第10話 国津神(2)

 一面、木の板が敷き詰められた広間に一行は上がった。向かいにサルタヒコとアメノウズメが座っている。しばらくすると、廊下を歩く音が響いてきた。女性が飲み物を運んできたのだった。

 ほどなくして、皆の前にその飲み物が置かれた。

「この建物、とても縄文時代のものとは思えない。それにあの鋸。あれでおそらく板を作っているんだと思うが、あの鋸もこの時代には不似合いなものだ」

 健一が小声でそう言うと、

「本当だね」健二も小さな声で答えた。


「ところで、お主たち、本当に高天原から来たのか?」

 アメノウズメが唐突に訊いた。

「それは、もう」

 黒山が汗を拭きながら言った。

「ふうむ。アマテラスに会ったというのは本当のようだが……、お主たちには全く神気を感じないのだよなあ。……いや、そこの武人。お主にだけは少し感じるか」

 アメノウズメが武に笑いかけた。

 武はなんと言っていいのか分からず、ただまっすぐ、アメノウズメの顔を見た。

「神気とは?」

 藤田が訊いた。

「ああ。この世界に満ちている大いなる力のことよ。天津神なら、自ずとその力を体内に有しておるはず」

 静寂が辺りを覆った。次に出す言葉を皆、口に出しかねていたのだった。


「まあ、よい。まずは、ウズメの歌と舞を見ていくがよい。話はそれからじゃ。それから、せっかく用意した飲み物を飲みなされ」

 サルタヒコはそう言うと、アメノウズメに目配せをした。

「あい、分かった!」

 アメノウズメはそう言うと、立ち上がった。

 ゆっくりと前に進むと、おじぎをして踊り始めた。


 腰を落とし、手のひらをユラユラと動かす。

 伸び上がるように上に腕を伸ばしたかと思うと、ダン、と音を響かせて足を踏みしめる。

 続けて流れるように、体を移動させ足を大きく開く。

 時に激しく、時に優雅に舞うその様に、そこにいる皆が目を奪われた。


 武は小鳥がさえずるような高い声が微かに流れていることに気づいた。

 よく見ると、アメノウズメが口を小さく開き歌っている。決して大きくははないが、不思議と通る声だ。

 武はアメノウズメの舞に見惚れ、そして歌に聞き惚れていた。気がつくと喉が乾き、からからになっていた。

 目の前に置かれた飲み物を口にする。水のようだが、ほのかに甘かった。他の者も武に続いて飲み物を飲んだ。


 ひょっとすると、飲み物の効果もあったのかもしれない。これまで、聴いたことのない浮遊感のある旋律と調子に、そこいる皆が夢心地になっていった。

 武は、その旋律と舞に乗せて、健二たちと会った時のこと、そしてアマテラスやスサノオに会ったときのことが目の前に映像となって流れていくのを感じた。不思議なことに、今、そのことが目の前で起こっているかのような映像だった。


 どれくらいの時が経ったのか――。

 気がつくと、武の体は暗闇に浮かんでいた。

 目の前に、眩しく光る暖かい光があった。あっという間に光は近づき、体の周りを上から下へ、らせん状に回った。

「王子?」

 なぜかは分からないが、武はそう呟いていた。

 すると、光はたちまち王子の姿になった。

「世話になった……」

 王子は笑顔で言った。


 これでもう会えなくなるという確信が脳裏に閃いた。

「王子、まだ行かないでください!」

 武は必死に訴えた。

「自分の人生を生きるのだ……」

 王子は笑顔でそう言って、また暖かい光へと形を変えた。

 次の瞬間、光は弾けるように消えた。

 そして、目の前の光景が、サルタヒコの屋敷の広間へと戻った。


「母さんに会った。僕らが幼い頃に亡くなった母さんに……」

 横で、健一と健二の兄弟はそう言い、目を腫らして泣いていた。

 他の人間も一様に頬を涙でぬらしている。

 武は自分の頬にも涙が流れていることに気づいた。だが、心の中には暖かいものが残っている。それは王子が残した思いやりの心だった。


「お主たちの心に触れさせてもらった。お主たちの置かれている状況も、人となりも全て分かった。大変じゃったな……。お主たちを仲間として認めよう。里の者たちにも天津神として扱うように話をしよう。これからはニニギノミコト、ホデリノミコト、ホオリノミコト、スクナビコナ、オモヒカネとして暮らすのじゃ」

 アメノウズメは笑顔で言うと、サルタヒコを見た。

 サルタヒコも笑っていた。それは、初めて見せた笑顔で、どんな人でも魅了されるであろう人懐こい笑顔であった。


      *


 サルタヒコに促され、一行は建物のすぐ裏手にある山に案内された。山は、巨大な岩が垂直に立ち上がったかのような変わった形をしていて、その圧倒的な迫力に一行はため息をついた。

「こんなごつごつとした岩山、初めて見たよ。まるで一枚の大きな岩で出来ているみたいだ」

 健二は呟いた。


 武は健二の横に立って、山を見上げた。巨大な岩肌は、一面に背の低い雑木や苔が生えていたが、大きなしめ縄が張られ、岩肌がむき出しになっている部分があった。

「あれは何だ?」

黄泉比良坂よもつひらさかの入り口よ」

 サルタヒコが言った。

「よもつひらさか?」

「ああ。お主たちは特別じゃ。家まで送っていこう。ついてまいれ」


 サルタヒコはそう言うと、しめ縄の張られている場所まで歩いて行った。

「むんっ!」

 サルタヒコは一礼すると、両手のひらを二回、打ち鳴らした。手を打ち合わせた合掌の状態のまま、岩肌に向かって力を込めているように見える。前腕に太い血管が浮かび、汗がしたたり落ちた。

 空気が激しく振動し、ビシビシと音を立て岩肌が揺れる。

 サルタヒコが、両手を少しずつ開いていく。すると、その動きにあわせ、岩肌に四角い真っ黒な穴が開いていった。

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