第6話 試験(2)
「本気を出すぞ。ここまでやるとはな」
リチャードはそう言うと、大きく息を吸い込み、そしてゆっくりと吐いた。ミリミリッと音を立て、リチャードの肉体が膨らんでいく。
「おいおい、マジかよ……」
リチャードの言葉に驚きながら、自分の口が大きな笑みの形になっていることに気づく。
「こおおおおおおっ」
丈太郎は腰を落とし、空手の息吹で臍の下にある丹田に気を溜めた。
完全に脱力し、どんな攻撃が来ても対応できるようにする。
さらに、溜めた気を背骨に沿って眉間へ移動させ、左右の手で額の前に印を結んだ。
その印は、密教の不動明王印に似ているが異なる。修験道をベースにする丈太郎の流派に古くから伝わり、気を集中する際に使用するものであった。
急速に集まった気が、眉間で弾けそうになるほど溜まっていった。気を見ることができる者ならば、大きな光の玉のような気の塊を見たであろう。
「ふんっ!」
呼気が爆発するかのように丈太郎の口から漏れ出て、同時に気が周囲に放たれた。それは水面に落ちた水滴が作る波紋のように広がっていった。
突如、リチャードが動いた。
最初の攻撃以上に、初動が消え、さらに動きそのものも速い。
凄まじい速さで左右のパンチが丈太郎に襲いかかった。
丈太郎が体の周囲に放った気が、リチャードの攻撃の意識を感知していた。
人の攻撃は肉体が動く前に、必ず意思が働く。まず、攻撃しようと考えるのだ。そして、その意思と連動して気が動く。筋肉が動き出す一瞬前に、その者が纏う気が動くのだ。大げさに言うと、まず気が動き、それを追いかけるように体が動く――。
それが丈太郎の使った技の名前だった。その技は、潜水艦のアクティブソナーに似ている。アクティブソナーは音波を放ち、反響定位によって目標の位置情報を知る装置だが、丈太郎の技は気の反射を使うのだ。
元々は、仕事で使う悪霊や妖怪に対するための技術だが、丈太郎は対人用に改良して使用していた。
リチャードの全ての攻撃を両手で弾き落とすと、
「へえ……。こんなことは初めてだ」
リチャードが呟いた。そして、さらにその攻撃のスピードが上がった。
まるで、腕の数が増えたかの如く、左右の攻撃が襲いかかる。
人の生み出す速度を明らかに超えている。
さらに左右の蹴りまで加わり、捌ききれなくなった丈太郎は後ろに大きく跳び退った。
しかし、リチャードは丈太郎が距離をとるのと同じ速度で間合いを詰めてきた。
丈太郎は一転して前蹴りを放った。
絶妙なタイミングでリチャードの腹に突き刺さったはずの前蹴りは、空を切っていた。丈太郎が攻撃したのは残像だったのだ。
まるで分身したかのような速度には、気による察知も役に立たなかった。
右顎をリチャードの右ストレートが強烈な速度でかすめる。
続けて襲いかかる左のフックを右肘で跳ね上げ、左肘を顔面に突き刺す。
また、空振り――。
連続で放った右回し蹴りはリチャードのガードに当たり止められた。
丈太郎は追撃せずに、もう一度後ろに飛び退り、距離をとった。
放気円陣によって攻撃が始まる前に察知しているのに、防御が追いつかない。本気を出した戦いで、こんなにも後れをとるの初めての経験だった。
丈太郎がそう考えていると、
「彼は、
突然、頭の中で声が鳴った。
フェザーを見ると目が合った。
「どうやってるんだ?」
心の中で呟くと、
「あなたの心に直接話しかけてるわ」とフェザーが答えた。
「テレパシーか……」
「ええ」
不思議な感じだが、違和感は感じない。さすがはインディアンの魔女の末裔だった。
「一つだけ、アドバイスするわ。周りの自然の気やあなた自身にある気を使うんじゃない。神気を降ろすのよ」
「どういうことだ?」
「イメージして……高次の世界の力を。そして信じて。自分の力を」
フェザーはそう伝え、それ以上の助言はしなかった。
だが、この極限状態にあって、フェザーのアドバイスは丈太郎の心の奥に響いた。
リチャードが再び攻めてきた。
相変わらずの超速の攻撃――。丈太郎は、放気円陣で事前に察知した攻撃の芯を外すことに集中した。攻撃全てを完全に捌くのは諦めることで、致命的な打撃を喰らわないようにする。
体や頭、肉や骨を、拳や足が撃つゴツゴツという鈍い音が響いた。
三発喰らうごとに一発返す。そして、致命傷は外す。
余計な雑念が払われ、体が自動的に動く。
「イメージして……高次の世界の力を」
ふと、先ほどのフェザーの言葉が頭の中で蘇った。同時に、この世界に重なってある高次元の世界のイメージが脳裏にフラッシュした。神気に満ちあふれた高次の世界――。元から知っていたことを改めて気づかされたような、そんな感じだった。
一気に巨大な気の道が通り、体に体に高濃度の神気が充填されていく。
これが、神気か!?
丈太郎は驚きに包まれていた。それは今まで知っていた気を扱う技術とは別次元のエネルギーのようだった。汲んでも、汲んでも枯れない井戸から、新鮮な力が溢れてくるようだ。
丈太郎の様子が変わったことに気付いたのか、リチャードの体がそれまでよりも、一層大きくなった。放気円陣が感知する気の強さがみるみるうちに強大になっていく。
「シュッ!」
静寂を打ち破るかのように、リチャードは鋭い呼気を発し、今までで最高、最速の右ストレートを丈太郎の顔面に突き刺した。
その目にもとまらない一撃は、丈太郎の顔面を完全に破壊した――はずだった。
「む!?」
リチャードが驚きの声を発した。
丈太郎が左右の親指と人差し指をL時に開き、顔面の前で菱形を二つに割ったような形に構えている。その間を突き抜けたはずのリチャードのパンチは丈太郎には届かず肘から先が消えていたのだ。よく見ると、右手と左手に囲まれた空間が白いもやで歪んだようになっている。
「ぬおりゃっ!」
常人なら、通常起こりえないその現象に臆して、攻撃を止めたかもしれないが、リチャードは違った。続けて金的に前蹴りを叩き込んできたのだ。
だが、その一撃に先ほどまでのキレはなくなっていた。
気の動きを読んでいた丈太郎は前蹴りをすかし、右の突きをリチャードの顔面へと突き込んだ。
負けじと左の拳を突き出すリチャード。
パンッ!
と音を立て、同時に二つの拳が手のひらに受け止められていた。
恐ろしい速さで武見が二人の間に立って、両方のパンチを受け止めたのだった。
「これくらいで、よかろうよ」
武見が穏やかな声で言った。
「まだ、途中だ」
「まあ、そう言うな。けがをしては元も子もないわ」
憤るリチャードに武見が言った。
「で、武見さん。結果はどうなるのかな?」
「結果?」
丈太郎の質問にリチャードが怪訝な顔をした。
「忘れているな? この戦いは少年についていく資格があるかどうかの試験だったはずだぜ」
丈太郎が笑った。
「合格じゃ」
武見が深々と頷いて言った。
張り詰めていた空気が一気に緩み、神山が進み出た。
「それでは準備を進めるとしましょうか」
内閣情報調査室の神山が手を叩きながら言った。
あれは何だったのだ?
丈太郎は、偶然、自分が出した技のことを考えていた。
おそらくリチャードのパンチだけを違う空間へと一瞬飛ばすことによって、攻撃を避けたのだ。
「おい、いいか?」
「ああ」
憮然とした表情で近づいてきたリチャードに頷く。
「あの妙な技……あれがなければ、俺の勝ちだったんだ。あれは、いつも使うのか?」
「いや、まぐれだ。それに勝負はお前の言うとおりだと思うぜ。お前の勝ちでいい」
「変な奴だな」
あっさりと負けを認める丈太郎に肩すかしを食らったかのようにリチャードは笑った。つられるように丈太郎も笑う。
二人の様子を眺めていた武見の横にフェザーが来た。
「先生。これから大変なことが待っているのよね?」
「ああ、まず間違いなく」
武見はにこりともせずに言った。
体育館の外では、蝉が喧しく鳴いていた。
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