることはないだろうと思ってるよ」

「まあ、確かに、神の光だと勘違いしてもらえるかもしれないですね……」

 皆方は頷いたが、緊張するような表情は崩さなかった。現実は何が起きるかわからないということを一番知っているのだろう。それだけに心強いとも言えた。


「ほかに、これもいいんじゃないかと思うんだけどね」

 健二がそう言い、スマホの音楽を鳴らした。山の中に激しいギターのリフとベース、ドラムが鳴り響いた。

「何だそれ?」

 皆方が顔をしかめて訊く。

「ん? メタリカって知りませんか? 超有名なアメリカのスラッシュメタルのバンドで、80年代に出したマスター オブ パペッツって曲なんですが」

「知らん。うるさいから止めてくれ!」

 健二は笑いながらスマホの音をとめた。

「最初に懐中電灯。それでも効かなきゃこれを最大音量で流そう。どうかな?」

「まあ、確かに、そんな小さな物からけたたましいロックが流れてきたら驚くだろう。この時代の人間にそれは効くかもな」

 皆方は苦笑いをして頭を掻いた。


 しばらく皆で談笑していると、薪の火が小さくなってきた。

「まだ、時間は早いが、明日に備えて眠ろうか……」

 黒山がそう言った途端、

「しっ……」

 皆方が人差し指を口に当て、そう言った。

 黙ったまま、指で向こう側を指す。道から上ってきたところ――、小さな崖のようになっている部分だ。


 じゃりっ

 と、土をつかむ音がしたかと思うと、太い毛むくじゃらの手がそこに現れた。

 すぐに、上半身裸のたくましい男が現れ、次に下から引き上げるようにして女が出てきた。女も半裸で、白い肌と美しい乳房が目を射る。二人とも息が荒く、特に男は左腕から大量の血を流し、重傷のように見えた。


「大丈夫か?」

 黒山は男と女に歩み寄ると、女に上着をかけ、男の肩を揺らした。

 男の目は既に虚ろになっており、呼び掛けても返事はなかった。

「黒山さん、危ないですよ」

 すぐに皆方が近寄ってくる。

「ああ、すまない。だが。この様子だと、危ないのはこの人たちじゃなくて……」

 黒山が唾を飲み込みながら言うと、

「ええ」と皆方は頷き、目を崖の方に動かした。


「お、大蛇おろちが……」

 女が呟いた。黒山が女を見ると、女の目が恐怖に見開かれていた。

 そして、女は気絶した。

 再び崖に目を移すと、そこにいたのは半透明の巨大な蛇だった。

「う、嘘だろ……」

 健二が、そこいる人間、全ての気持ちを代弁するかのように呟く。

「シャアー」

 と、威嚇するような声を上げ、大蛇が鎌首をもたげる。

 大きく開いた蛇の口の中には、巨大な針のような牙が無数に生えていた。

 そこにいる全員が、死を覚悟するほどの禍々しい気と匂いが漂ってくる。


「ひ、ひい」

 女が再び目を開き、悲鳴を上げた。

 大蛇が飛びかかってきた。

 黒山はポケットにあったLED懐中電灯を取り出し、スイッチをつけていた。反射的に体が動いていた。

 強烈な光が、大蛇の目を直撃し、大蛇は女を口にする寸前で止まり、後ずさった。

「シャアアアア!!」

 大蛇が怒りの声を上げ再び鎌首をもたげる。

「皆方さん。奴はこれにはじきに慣れる。ちょっと変わってくれ!」

 黒山はそう言うと懐中電灯を皆方に投げ渡し、テントに向かった。

 皆方が変わって蛇の目を懐中電灯で狙う。


 大蛇がとぐろを巻き、さらに大きく口を開いた。半透明だった体が、見る見るうちに光沢のある青黒い色へと変化していく。

 勢いをつけるかのように、頭を後ろに数度しならせると、再び飛びかかってきた。

 走って戻ってきた黒山が地面に転がりながら、防虫用のスプレーを噴射した。

 スプレーにライターの炎を近づけると、放射された薬剤が火炎になり激しく大蛇の顔面を焼いた。

「ギィヤアアァァア……」

 その意表を突いた攻撃は、大蛇を驚かし逃げ出させるのに十分なものだった。凄まじい速さで大蛇は崖の下へと降り、逃げていった。


 黒山がその場にへたり込むと、皆が駆け寄ってきた。

「大丈夫ですか?」

「凄いです! 黒山さん」

 黒山は手を上げ、笑った。自分でも不思議なくらいの機転だった。それもあんな怪物じみた動物にあんな風に戦えるなんて。

「ありがとうございます」

 その声の方を見ると、女が上着で体を隠しながら黒山を見ていた。黒に青が混じっているような不思議な瞳の色――。常に濡れているようなその瞳は、黒山の目を捉えて離さなかった。

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