第4章

第1話 探索(1)

 冷たい石の床――。

 その上で、男は肘掛け椅子に身体を預けていた。

 暗闇で揺らめく蝋燭の灯りだけが、ここでの唯一の光だった。

 微かな光が、樫の木の机とアンティークの置時計の輪郭を浮かび上がらせている。

 秒針の刻む音に合わせるかのように、男は胸を膨らませ大きく息をした。


「ふうう……、はああ……」

 男の息を吐き、吸う音が静かに響く。

 部屋中に鬼気が充満していた。

 常人なら、すぐに吐き気を催す程の濃密な鬼気だった。

 神界と対をなす暗黒の次元の世界、鬼界――。この部屋は、その鬼界にごく近い次元の狭間に作られた黒牙一族のアジトの一つなのだった。


 きしっ。

 乾いた音が部屋に響く。

 めき、ぴしっ。

 その音は更に続いた。

 そして、

 ――びき、びきっ!!

 と、一際甲高い音が連続で鳴り、

「ふふふふふ」

 男は笑った。


 男の右手が、粉々になった木製のひじ掛けを握っていた。音はひじ掛けが砕けた音だったのだ。

 めきゃ、みきっ。

 更に男は肘掛けの破片を握りつぶした。

「ふむ」

 自分の体の動きを確認するかのように、右手のひらを開いては閉じる。

「この体、思った以上の性能だな。だが……」

 男の上半身が一瞬震え、左腕が上がりかけて下がった。

「結局、今のところ使えるのは右腕だけ……。強情な奴め」

 男は、大きく、長くため息をついた。


 あの夜、偶然に追いかけてきた戦闘機のパイロット。乗っ取ったはずのその体が思い通りに動かないのだ。心の底で、男の意志が抵抗を続けているのが分かる。

 だが、もう少し――。時間をかければ、必ず自分の支配下に置けるはずだ。

 男は、再度、息をゆっくりと吐き、そしてまた吸った。


「オモヒカネよ……闇の王よ。自分を信じろ……」

 妖艶で暗い声が、頭に直接響いた。

「この時代に来ても我を誘うのか?」

 男は声に向かって訊いた。


「誘うとな? どこへじゃ?」

「知れたこと。闇の奥の奥だ」

 脳裏の幻に向かって、男は呟いた。

 目を瞑り、まどろみ、夢の世界へと落ちていく。

 暗黒の夢――。それは、男が闇の王へと落ちた物語だった。


      *


 タイムスリップから一週間が経っていた。中国大陸からやってきたという武と研究員の健二がアマテラスとスサノオに会い、黒山も含めた一行がサルタヒコの里を訪ねてから二日経っている。

 武は、一旦、自分の仲間に会うために出発していた。いつになるかは分からないが、しばらくすれば仲間たちを連れて帰ってくるはずだった。


 黒山は主任の藤田を探して研究所のコンクリートの壁に沿って歩いていた。山肌を半円形に削りとり、半ば埋まるように立っている建物の周りは、ただ歩くだけでも息が上がる。

 藤田を探しているのには理由があった。アマテラスの助言で、天津神の眷属を名乗ることになったのはいいが、これからどうやって生きていけばいいのかを考える必要があったからだった。


 タイムスリップした自分たちにとっては、天津神を名乗ることで身の危険が生じる可能性は減ったのだろうが、食料の確保やここで暮らしていく上での役割の分担など、決めなくてはいけないことは多かった。最後はもちろん皆で話し合わなくてはいけないが、研究員のリーダーである藤田の意見が聞きたかったのだ。


「オモヒカネね……」

 アマテラスが言ったという健二の言葉を思い出し、黒山は呟いた。

 神話ではアマテラスが岩戸に隠れた際に、八百万やおよろずの神々を集め岩戸を開く作戦を立てる中心となった神で、知恵の神とも言われている。

 なぜ、アマテラスは自分にこの神の名を名乗れといったのか――。理由があるのか、単に自然の流れで言っただけなのか、考えてもわかるはずもなかったが、心に張り付くように疑問はついて回った。


 空では小鳥がさえずり、柔らなかな日差しが降り注いでいる。

 穏やかな風に髪を弄られながら外を歩いていると、ここが遥か昔の世界だということを忘れてしまいそうになる。

 大きく前にせり出た腹を揺らし、汗を拭きながら建物の周りを探したが藤田はどこにもいなかった。とりあえず、衝突型加速器のある実験室へ向かう。


 長い廊下を抜けて扉を開けると、はたしてそこに藤田はいた。いつも着ているオイルや垢で汚れたブルーのツナギ。その上に白衣を羽織り、背中をこちらに向けている。

 今更、ここにいても仕方がないはずなのに、加速器の集中制御装置をコンピュータを動かしながらチェックしているようだった。電源は屋上の太陽電池から取っている分だろう。

「おおい!」

 黒山は藤田に向かって大きな声で呼びかけた。

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