第2話

 忘れられた森。夜明け前のひときわ暗い漆黒の闇。

 村の南門の脇の家、窓から橙色の灯りがもれる。


 持ち手のないシンプルな茶碗カップに琥珀色の液体が揺れる。両掌で包むように口元へ運ぶ。香ばしい薫りを纏った湯気が鼻腔から体内へ、じんわりと温もりを伝えてくれる。

 思っていた以上に未明の森で冷えたらしい。

 はふ~う。

「温か~い……ッ、アツッ!」

 エルザは猫舌。はふはふと紅茶を啜る。

「大丈夫かね、お嬢。」

 ガンゲル──猟師であり南門の管理者でもある。ガンゲルはファミリーネームで彼自身の名をエルザは知らない──がエルザを気遣う。

 親しく交流がある相手ではないが、村の住人でエルザのトロさを知らない者はいない。それに彼の末の妹はエルザと同い年。四年前に村を出るまで一緒に遊ぶ仲だった。

「……大丈夫、です。美味しい」

「そうか」

「そりゃ、よかった。さぁこれもお食べ」

 手製の木の器に乗せた薄くスライスしたパンと腸詰を渡してくれたのはガンゲル一家の女主、モイラだ。彼女は村の世話役でエルザの母とも交流がある。

 エルザはこの、世話焼きで少々強引なモイラに引きづられるように家へと招かれ朝食をご馳走になっていた。

「アラカサの市の立つ日だからお嬢が通るんじゃないかと用意しといてよかったよ」

 モイラは、過去に幾度もエルザとユーカスが早朝、歩いて砦まで出かけていたことを覚えていたらしい。

 自分たちもアラカサへ行くから一緒に乗ってけ、と招き入れてくれた。

 一家は村には珍しい騾馬と車を所有している。狩猟で得た獲物を販売したり禁猟の期間はアラカサの砦と他の砦の間の荷運びや、砦で騾馬の世話をするなどで暮らしをたてているからだ。

 騾馬に引かせた車なら、アラカサまで一時間とかからない。

 エルザはモイラの好意に甘え、のんびりと心尽しの朝食をいただいていた。


 そんなエルザの様子をガンゲルはじっと見ていた。

「お嬢、若から連絡はあったかね」

「これ、マウロ」

 モイラは普段無口な息子の発言をたしなめようとする。

 若、というのは半年前村を去ったユーカスの事で、彼はエルザの婚約者

 けれどユーカスは遠縁の貴族の跡取りとして迎えられることになり婚約は破棄された。

 モイラはエルザを気遣ったのだ。

「いえ」

 しかし当のエルザは頓着しない。もぐもぐと口の中のパンと腸詰を飲み込んで

「ユーカスには魔力が無いので伝声魔法は使えないんです」

「……ほうか」

「手紙とか書かんの?」

「手紙…?」

「手紙書いて、遣い魔に若のとこまで持たせたら?」

「その手があったかぁ」

「ウチの子供達とも手紙のやり取りしてるんよ。まぁ、ウチの子等は遣い魔じゃのうて駅伝、使つこうとるけどねぇ」

 モイラに言われるまで、を考えつかなかったエルザは破顔した。

 その笑顔のまま、固まってしまう。

「どした?」

「お嬢?」

 モイラとマウロの二人に見詰められて、エルザは、んー、とこめかみを掻く。

「そういえばあたし、字は書けないんだった」

 村の子供は読み書きと、四則演算を習う。教師は過去に王家と共にこの村に落ち延びてきた王家の教育係だ。読み書きの担当は老人で、有能なのかもしれないが、眠気を誘う抑揚のない声にあがらえず、爆睡タイムに当てていたエルザは歴代教え子の中でも壊滅的な成績を叩き出している、とあきれられた。

 もっとも字が読めなくても魔力で内容は分かるので不自由はない。

 これまでは書くことの必要性も感じなかった。

 案の定、二人は絶句していた。

「お嬢のがウチの末子レビラ並みとは知らなんだ」

 モイラは笑い、マウロは押し黙ってパンを飲み込んでいる。

「それでユーカスがどうかしたんですか?」

「若?」

 モイラは無言で食事を茶で流し込んでいる長男マウロを見やって、記憶を手繰るように目を泳がせた。

「そいや、三男ハクトからの手紙に書いてあったねぇ─あれ、どこにやったっけか」

 腰を上げたモイラはこっちの部屋の棚、隣の部屋の棚とごそごそ探し回り、挙げ句に台所キッチンの端の食料貯蔵庫までがさごそやり始めた。

「どこやったっけかねぇ──マウロ、あんた知らないかい?」

 ちょうど食事を終えたマウロが腹の辺りに両手を当て上下させた。

 モイラははッ、と前掛けの衣嚢ポケットを探る。エルザに向かって決まり悪そうににまぁ、と笑った。

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