第10話 八咫鏡(2)

「ちょっといいですか?」

 安藤が遠慮がちに言った。

「なんじゃ?」

「武見さんが、今ご説明くださったことも大変興味深いのですが、とりあえずそれはさておき、少し試してみたいことがあるんですが……よろしいですかね?」

「別にかまわんぞ。ただ乱暴には扱うなよ」

 武見が言うと、安藤は頷いた。


 安藤は鏡を左の手のひらにのせ、腰を落とした。

 ゆっくりと息を吸い、そして吐く。

 鏡をのせている左の手のひらが細かく震えたかと思うと、ピリッという音を鳴らして一瞬光った。

「気をぶつけたか?」

「ええ。本当に大したことはないんですが、過去に民俗学の研究で四国に行った際に、現地の陰陽師の方から陰陽道を習ったことがありまして、今でも少し修行を続けています。あの、もう少しやってみてもいいですか?」

「おう、いいぞ」

 武見が頷く。

 天野は何が始まるのか興味津々といった顔で、安藤を見つめていた。


 安藤は、鏡を目の高さに持ってくると、

てんげんぎょうたいしんぺんじんつうりき」と呪文を唱え、人差し指と中指の二本指で九字を格子状に切った。

 微かに光る網のようなものが、鏡に向かって放たれたのが天野にも見えた。

 最後に安藤が「えいっ」と気合いを入れる。

 辺りの空気がしんと静まり、緊張感で満たされるのが天野にも分かった。


 安藤の顔から汗がつたい、コンクリートの床に落ちていく。

 程なくして、鏡が光り始めた。

 鏡が細かく振動し、

 いん、いん、いん、

 と、音が響いた。

 音が大きくなるに連れ、光が益々大きくなる。

 そして、そこにいる皆が目を開けていられないくらい眩しく光った。


 ――と、突然光が消えた。


「終わりですか?」

 天野がそう言ったと同時に、安藤がその場に倒れた。

 口から泡を吹き、白目をむいている。

「まあ、こうなるじゃろうな。上手く乗せて、こうなるように仕向けるつもりだったのじゃが、手間が省けたわい」

「これって、さっき武見さんが言っていた……」

「おう、そうじゃ。神気と魂が抜かれてしまった状態だな。さて」

 武見は慌てずに、懐から八咫鏡と瓜二つのものを取り出した。


「それはなんですか?」

「偽物じゃ。わしの友人が作ってくれた物じゃが、ちょっとやそっとじゃ見分けがつかんはずじゃ。この鏡を主たちに預けるのは危険すぎる。といって、渡さねばトラブルになるじゃろ?」

「本物はどうするんですか? 私が言うかもしれませんよ」

 天野が呆然とした顔で言うと、

「まあ、そうならんように、本物を調べさせてやったつもりなんじゃがな。満足はいっておらぬかもしれんが、こいつが危険な代物じゃということは十分に分かったであろう?」

 と、武見は笑って言った。


「それは、まあ……」

 もごもごと天野が返事をする。

「ここに隠させてもらおうと思っておるんじゃが、まずは、こいつの中に入ってしもうたこの男の神気と魂をもどしてやらにゃいかん」

 武見は鏡を床に置いた。

 そして、なにやら呪文を唱え始めた。

 しばらくすると、鏡から光の球が浮き上がるように出てきて、武見の右手のひらの上に乗った。

「こいつが、安藤さんの神気、そして魂じゃ……」

 手のひらの光の球を天野に見せる。

 武見は続けて左手を懐に突っ込み、懐から半円形のプラスチックのような容器を取り出した。


 容器と一緒に取り出した呪文の書かれた札を鏡に巻くと、容器の中に入れる。そして、それを格納庫の壁へと持って行く。ちょうど、アメノトリフネの後ろの壁だった。

 磁石か、粘着性のテープが容器の下に付いているのか、壁にその容器が貼り付いた。

「ほいっと」

 武見が容器の横にあるボタンを押すとたちまち鏡が見えなくなった。

「ええっ?」

 天野が驚きの声を上げる。


「これもわしの友人が作ってくれた物じゃ。原理は知らんが、光学迷彩とか言っておったの。おふだで結界を張っておいたから、神気を感じる者にも探すことはできん」

「その友人って一体、何者なんですか?」

「まだ、秘密じゃ……」

 笑顔で言う武見に、天野は底知れぬ感覚を覚えた。

 武見は、安藤のそばに歩いて行くとしゃがみこみ、手のひらの上にある光の球を安藤の胸に押し込んだ。


 光の球はあっさりと安堵の体の中に溶け込んでいく。 

 程なくして、安藤が体を震わせ、目覚めた。

「大丈夫か?」

 武見が何事もなかったかのように、安藤に尋ねる。

「ええ」

 何が何だか分からないといった顔で安藤が辺りを見回した。


「鏡を見ていたら突然、気絶してしもうたんじゃが、もう大丈夫じゃ。じゃが、くれぐれも慎重に扱えよ」

 武見は、鏡の偽物を安藤に手渡すと、肩を叩いた。

 安藤がぼうっとした目で頷く。

 武見は天野の元に歩いて行くと、耳に口を近づけた。

「本当に必要な時には、取りに来る。それまでは黙っててくれ。頼んだぞ」

 天野が何か言おうとしたときには、武見は既に格納庫の入り口にいた。

 急いで歩いている風には見えないのに、風のような速さで動く。

 呆然と見送る天野と安藤に武見は手を上げ、基地の方へと歩いて行った。

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