お伽噺の処方箋
@koronakoko26may
第1話
夜のうちで一番昏いのは夜明け前だという人がいた。
ならばそれは今だ──真夜中をとうに過ぎ夜明けまでは未だ暫く時間がある。
寝台で寝付けずにいたエルザは素早く──といっても彼女はおっとりしているから他人からすればのんびり見えるのだが──身支度を整えると裏口から家を出た。
家の中でも周辺でも極力物音を立てないように注意を払う。
隣室で母と眠る小さい妹を起こすと厄介だからだ。
母はエルザが
まぁ心配させてはいけないので、目的地と帰宅予定のメモを残す。
今夜は春分を過ぎた最初の新月。
エルザの暮らす村は深い森の中。
忘れられた森と名づけられた、大陸東部に位置する辺境の森。
大部分を占める常緑の魔樹のせいで普段から星はおろか満月の光りさえ地を照らすことすらないが、今宵森の中は一段と暗い。
エルザは指を鳴らして左掌に
青みがかった白い光球は手の中に握り込める小ささでも油脂を使ったランプより明るい。
炎のように熱くならないから火事や火傷の心配はないし、油切れの心配はないし、手に持つ必要がないのもいい。
光球はふわり、ふわふわっ、とエルザの意志を汲み取って導くように進んで行く。
その後をエルザも歩き始めた。
エルザが光小妖精の召喚に成功したのとほぼ同時に直ぐ近くの木から枝が一本消えていた。緑濃い葉を幾十枚もつけたまま。だが一瞬の後、同じものがまた出現する。
深夜の森の中、とはいえ慣れた小道である。
半年前に村を去った
予定通りなら夜明けには目的地──
アラカサの春の大市は常緑の森に暮らすエルザ達にとって冬の終わりを告げる心浮き立つイベントだ。たとえユーカスがいなくても。
そのために三時間四時間歩くことなど苦にならないくらい。
小一時間歩くと木々の合間からオレンジ色の灯りが見えるようになった。
今エルザの辿る小道はこの少し先で村の
本道は村を縦横に伸びて三方の門に行き着く。各門には門番が常駐していて門の傍らに彼らの住まいがある。
オレンジの灯りの点る場所は村の南の外れにある南門だ。
猟を生業とするガンゲル一家が守る南の門は、ほとんどの村の住人にとっては一番利用頻度の低い門だろう。
ここまでエルザが歩いて来た道は、道幅が狭く僅かだが村の外側に傾斜している。下草は定期的に刈り込んでいるし獣避けの
だがエルザが砦の街アラカサへ向かう時は家に一番近いここを使う。
西の門から森へ入ると森の中の道幅が広くて大きな馬車も走れるのだが、エルザの家からだと村を斜めに横断しなくてはならない。
乗り合い馬車を使う場合は西の門を利用するのが最適だが、人見知りなエルザは乗り合い馬車には乗れない。家族以外と長時間一緒に過ごすのが苦手なのだ。
まあなんにしても森の中は安全だ。
村の住人達は森に守られている。
まして始まりの魔女の後裔であるエルザを脅かす存在などない。
例え時間がかかっても一歩ずつ必ず目的地には近づくのだから。
「!!」
門の灯りに気をとられたためか、エルザは自身の左足に蹴躓いてしまった。
豪快に顔面から地面へダイブする。こういう場合、ほぼ百パーセント、先に手が出ることのないエルザである。
魔女の後裔であっても突発的な事態に対処する能力は若干低い─と言うか。魔力と体力と持久力を除く身体機能が全体に低く、反射神経なんてまともに機能した記憶もない。
「~!!」
先行していた光小妖精が慌てて戻ってくると地面に這いつくばっているエルザの上空をオロオロと旋回しはじめる。
「………」
たっぷり三分間、微動だにせず突っ伏していたエルザはのっそりと上体を起こす。
光小妖精はそおっとエルザを覗きこむように顔に近づいた。
「、、…♪、♪」
心配顔(目鼻も口もありませんが)の光小妖精に大丈夫、と笑顔で応じるエルザから、傷が見る間に消えていく。しこたま地面に打ち付け真っ赤に腫れた鼻も額も、少し切った目尻に滲んだ血もきれいさっぱり元通り。
意図せず回復魔法を発動して自らの傷を癒す。
この辺り、流石は始まりの魔女の後裔だけのことはあると言えそうだが、残念ながら目撃者はいない。残念な魔女の面目躍如?と言えなくもない。
安心したふうな光小妖精も心なしか嬉しそうに煌めきを増す。
ゆっくり立ち上がったエルザは、再び歩き始めた─光小妖精を伴って。
日の出も
そしてまた、エルザに近い木から枝葉が今度は二本、ひっそりと消え、瞬時に出現していた。
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