第2話 心の中の友(2)

 少年は涙を拭い、上半身を起こした。

 今、見た夢のことが頭を離れない。

「キハチ……」

 懐かしい響きだった。はっきりと思い出すことは出来ないが、彼との間には切っても切れない絆があるはずだった。

 部屋の窓から、初夏の強い日差しが差し込んでいる。

 日の光が照らすシーツを眺め、少年はため息をついた。


 コン、コン

 と、ドアが鳴った。

 ドアがゆっくり開き、少女が顔をのぞかせる。

 目と目が合い、少年は首をかしげた。

「起きたのね? 大丈夫?」

「ん。ああ」

 返事をして体を起こそうとする。

 少女は慌てて、中に入ってきて少年の背中を支えた。


 また、目と目が合って、少女の顔が一気に赤くなった。

 背中を支えていた手をぱっと離す。

「……どこか痛い?」

「いや」

 首を振ると、少女の顔をじっと見た。知らない顔だが、不思議と懐かしい感じがする。


「背は小さくなっちょらんね」

「え? 小さい?」

 自分の体を見つめるが、少女の言うことがぴんとこない。

「海岸で初めてあなたを見つけたときは、十歳くらいの子どものようだったの。ここであの黒い男と戦ったこととか、海岸で怪しい男たちとたたかったこととか、覚えてない?」

「いや。微かにだが、それは覚えている」

 脳裏に、海岸で戦った男たちや寝ているときに戦った黒い男のことが浮かんだ。それは、本当に微かな記憶だったが、体の奥底から迸った力が雷となって男たちを撃ったことは明確に覚えていた。

 そのときに、傍らにいた少女がこの娘か――。少年は改めて少女の顔を見た。 


「オモヒカネって……いう言葉が何かは分かる? あの怪しい男たちに、オモヒカネの手のものか? って言ってたんだけど」

 少女の言った言葉に思い当たるところはなかったが、妙に心に引っかかった。

「何か思い出す?」

「いや、だめだ」

「自分の名前は?」

「それこそ、思い出せない」


 少女がため息をついた。

「記憶喪失なのかな。……じゃあ、海岸や病室で、雷みたいな力を使ったことは?」

「キハチ……」

 自然とその名が口をついた。

「それは人の名前?」

「ああ、そうだ。それはきっとおれの力じゃない。おれの中にいるキハチの力だ」


「中にいる? まさか、二重人格なのかな?」

 少女が首をかしげて言った。

「……少し、おかしなことを言うが、さっき、夢でキハチと会ったんだ。俺の心の奥にいるんだそうだ。彼は雷と風を使う鬼だと自分のことを言っていた……」

「鬼? そう、なの? でも、もう、変なことが起こりすぎて、何でも信じちゃいそう」

 少女は笑った。


 少年もつられて笑顔になった。

 すると、ちょうど、ドアの開く音がした。

 入ってきたのは、老人と黒い猫、そして少女の母らしき人と青年だった。

「やっぱり、目が覚めてたのね」

 その母らしき女性が言った。

「うん」

 少女が返事をすると、母が笑った。

「体に不調は無いか?」

 青年が訊いてくるのに、少年は無言でうなずいた。


「彼は何か言っていたかい?」

 青年が少女に向かって訊いた。

「えっと、はい少し……。あ、でも記憶がないみたいです。名前も思い出せないって……。それと心の奥にキハチっていう友だちみたいな人がいるって……」

「ほう」

 怪訝な顔をする青年とは対象的に、老人は笑顔で頷いた。


「あの、この子の面倒ですが、私が見るわけにはいかないでしょうか?」

少女の母が唐突に言った。

「それは、そういう訳にはいかないですよ」

 青年が驚いた顔をした。

「彼についてはこれから調べなきゃいけないことがたくさんある。それに先日の男たちがまた襲ってこないとも限らない」

「青山さん、でも!」

 青山と呼ばれた青年は首を振った。


「青山よ、検討の余地はあるだろう? それで、一緒に暮らしたい理由は何かの?」

 青山と少女の母の両方をなだめるように老人が言った。

「夫の唯一の手がかりであると言うことが一つ。そして、なぜだかは分からないのですが、彼が私たちの身内の一人であるような、そんな気がしてならないのです。なんでかな、佳奈が妙に懐かしいって言っているのと一緒の理由のような気もします。おかしなことを言っているって分かっていますが……」


「どうじゃ?」

 老人が青山の顔を見た。

「しかし……」

「ここで、半ば監禁状態にするのが、この子にとっていいとも思えんし、考えてみてはどうかの?」

「さっきも言いましたが、また、あの男たちが襲ってこないとも限りませんよ?」

「そこは、わしが守ってやるさ」

 老人は、にっこり笑った。


「先生が、そうおっしゃるなら上に相談してみますが……」

 老人は、青山が渋々うなずくのを見届け振り向くと、

「では、前向きな結論になることを期待しよう」

 と言って笑った。

「さて。お主はそれまでゆっくりとした方がいいな」

 老人は少年の目をのぞき込み、胸をどんと手のひらで叩いた。


 いくらも衝撃を感じなかったのに、力が抜け体が仰向けに倒れた。

 と、同時に、黒い子猫が胸の上に、とん、と降りてきた。

「にいいい」

 と、優しい鳴き声が響く。

「あの……」

 口を開きかけたが、すぐに億劫になった。まぶたが自然に閉じ、目を開くことができない。

 そして、どこまでも暗い闇の底へと少年は落ちていった。

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