第3話
王都に真夜中を告げる鐘が鳴り始めた。
ユーカスは身体を起こして耳を澄ます。
この鐘の音を、
ユーカスはやたらと高い天井に一ヶ所だけある明かり取りの窓を見上げる。
あの窓は西側に向いてる、とユーカスはぼんやり思う。では自分の故郷は、故郷の村は、深い森、忘れられた森の中の小さな村は、この背後にあるのだな、と。そう考えると石積みの、冷たい壁からほんのりとした温もりが伝わってくるような錯覚を覚える。
なんでオレ、こんなとこに居るんだよ。
たった半年前だ。
半年前までユーカスは大陸東部の、王都では辺境と謗られる辺境砦アラカサの外の森に暮らす三等民だった。
この国では居住地によって国民に等級をつける。王都の住民は一等民、各地の城壁や砦の内側に暮らす者は二等民、それ以外は三等民となり、王の許可なしに居住地を変えることはできない。
森の暮らしは基本自給自足。特段変わったところはない。僅かな土地で耕作し、罠を仕掛けて鳥獣を捕り、木工品を作る。足りない物は砦の町アラカサの
アラカサでは十日毎に市がたち、季節毎に
大市には遥々王都からも行商人が大勢やって来る。砦周辺の村や町からも商人や職人、猟師等が集う。春の大市は殊更賑わう。辺境の地では季節は大市が運んでくるものなのだ。
半年前の秋分、アラカサで秋の大市がたった。秋分の日の前後三日、合わせて七日間開催される大市にはいつもエルザと出掛けるのが二人の恒例行事だった。
二人は婚約者同士だ。先にエルザが産まれ、三ヶ月後にユーカスが産まれた。
エルザが産まれた時点で、男子が産まれたら婚約が成立する。双方の親が──家が決めていた。
そんなだから物心ついた頃にはお互いが側に居て当たり前で、二人はいつも一緒で。両親が亡くなりユーカスがひとりぼっちになった後も家族同様に育ったのだ。だから。こんなふうに離れてしまう日が来るなんて思ってもみなかった。
突然訪れた婚約破棄の瞬間に、最も驚愕して、最も受け入れがたく感じていたのはユーカスだったはずだ。
「レニード様が亡くなられました」
五年前、突然村を訪れユーカスから兄を奪い取っていった黒服の男が再び現れたのは半年前。秋分の中日のアラカサだった。
昼食時を過ぎた市の人出は午前中ほどではないにしろ結構な混み具合である。
目抜通りから外れたこの界隈も半分ほどの露店は店じまい、残りも遅い昼食をとってでもいるのか店頭の商品に白い布がかけられている。
それでも商談中か荷箱に座って話し込んでいる店主と客や、周りでそのやり取りを眺め横やりを入れる冷やかし。目当ての商品を手に入れたのか大荷物を抱えても笑顔をたたえ歩く男に、ただの通りすがりらしく足早目抜通りを目指す者。満足いく取引に成功したらしいほくほく顔の商人。ぶつぶつ文句を言いながら時折後を歩く夫(らしき男)を怒鳴り付ける女性。彼は前が見えぬほど荷を抱えてよろめき歩いているというのに。
「お前……」
ユーカスの翡翠を嵌めたような瞳が青みを強める。
黒服の男は儀礼的に兄の死を告げただけで眉ひとつ動かさない。
五年もの歳月が経ったというのに男はユーカスの記憶の中の姿と寸分違うこともない。
唯一の相違はあの頃首が痛くなるほど見上げたその顔と、同じ高さで目線を交わせるほどにユーカスが成長したことだ。
「何故ここがわかった?」
「大きくなられた」
問いかけに応えず、男は目の前のユーカスに無遠慮な視線を注ぐ。
市で品定めをする客達と同じ目をしている、とユーカスは顔をしかめた。
「レニード様と同じか」
「新年になれば十六歳になるわ」
ユーカスの傍らに立つエルザが答える。ユーカスは横目で睨んだがそういう機微の伝わるエルザでないことは自身が身にしみている。
「ところでおじさまはどなた?」
「かまうな、エルザ。行こう」
市での戦利品を満面の笑みを浮かべて抱きしめ、首を傾げてそのまま世間話でも始めそうなエルザの右腕を掴んで踵を返す。
エルザの足が縺れ、掴まれていない左手が咄嗟にユーカスにすがりついた。
ユーカスはエルザと自身を支えるのに集中して、彼女の手から離れた荷に意識を向けるのが遅れた。気付いて手を伸ばしたが既に遅く、ユーカスの指先にもかすりもしなかった。
抱えていた紙包みが落ちた衝撃で開いて中身が覗く。エルザが午前中いっぱいかけて選んだ濃緑色の生地に合わせた鈕や糸が散らばった。
「やぁ~ん!」
悲鳴か矯声か、判断しかねる声をあげてエルザが屈んで落とした品に手を伸ばす。ユーカスにすがりついたエルザの左手は彼のシャツの胸を掴んだままで、当然にユーカスは引き倒される。
エルザの上に倒れかかるわけにはいかない。踵を滑らせ重心を後ろに──両足を投げ出して尻餅をつく。
「ッ痛ゥ!」
人通りが少ないとはいえ市の往来で無様だがとりあえずエルザにのしかかる事態は避けられた。ユーカスは息を吐く。
「大丈夫?」
心配顔のエルザに微笑んで見せたユーカスの表情が強張る。
黒服の男が二人を見下ろしていた。
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