第3章

第1話 新たな出会い(1)

「ふん、ふん、ふん……」

 佳奈は鼻歌を歌い、歩いていた。宮崎駅に併設されている大型ショッピングセンターには入らず、アミ-ロードと看板のある商店街を進んでいく。体調がよくなったから、外に行きたくなったと青山に訴えたら、あっさりと許可が出たのだった。


「我々には、一般人の君を拘束することはできない。本当はずっとここにいてもらった方が安全だし、我々も安心なんだけどね。特に、あの夜、彼を襲ってきた奴らのこともあるからね……。くれぐれも気をつけるように」

 青山はそう言うと、GPS発信器を渡した。

 もっと反対されるかと思っていたので、ある意味拍子抜けだったが、結論が変わらないうちに佳奈はバックパックの底にそれを放り込んだ。そして、電車に乗って宮崎市内まで来たのだった。


 喫茶店や散髪屋、小さな洋食店の前を通り過ぎ、古着屋や雑貨店に立ち寄る。数年前の再開発できれいになった町並みに心が浮き立った。

「へえ、これ可愛いな……」

 たまたま入った雑貨店でフクロウのキーホルダーを見つけて佳奈は声を上げた。くりっとした黒目が可愛い。

 彼に買って帰ると喜ぶかも……そう思って、反射的に元に戻す。

 全く何を考えてるんだか。自分で自分に突っ込みを入れつつ、欲しかったハンカチや小物入れを見始めた。

 顔が赤くなっているのが自分でも分かる。


「もう……」

 佳奈は独り言を言いながら、お店を後にし、また歩き始めた。駅と反対方向にずっと歩いて行くと、昔ながらの商店街である若草通わかくさどおりがあった。今日はそこまで行って、色々見て回るつもりだった。

 古びたアーケードの入り口をくぐり、若草通に入ると、すぐに画材屋があった。その前を過ぎると、洋服店に入って、いくつか見て回る。すぐに外に出て、隣の古着屋に入る。可愛い上着があったが、残念ながら予算オーバーだった。羽織って鏡を眺めて、元に戻すと外に出た。


 佳奈は外に出ると上を見上げ、アーケードの錆びた骨組みを見て息を吐いた。

 色んな事があった。それも、ここ数日の間に――。父も行方不明のままなのに、これから母が提案したようにあの少年と暮らすことになるのか。正直、少年と暮らすのは楽しみなような気持ちもあったが、運命の流れに翻弄されているような今の状況は何となく気にくわない。


 もやもやとした気持ちを振り切るように、佳奈は歩き始めた。

 しばらく進んで、何となく右に折れて細い路地に入る。すると、足下がレンガ調のタイル舗装に変わった。小さな洋風のポールに付いた標識に四季通しきどおりとある。

 美容室やうどん屋を横目に進んでいくと、猫が何匹か寝転んでいるところに出た。みんな、可愛い首輪をつけている。そういえば、途中、脇道の標識に、猫の足跡通とあった。


「ち、ち、ち」

 しゃがんで猫を呼ぶが、寝転んだまま一瞥され、中々近づいてこない。

「ダメか」

 ため息をついて立ち上がると、ふくらはぎに体をすりつけるしなやかな感触がした。急いで、ふり返るとそこいたのは見覚えのある小柄で真っ黒な猫だった。

「え。トマト!? 猫違いじゃないよね……?」

 そう言うと、フンと顔をそむける。この猫らしくない仕草――。明らかにトマトのように思える。尻尾を優雅にくねらせている様子を見ていると、もしかしたら、心配してついてきたのかもしれないと思えてきた。


「なんで、いるの? まさか電車に乗ってついてきたの?」

 そう言って頭を撫でると、

 黒猫は頭を押しつけ「にゃあん」と返事をするように鳴いた。

 首輪のような印があるわけではないが、トマトであることに間違いなかった。


「なんだか、嬉しいぞ」

 トマトの頭を撫でながら、そう話しかけていると、

「お姉ちゃん。何しちょると?」

 と、すぐそばにあるたばこ屋のおばちゃんが、店から出てきて声をかけてきた。小太りの中年の女性だった。花柄のブラウスにベージュのスカートを履いている。


「ここらでは見ない猫ちゃんやねえ」

 おばちゃんが、満面の笑みを浮かべながら、質問してきた。独特の押しの強さが少し怖い。

 えへへっと愛想笑いして、おばちゃんから目を逸らす。

 ――と、その時、突然、トマトが

「にゃあああ……」と、低い声で唸った。

「お嬢ちゃあん」

 佳奈は、唐突に背後から浮ついた声で呼びかけられた。突然のことに、思わず大きく振り向く。


 小太りの男とやせた男。小太りの方は黒のパーカーに黒のスエットパンツ。やせた方は大きめのTシャツに、腰の下までおろしたぶかぶかのジーンズで、いかにも不良といった出で立ちだった。茶髪に伸ばした襟足の髪型がいかにもだ。

 二人ともニヤニヤと下品な笑いを浮かべている。

「な、なんでしょう?」

 佳奈は後ずさりながら、そう尋ねた。

 たばこ屋のおばちゃんが、そそくさと店に帰っていくのが、視野の端っこに映った。


「暇?」

「いえ、そんな、暇……じゃないです」

 突然のことに声が震えた。

「そんなこと、ないやろ? 一緒にお茶でも飲もうや。俺ら、暇で、暇で……」

「結構です」

 佳奈はそう言い、踵を返すとつかつかと歩き始めた。

「ちょっと、待てや!」

 太った男のほうがそう言い、佳奈の右肘の辺りをつかんだ。

「痛っ!」

 佳奈は後ろに転けそうになり、男を睨んだ。

「まあ、まあ……。そんな、怒らんでいいがあ」

 やせた方の男が笑いながら言った。


 二人とも佳奈の目をのぞき込むように見てきて、恐怖で膝が震える。

「うわ!」

 突然、やせた男が悲鳴を上げて手を押さえた。

 同時に、佳奈の右肘から手が離れる。

 地面に降り立ったトマトが舌で自分の右手を舐めていた。時間差で、どうやら、トマトが男の手をその爪でひっかいらしいことに気づいた。

「トマト、逃げて」

 全身の毛を逆立て、背中を丸めるトマトに、佳奈は言った。鼓動が激しくなり、冷や汗が吹き出す。

 男たちは口々に怒声を上げ、逆上していた。このままだと、トマトが危なかった。


「おいおい。女の子をいじめたりしちゃいけないんじゃないか? 二人とも男だろ?」

 その時、場違いな、明るく暖かい声が響いた。

 佳奈が顔を上げると、そこには圧倒的な存在感を放つ巨漢が立っていた。

 二十代後半くらい。身長は百九十cmくらいか。体の厚みが常人の倍近くある。

 着古したジーンズにオープンカラーの白いシャツ。首には革紐のチョーカーが巻かれ、シルバーの羽根飾りが揺れている。

 彫りの深い大きな目と高い鼻、そして太い眉。派手な顔立ちなのに、どこか人懐こい印象を与える顔立ちだった。


「何だよ、お前……?」

 震える声で虚勢を張りながら、黒のパーカーを着た小太りの男が前に出る。

 巨漢はニヤリと笑うと、中指と親指で輪っかを造り、男のおでこの前に構えた。

「そののことは諦めて帰った方がいいぞ」

「何だと!?」

 小太りの男が怒声を上げた途端、

 バチッ

 というもの凄い音を発して、巨漢の人差し指が男のおでこにめり込んでいた。小太りの男の膝が崩れ、その場に倒れる。

「前もって警告はしたんだから、恨みっこなしだぜ。さて、君はどうする? その太っちょ君を連れて退散する方が得策だと思わないか?」


「何ぃっ!?」

 やせた男が怒声を上げた。こめかみに太い血管が盛り上がり、体が震えるほどに逆上している。

「やれやれ……」

 巨漢は笑顔でそう言うと、両手のひらを胸の前で大きく開いた。

「ふんっ!」

 裂帛の気合いとともに、両手のひらが激しく打ち鳴らされる。

 バシーーンッ!

 と、一瞬、轟音が響き渡り、その瞬間、辺り一帯の雰囲気が変わった。目に見えない濁った空気が静謐で新鮮な空気に丸ごと入れ替わったかのようだった。


「え、なに……?」

 先ほどまで逆上していたやせた男は、我に返ったかのような表情で辺りを見回した。巨漢と佳奈に目を移し、最後に倒れている小太りの男を見る。

「ク、クソ、覚えてやがれ!」

 やせた男はそう毒づくと、小太りの男の背中を抱えあっという間に逃げ出した。

 

「さて、もう大丈夫だよ」

 巨漢は二人の男の背中を笑顔で見送りながら、そう言った。

「あ、ありがとうございました……」

 佳奈が頭を下げると、

「俺は九鬼くき丈太郎じょうたろうっていうんだ」

「私は秋月佳奈です。危ないところを助けてくださって本当にありがとうございました」

 佳奈は丈太郎にもう一度頭を下げた。

「いやいや、お礼なんか言う必要は無いよ。実は、君に会いに来たんだ」

 そう言って笑う丈太郎の顔を佳奈はまじまじと見つめた。

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