第1章

第1話 邂逅(1)

「お父さん!」

 佳奈は目を開き、辺りを見回した。

 寝室で、壁時計の秒針の音だけが響いていた。他に音は無く、辺りも薄暗い。

 目をこすりながら時計を見ると、五時十分だった。まだ、生き物の多くがまどろんでいる時間だ。

 夢? いや、そんなはずはない。

 お父さんが、飛行機で部下の人と飛んでいて、二機のUFOと遭遇したのだ。

 そして……。


 佳奈は布団の上に跳ね起きた。

 あれは何だ? お父さんの中に侵入してきた何者か――。

「お母さん、起きて!」

 隣で眠る母を揺すっていると、巨大なジェット機が屋根の上をかすめていくような音がした。家の梁がミシミシと音を立てて軋む。

 そして、すぐに地面が揺れ、何か大きなものが落ちるような轟音がした。

 海の方だ。


 すっかり寝入っていた母が目を覚まし、布団の上に体を起こした。

「どうしたの? 佳奈」

 外で、飼い犬のゴンが激しく吠えている。

「お母さん、ちょっと外を見てくる」

 佳奈は急いで上着を羽織ると、床板をきしませ廊下を駆けた。脱ぎ捨てていたスニーカーを素足に履いて外へ飛び出す。


 今しがたまで見ていた夢の内容と相まって、胸騒ぎが止まらなかった。

「佳奈、ちょっと待ちなさい!」

 驚いた母の声が背後から聞こえたが、構わず外に出た。

 ガチャ、ガチャッ

 と、鎖を激しく引き立てる音が響いている。


 ゴンが、海のある方角に向けて鎖を引っ張り、飛び出そうとしていた。鼻の付け根にしわを寄せ、よだれをまき散らしながら、首を振り回している。

「何か感じると?」

 佳奈はゴンの首を抱いてそう言うと、海の方を見た。

 遠くから波の打ち寄せる音が聞こえる。家から砂浜まで、自転車なら十分ちょっとだ。


 佳奈はゴンの鎖を外すとリードに付け替え、握ったまま自転車を出した。この様子だと、ゴンと一緒に走って行ける自信が無い。

「行くよ!」

 佳奈がそう言うと、ゴンが首を振って走り出した。

 佳奈の自転車を進める速度よりも、ゴンが走る方が早い。雑種の中型犬なのに、尋常じゃない力だ。佳奈は、息を切らしながら必死にペダルを漕いだ。

 勢いに負けるようにリードが佳奈の手から離れた。

 ゴンは、瞬く間に見えなくなった。


      *


 浜に着くと、

 ざん、ざん

 と、波の音が轟いていた。

 巨大な質量を持った水の塊が、白い飛沫を上げながら激しく打ち寄せる。


 羽織った上着が風に煽られ、細かい水滴であっという間に湿っていった。

 空には微かに星が瞬またたき、海との境界線では、オレンジ色と群青色が混じり合っている。

 日が昇り始める直前。ちょうど、そんな時間だった。


「何、これ?」

 佳奈はつぶやいた。

 砂浜に深く長い溝が、刻まれている。空から落ちて来た何かが、砂浜に滑るように着地した。そんな風にできたように思えた。

 潮の香りに、微かに何かが焦げるような匂いが混じっていることにも気づく。この溝を刻み込んだ何かのせいかもしれなかった。

 佳奈はしゃがみ込むと、その巨大な溝を観察した。ずっと向こうへと続いている。


 ――と、ゴンが突然、溝に沿って飛び出すように走っていった。

「ゴン、待って!」

 佳奈の命令を振り切るように走り出したゴンは、しばらく行くと立ち止まり、盛んに吠え立てた。

 息を切らして、ゴンが立ち止まっているところまで走る。

 溝の終点には、真っ黒な物体が砂に潜り込んで止まっていた。

 物体にかき分けられ、大きく盛り上がった砂を避けながら、周りを回った。


 そこにあったのは、これまで見たこともない乗り物だった。楕円形のラグビーボールのような機体に、短い羽が生えている。

「これ……なに? こんなのが飛んできたってこと?」

 佳奈は機体を触りながら言った。表面は滑らかだったが、金属と言うよりは、冷たく磨き上げられた石のようだ。

 機体の上に目を移すと、搭乗席を思わせる透明のフードが上に跳ね上がっていた。

 佳奈は一瞬躊躇したが、好奇心が勝った。


 羽に手をかけると機体の上に体を引き上げる。

 そこには気絶した少年がいた。黒い毛皮の上着を羽織り、右手首に白い貝殻と水晶の珠で作られた腕輪をつけている。年は十歳くらいか――。

「ねえ、大丈夫?」

 身を乗り出し、少年を揺らすが、反応がない――。


 佳奈は決心すると、少年の腕を肩にかけ、引っ張り出しはじめた。やっとのことで搭乗席の縁まで引っ張り出した。

 すると、少年の目が一瞬開いた。大きく濡れた漆黒の瞳。

 体に電気が走ったような衝撃を感じた。目はすぐに閉じたが、佳奈の胸の鼓動は上がったままだった。

 コヤタ……? 突然、言葉が浮かんだ。

 ――名前?

 佳奈は、知るはずのない少年に戸惑いながら、まじまじと見つめた。


 ふと、胸に目を移すと、服の合わせ目から金属製の半円の円盤が見えた。よく見ると、曲玉のような形にも見えるし、何かで見た陰陽のマークの片割れにも見える。表面は磨き上げられ、端に開いた小さな穴に通された革紐が、首に掛けられていた。


「佳奈!」

 突然、母に声を掛けられ、驚いて振り向いた。佳奈を追いかけてきたらしかった。

「これは、一体なに?」

「分かんない……」

 母が機体の上に乗ってきた。少年を見て息を呑むのが分かった。

「なぜ、こんな子どもがこんな物に乗ってるの?」

 母はつぶやきながら、少年の頭をなでた。


「怪我はなさそうやけど……。とりあえず、下に下ろそっか」

「うん」

 佳奈は返事をして、母と一緒に少年を抱えた。ぶつけないように慎重に飛び降りる。

「でも、本当に……これって一体……」

 母が少年を抱えたまま、謎の物体を見上げて言った。

 佳奈は少年を見ながら、先ほど浮かんだコヤタという言葉について考えていた。何かが、頭に引っかかっていた。


 すると、突然少年の目が開いた。

「早く逃げろっ!」

 少年はよろめきながら体を起こそうとして叫んだ。

 空に、凄まじい速さで黒雲が広がっていくのが見えた。どこからともなく濃い霧が立ちこめ、瞬く間に視界が悪くなる。


 ――と、黒い服を着た五つの人影が霧の中から溶け出すように現れた。

 その人影は、まるで悪夢の中で見る邪悪な怨霊のような不吉さを醸し出していた。

「その子をこちらに渡してもらおうか」

 五人の中で、一際背の高い男が、しゃがれた声で言った。

 佳奈は母の手を強く握り、男たちを睨みつけた。

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