0.5話

 白いブラウスに細いリボンをつけてハイウェストのスカートをはいた美夜の姿は、いわゆるなんとかを殺す服装というやつか。

「美夜、お前、そんな服持ってなかったよな」

 俺の詰問に美夜は小首を傾げて、

「通販。こういう服を着ればお兄ちゃんみたいな人を殺せるって聞いた」

「お金はどうしたんだ」

「お兄ちゃんのクレカ」

「俺のクレカを勝手に使うな! それと殺すな!」


 確かに土で汚れてはいるものの、美夜の格好はかわいらしく目を引くかもしれない。思わずどきりとしてしまい、目を引かれたことも否定はできない。だが義兄としてそんなものに殺されるわけにはいかないのだ。


 それに見た目は華奢な少女だが中身はかわいいなんてものじゃない。この細腕と細足で天井に張り付いていたのだ。人間の常識は通用しない。


「そういうものを食べるのは止めろ。汚いし消化に悪い」

 俺の注意も聞かず、美夜は布地をごくりと飲み込んだ。

 全く、こんなこともあろうかと服は清潔な洗濯を心がけてはいるものの、また異物を食べさせてしまうだなんて。

 

「お兄ちゃん、おいしいんだもん」

 そう言いながら美夜は赤い舌でピンク色の唇をぬらりと舐める。その姿は艶めいて、人ならざる者の美しさだ。


 ヴァンパイアとは血を吸うものだとばかり思っていたが、どうしたことか、美夜は服だろうが本だろうが俺の物をぺろりと平らげてしまって俺は頭が痛い。

 それにしても俺が着ている服なんぞを義妹に食べさせるのは気が引ける。だいたいなんでそんなゲテモノを食べたがるのか。

 もっと大きな問題は俺自身を食べようとすることだが。


 美夜は俺を上から下までおいしそうに眺めながら、とことこと自然な調子で寄ってきた。

「ねえ、お腹減った。お兄ちゃん、もう食べていい?」

 言うや、飛びかかってくる。


 動きを読んでいた俺は素早くかわす。

 お腹をすかせた美夜の動きは鈍くて助かる。

「俺はご飯じゃない!」

 ああ、どうしてこんなことになってしまったんだ……


 我が義妹の美夜は不幸な事故に会い、アンデッドと化した。アンデッドは肉体が死んだ状態でも活動できる魔法術式生物、いわゆる魔物の一種であり、かつては鬼とも呼ばれていた。

 アンデッドにもいろいろ種類があって、美夜を担当した医者によると美夜にはいくつかの因子が発現しかけているらしい。

 最も強く発現しているヴァンパイア因子は人類の血を吸って自らの魔力に変えることができ、様々な能力を行使するんだとか。


 現代科学におけるヴァンパイアの分類は、ヒト科、ヒト魔族、ヴァンパイア属。社会の授業で習ったところだと、この国では平等の理念に基づいてヴァンパイアも人間という扱いになっている。


 冒険者時代のヴァンパイアは人類の強敵だったそうだ。それが今やすっかり数を減らしてレッドリスト入りの絶滅危惧種I類、絶滅の危機に瀕しているらしい。


 美夜が血を吸おうとするのは俺だけで、今のところ俺は血を吸われていない。血を吸ったことがないから因子を完全発現できなくて、美夜はまだ半人前のハーフヴァンパイアだ。もしかしたらまだ人間に戻せるかもしれないと俺は日々努力している。

 義妹から血を吸われたあげく下僕のアンデッドにされて、魂まで支配されてしまうのは断じてお断りだ。


 その美夜はまだ俺を諦めきれないのか、じりじりと迫ってくる。上半身が強調される服を着て、胸を突き出してくるのはあざとい手口だ。俺もつい目がいきそうになるが相手は義妹。


「ねえ、似合うでしょ?」

 美夜はくるりと回ってみせる。

 スカートがひるがえって、ちらちらと白いものが覗く。見せ下着というやつだろうか。

 反射的に目がいきかけるのを制する。美夜が回ると服についていた土が周囲に飛び散ってリビングが大変な有様になっていく。そちらの方が問題だ。


「ああ、似合ってるぞ」

 俺はそう言いながらも後退して、床置きしていた買い物袋にたどりつく。


 美夜は俺の隙を見てまた襲い掛かるつもりだったのだろう。俺の冷静な反応にむっとして頬を膨らませる。


「ほら、頼まれてたもの買ってきたから。血の滴るようなヒレ肉。高かったんだぞ」


 美夜は鼻をくんくんさせた。

「血の匂い? そんなの全然しないじゃん」

「おいしいステーキ肉の形容詞なんだよ!」


 じっとりした目で買い物袋を眺めた美夜は、手を伸ばして買い物袋を奪おうとした。

 美夜の動きを読んでいた俺はすばやく買い物袋を引っ込める。美夜との生活で鍛えられたこの勘がなければ生き延びることはできない。美夜の長い爪でビニールに数条の切り口が走る。


「あたしのご飯なんでしょ。よこして」

「ちゃんと焼いてあげるから! 人間らしい食事をしなさい!」


 美夜はわざとらしく大きなため息をついて、

「じゃあレアレア」

「レアレアってなんだよ」

「火をゼロ秒通す」

「そりゃただの生肉だろうが!」


 俺は警戒しながら台所に向かう。

 美夜は肩を上げて攻撃に入りかけたが、

「ま、さっきので少しお腹が膨れたからいっか」

 肩を下ろしてついてくる。

 あんな布切れを食べてお腹が膨れるとか、いったいヴァンパイアはどうなってるんだ。


 なんだかんだステーキが楽しみだったのか、美夜はダイニングのテーブルについた。

「お肉♬ お肉♪」

 適当な歌詞をでっちあげて歌っていたが、ネタ切れしたのかすぐ鼻歌に切り替わった。


 緋色の瞳は楽し気にきらきらしている。美夜はテーブルに腕をつけてあごを支え、ふんふんと歌いながら頭を左右に振る。黒くつややかな長髪が合わせて揺れる。

 かわいいと言えば大変かわいらしいのだが、猫科の大型肉食獣が舌なめずりしている様のようでもある。

 出会った頃の、草食どころか小さな草花みたいだった義妹とは似ても似つかない。


 美夜がくつろいでいる間に、まず天井の照明を復旧した。段ボールが天井の照明にも貼り付けられていたのを剥がす。照明を使えなくしたければブレーカーを落としたほうが楽だったと思うのだが、そういう頭はないらしい。


 ようやく明るくなった台所で、俺はステーキ肉を焼き始める。

 フライパンに乗せた肉が焼ける音と香ばしい匂いを立てて、リビング一杯にまで広がる。

 肉の表面だけを焦がしたら軽く火を通してからひっくり返し、同じ作業を繰り返してからブランデーを注ぐ。フライパンから勢いよく炎が上がった。

 あとはフライパンから出してアルミホイルに包み、肉の内部まで熱が通れば出来上がりだ。


「ステーキ! ステーキ!」

 待ちかねていた美夜は手づかみで食べようとしたが、俺からステーキを取り上げられそうになって仕方なくフォークとナイフを握った。


 美夜は一口食べて、

「おいしい。けどレアレアじゃない」

「そりゃあ焼いたからな」

「生肉がいいのに」

 そう言いながらも一枚目をすぐに食べ終わり、お代わりを注文してくる。


 吸血ではなく肉食をしてくれるのはありがたい。ただ高い肉をたくさん食べないと満足してくれないのは難点だ。事故の保険金があるにせよ、あまりにも金がかかる。


 合間に俺も自分用のステーキを食べる。肉しか食べない美夜と違ってサラダやご飯も付け合わせて、焼き加減はミディアムレアだ。


 結局、美夜は文句を言いながらも高いステーキ肉を五キロ分もぺろりと平らげた。いったいこの細い身体のどこに詰め込めるのか。三日は持たせるつもりだったのに……


 食事を終えた後、俺にうるさく言われて歯を磨いてきた美夜は、

「おなかいっぱい……」

 と言うやソファに倒れ込み、たちまち寝息を立て始めた。


 本来のヴァンパイアは生きた血を介して魔力を得るものらしい。しかし美夜は吸血していないので魔力がすぐに枯渇してしまう。そのせいか睡眠時間が長くて猫のようによく眠っている。


「おい、そんなところで寝たら風邪ひくぞ」

 本当にヴァンパイアが風邪をひくのかは知らないが、ソファにだらしなく寝ている義妹は見ちゃいられない。


 俺は美夜をそっと抱え上げ、彼女の部屋に運んだ。

 ブラウスにスカート姿のままなのは気になるが、さすがに着替えさせるのは抵抗がある…… そのままでいいだろう。

 抱きかかえていた美夜を俺はベッドに下ろす。顔が間近に迫る。手を放して離れようとしたところで美夜の目が少し開いた。


 美夜は寝ぼけまなこでぼんやりと見まわし、しばらくしてから目前の俺に焦点を合わせた。きゅっと瞳孔がすぼまる。


 俺は慌てる。この体勢で噛みつかれたら逃げられない。


 状況を認識したらしい美夜は激しく反応した。

「お、お、お兄ちゃんのヘンタイ!」

 美夜は赤い顔で手をばたばたと振り回して、俺の胸を殴りつけようとする。

 俺は慌てて退避。部屋から出て扉を閉める。


「お兄ちゃん嫌い! 部屋に入っちゃダメ!」

 部屋の中から美夜の叫びとじたばたする音が聞こえてくる。

 俺を食べようとするときはあんなに近づいてくるくせに、美夜の気持ちはさっぱりわからない。


 ともかくもう夜も遅い。明日はリビングの穴埋めで忙しいし、そろそろ俺も寝ることにしよう。


 これが俺たち義兄妹の日常だった。

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