第2話 邂逅(2)

 少年は抱き起こされた振動で目を覚ましていたが、体を動かすことができないでいた。激しい頭痛で体に力が入らない。

 ――目を覚ませ。俺の力を使え。

 心の奥底から誰かが語りかけてくる。懐かしい、しかし、恐ろしい力そのもの。

 ――奴らが来る。こんなところで死んでしまうわけにはいかぬ。

 背骨に沿って、電流のような痺れが奔り、目が開いた。か細い体を女性に抱きかかえられている。少年は力を振り絞って、立ち上がろうとした。


 すぐ近くに、危険な敵が迫っている。いつまでも倒れている場合ではなかった。

「早く逃げろっ!」

 少年は、体を抱きかかえる女性の腕を振りほどき、そう叫んだ。

 すぐ目の前に五つの人影が迫っていた。

 男たちの醸し出す凶暴な雰囲気が、このことが冗談や間違いなどではないことを示していた。


「その子をこちらに渡してもらおうか……。あなたたちには何もしない。約束する」

 背の高い男が続けた。

 一人の少女が目の前に立ち、手を広げた。少年からはか弱い背中が見える。

「なんなの? こんな小さな男の子になんの用? なにかの間違いでしょう?」

 少女は凜とした声で言い放った。

「間違いではない。その子は、元々、我々の知り合いなのだ」

「嘘よ!」

「困ったな」

 リーダー格に見える男が肩をすくめた。


「佳奈、危ないわ。気をつけて」

 自分を抱きかかえている女性がそう言った。

 佳奈と呼ばれた少女は頷きながら、後ずさった。女性と少年も一緒に後ずさる。

 リーダー格の男が、顎で何かを指示するかのような動きを示した。ほぼ同時に、右端にいた男が拳による一撃を放ってきた。


 少女は、顔へと向かってくる拳に向かって人差し指を伸ばし、指と拳が触れる寸前に、左側へと思い切り引っ張った。

 信じられないことに、男は少女の指先の動きに導かれるように、手が肘までめり込むほどの勢いで、砂浜へと突っ込んだ。

 不思議な物を見るような顔で男は少女を見上げた。

 少女の目は半眼になり、左指を口に当てていた。口笛が素朴なメロディを奏で、右手がひらひらと動く。


「佳奈、あなた?」

 女性の言葉に応えず、少女は男たちに対峙した。

 男は拳を砂浜から引き抜くと、また向かっていく。今度は、リーダー以外の四人も向かってきた。

 口笛のメロディと右手の動きに導かれるかのように、男たちが左右へ動かされる。

「お前、何者だっ?」

 リーダー格の男の質問に少女は答えなかった。まるで、何かに取り憑かれているかのような表情で体を動かす。


「えいっ!」

 少女が、辺りに響き渡るような気合いと共に両手を打ち鳴らすと、操られていた男たちが、リーダー格の男を中心にして双方から激しく衝突した。

間一髪、リーダー格の男が跳び退る。

 ぶつかった四人の男のうち二人が、一瞬で大きな人型の紙切れになった。

 黒い蜘蛛が一匹、心臓の辺りに貼り付いているのが見えた。真っ黒な剛毛を生やした蜘蛛。ひらひらと風に舞いながら砂浜へと落ちていく。

「ほう。我が式神を倒すか……」

 リーダー格の男がつぶやく。


「私、一体なにを……?」

 少女が我に返ったかのような表情で呟いた。と、同時に男たちは身体の自由を取り戻したようだった。太い首を回して少女を睨みつける。

英了えいりょう。こいつら、殺っちまおう」

 紙切れにならなかった二人の男のうち、がっちりとした背の低い男が頭を振りながら、リーダー格の男に言った。

「ああ、そうだな」


 英了と呼ばれた男が、頷きながら左手を伸ばした。左手の先が、蜃気楼のように霞んだかと思うと何かが飛び出した。

 それは、無数の蜘蛛だった。先ほどの人型の紙切れに張り付いていた蜘蛛と同じもの。明らかに何らかの攻撃を意図して飛ばされたものだった。

「調子に乗るなっ!」

 少年の中で覚醒した誰かが叫んだ。

 体の芯から力が湧き上がり、右手からそれが迸った。

 ――と、目の前が光で一杯になった。


 無数の蜘蛛が、迸る光に次々に包まれていく。

 光を追いかけるように、パシンという音が響いた。飛んできた蜘蛛のことごとくが、何かで撃たれたかのように弾け飛んでいった。

「どくんだ」

 少年は佳奈にそう言うと、男たちの前に立った。先ほどまでのか細い印象からは想像ができないほどの生気を醸し出していた。肩は、大きく盛り上がり、目玉のような痣が浮かび上がっている。

「貴様っ?」

 リーダー格の男は、驚愕した表情で少年を睨みつけた。


      *


 佳奈には、少年の背中が淡く光っているように見えた。先ほどまでとは別人のような雰囲気――どう猛な野生動物のような生気をその後ろ姿から感じた。

「やるじゃないか」

 背は低いが、がっちりとした体格の男が、笑いながら前に出てきた。いつの間にか、その手には太いロープのようなものが握られていた。先が、幾つもの細い紐に分かれ、広がっている。


 少年が、両手両足を広げ、低い体勢をとる。上に向けた手のひらが眩しく光り、ビリビリと空気が振動した。

「へえ」

 男が呟くと同時に、手元でぶんっという音が鳴った。幾つにも分かれた細い鞭が少年を襲う。

 次の瞬間、佳奈は信じられない物を見た。

 眩しく光る手のひらからいかづちが迸ったのだ。

 男の放った鞭の束が、一瞬で弾き飛ばされる。


 男は怯むことなく、鞭を連続で放った。その攻撃は、目視することのできない速度で少年を襲った。

 だが、少年の雷撃は鞭の速度を上回り、その攻撃のことごとくを弾き飛ばした。

「おい、みんなでやるぞ」

 リーダー格の男はそう言うと、背中に隠し持っていた日本刀を引き抜いた。

 背の低い男は鞭の束を構え直し、もう一人の背の高い男は、ライフル銃のようなものを取り出した。


「お前ら、オモヒカネの手のものか?」

 少年はそう言うと、

「うおおおおお!」

 と、叫び声を上げ、両手を上に持ち上げた。伸ばした人差し指を男たちに向けて指し下ろすと、激しい轟音と光が放たれ、雷が落ちた。

 男たちは、少年の動きをいち早く察知し、大きく飛びすさると、

「ちっ」と舌打ちをした。

 佳奈たちの向こう側を見ている。


「佳奈! 大丈夫よ、ほら」

 母が肩を揺らし、砂浜の向こうを指さした。遠くから、艶のない深緑色の四駆の自動車が近づいてくる。

 男たち三人は、きびすを返すと凄まじい速さで走り去った。後に再び濃い霧が巻き上がり、その霧に紛れるように見えなくなる。

 少年は大きく息を吐くと同時に膝をついた。力を使い果たしたのか、そのままひっくり返り目を閉じる。

 あの男たちはどこかに消えた。それだけは確かだった。


「くうーん」

 ゴンが、心配そうに佳奈の手を舐めた。

 その温かさが、心をかろうじて、現実につなぎ止める。

 四駆の自動車から、カーキ色の服を着た男たちが降り、走り寄ってくる。

「助けてください! 変な、黒ずくめの男たちが襲ってきて……。すみません、早く助けてください!」

 母が大きな声で叫んでいる。すぐそばで大きな声を出しているはずなのに、まるで遠くで叫んでいるようだった。

 激しい耳鳴りがし、目の前が回った。

 佳奈は砂浜に倒れ込んでいた。

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