第12話 キハチ(1)

 秋が過ぎ、冬に入ろうとしていた。

 山の斜面を武は、健二と一緒に上っていた。

 武は黒く染めた綿の着物に草鞋、健二はジーンズにTシャツ、スニーカーだった。二人とも手作りの弓矢を背負い、雑木を避けながら上っていく。


ウーは大陸では、狩りに行ったことはあるの?」

「そりゃあな。生きていくためには必要なことだ」

 健二と出会って約四か月。驚くべき早さで武は日本語を操れるようになっていた。健二がつきっ切りで教えてくれたおかげだった。

「大陸にいたことは懐かしくならない?」

「なぜ、そんなことを訊く? 未来に帰りたいのか?」

 足を止めて武は訊いた。

「帰りたいかって訊かれれば、まあそうだけど……」

「そうだけど、何だ?」

「こっちもそれなりに気に入ってるよ」

「俺もだ」

 二人はそこまで話して、目を合わせて笑った。


 武は、こうして健二と一緒にいることが、王子を亡くした寂しさや無念の気持ちを癒やすことに繋がっていると感じていた。黙って二人でいても、お互いに気を遣わずにいることができる。こうやって話ししていてもそれは同じだった。


「健二は名前を変えることに抵抗はないのかい?」

 前から思っていた素朴な疑問だった。

「抵抗がなくはないけど、成り行き上、仕方が無いよね。それにそれは表向きの話でさ、僕たちは今まで通りでいいんじゃない? 今さら、武のことをタケミカヅチって呼べないよ」

「そうか。なら、俺もホデリノミコトとは呼ばないぞ。健二」

「うん、それでいいよ。でも、里の人がいるところでは、一応その名前で呼び合おうか」

「ああ」

 武は笑った。


 二人は再び山の斜面を登り始めた。

 木々や山の土の匂いが空気に色濃く漂い、鳥のさえずる声が頭上から響く。二人は注意深く、獲物の気配を探した。

 ずっと向こうの木々の間で何かが動いた。

「いた……」

「ああ」

 二人は小さな声で囁いた。

 美しい毛並みの若い牝鹿が、下生えの柔らかい草を食(は)んでいる。

 幸いこちらが風下だ。匂いで気づかれることはない。

 慎重に音を立てないように近づくと、武が矢をつがえ、キリキリと弦を引き絞った。


 矢を放つと、放物線を描いて鹿に向かった。

 と、矢が当たる寸前、激しい風が吹き、矢が流れた。わずかに逸れた矢は鹿の足下に突き刺さり、鹿が逃げ出した。

 慌てて健二が矢を放つが、見当違いの方向へと飛んでいく。

「くそっ!」

 健二が叫んだのと同時に辺りが真っ白に光り、轟音が鳴った。

 その音は、地面を揺るがし、二人の聴覚を一時的に奪った。


 目の前で、鹿が倒れていた。肉の焦げる匂いが漂ってくる。

 呆然としていると、突然、小さな子どもがやってきて、鹿を背負った。

 まだ年端のいかない三歳くらいにしか見えない男の子だったが、上半身裸で肩に大きな目玉のような痣があった。

 鹿が大きすぎて、背負った子どもが見えなくなる。

「今のはお前がやったのか?」

 武が訊くと、

「ふん」と子どもは鼻を鳴らした。

「これは俺のだ」

 子どもはそう言うと、鹿の足を地面に引きずりながら、一目散に駆けていった。落ち葉を踏む足音と鹿の足を引きずる音が遠ざかっていくのを二人は呆然と見送った。


      *


 武と健二は、結局獲物を手にすることなく山から下りた。研究所には帰らず、フタカミの里に立ち寄り、サルタヒコの屋敷へと向かう。山で出会った雷を使う子どものことを報告するためだった。


 サルタヒコに鹿狩りの時の一件を話すと、

「どれ、我が見に行ってみようか」とサルタヒコは言った。

「見に行くって?」

「黄泉比良坂の道を使って人捜しするのは結構得意でな」

 健二の疑問にサルタヒコが答えた。

「あの子は里の誰かの子どもなのか?」

 武が訊くと、

「いや、そうではないんだ」

 サルタヒコはそう答え、あの子どもについて話を始めた。


 正体不明の幼い子どもの国津神がいるというのは、フタカミの者たちの間でも話題になっていたらしく、このままにしておいて何かあってもいけないというのが、サルタヒコの意見だった。子どもの出自については、誰も思い当たらないらしく、捨て子か、余所から流れてきた子どもなのではないかとのことだった。


 サルタヒコは裏山に行くと、黄泉比良坂を開いて中に入った。

「少し時間がかかるかもしれないが、今日中には連れて帰るよ」

 サルタヒコはそう言い、手を振りながら黄泉比良坂の中へと消えていった。

「まあ、心配することはない。あれで、あの人は子どもには好かれるたちでな」

 アメノウズメは笑いながらそう言った。

 しかし、武と健二は心配でしょうがなかった。いかにサルタヒコであっても、あの電撃を食らえば、死んでしまうかもしれない。それに子どもとは意外に残酷なものだ。昆虫や小動物を遊びで殺してしまうような子どもだって中にはいるのだ。


 帰るに帰れなくなり、里の者の仕事を手伝いながら、二人はサルタヒコの帰りを待った。


 太陽が山の向こうへと落ちかけた頃、サルタヒコが子どもを背負って帰ってきた。子どもはすやすやと寝入っている。

「こやつめ、ちょろ、ちょろと逃げ回りよって、中々捕まえられんかったが、最後は寝てしまいよってな……」

 サルタヒコは大声で笑った。

 よく見ると、髪の毛の所々が焼け焦げ、縮れている。

「大丈夫だったの? 怪我はしなかった?」

 健二が訊いた。

「ああ、最初は警戒して逃げたり、攻撃してきたりと大変だったが、話して聞かせたよ」

「そんな……、話を聞くものなのか?」

 武が訊くと、

「おう。大丈夫だったぞ。真剣に話をしたからな」

 と言ってサルタヒコは再び笑った。


「うん……」

 子どもがやり取りの声で目覚めた。

「おう起きたか、キハチ。今日からここがお前の家だ」

「え?」

 キハチと呼ばれた子どもは地面に降り立つと、高床式の屋敷を見つめた。

おさよ。この子と一緒に暮らすのかね?」

「ああ。我が責任を持つ」

 里で一番年老いた男が問いかけると、笑いながら、しかし有無を言わせぬ調子でサルタヒコは答えた。見守っていた里の人々がざわついた。

「長が決めたのなら、何も言うまい」

 老人がそう言うのをキハチはぽけっとした顔で見つめていた。


「ねえ、おじさん。やっぱり、俺出て行った方がいいかも」

 キハチが呟くような小さな声で言った。

「馬鹿、何を言う」

「だって、俺は本当の親にも捨てられた孤児みなしごなんだ。知ってるぜ。人は自分と違う者を怖がるからな」

 子どもがそう言うと、老人の足下に小さな雷が落ちた。それは鹿を殺した雷とは比べものにならないくらい小さな雷だったが、老人を驚かすには十分だった。

「ひっ」

 小さく悲鳴を上げて後ろに逃げる。集まっていた里の者たちも一斉に後退った。


「こらっ!」

 その途端、大きな拳骨げんこつがキハチの頭にめり込んだ。

「いって!」

 唇をとがらすキハチにサルタヒコが笑った。

「お前はここの子だ。だから、悪いことをしたら我が叩く。責任をとるっていうのはこういうことだ」

 たぶん、大丈夫だ。サルタヒコの笑顔を見て武はそう思った。

 隣を見ると、健二が笑っていた。

「どうした?」

「いや、こういうのって何かいいなと思ってさ」

「ああ」

 健二の言葉に武が頷いた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る