男嫌いの能美さん(ツンデレ)が、デレるまでの話
ヨルノソラ/朝陽千早
男嫌いの能美さん(ツンデレ)が、デレるまでの話
あたし──
だって、男という生き物はあたしを不快にさせるからだ。
思春期を迎え、あたしの胸は日に日に成長していき、男子から嫌な視線を感じることが増えた。
あたしを性の対象として見ている。そう考えるだけで、嫌気が差して寒気が走る。
ったく、男ってホント馬鹿ばっか。
そんだけチラチラ見てきたら気づくっての。
「ねぇ、さっきからあたしのこと見てるけど、なに? 用があるならハッキリ言ってくれない?」
四月初旬。二年生になって最初の登校日。
あたしは隣の席の男子に声をかけた。
いくらなんでも露骨すぎる。
あんまり見られると鬱陶しくて仕方ない。
「あ、えっと、なんていうか」
「ウジウジしないで欲しいんだけど」
「じゃあ言うけど、そこ」
「は?」
「だから、そこ」
寝癖の立っている彼は、あたしの首元に人差し指を向けてくる。
あたしは要領を得ず、眉を寄せて難しい顔をしてしまう。
「なにが言いたいわけ?」
「米粒、ついてたから。気になって」
米、つぶ?
あたしはパチパチとまぶたを開閉すると、襟を逆立てて確認する。
確かにカピカピに乾燥した米が三粒ほどまとまってくっ付いていた。
あたしはみるみるうちに頬を赤く染め上げる。
「こ、これは、わざとやってるのよ! 最新の巷で局所的に流行ってるんだから!」
「へ、へぇそうなんだ」
あたしは猿にでも分かるような嘘を吐きながら、それとなく米粒を排除する。
うぅ……最悪だ。
新学期早々ついてない。
てか、そういうの普通気づいても言わないでしょ。いや、無理矢理言わせたのあたしか。
あたしは頬杖をつくと、彼のいる方とは正反対に視線を向ける。
やっぱり男子と関わるとロクなことがないわ。
二年生に進級して、一ヶ月が経った頃。
「能美さんって、頭いいんだね」
あたしには悩みごとがあった。
男子からの下卑た視線に関しては、もう殿堂入りしている。
だからそれとは別の悩みだ。
「……べつに」
あたしの隣の席の男子がやたらと話しかけてくるのだ。
友達も普通にいるみたいだし、女子とも気軽に話してる。
話し相手に困るような人とは思えない。
なのに彼は、暇さえあればあたしに話しかけてくる。
「でも、さっきの問題、誰も解けてなかったのに能美さんだけ解けてたから」
「あのくらいできて当然だし」
「そうかな。先生も褒めてたよ」
「ふん、そう思うなら無駄口叩いてないで勉強したら?」
あたしはツンケンした態度を取る。
といっても、男子に対しては誰に対してもこれがデフォルトなんだけど。
にしても、おかしな人だ。あたしの態度や口調で、大抵の男子はあたしから距離を置く。
なのに、彼は常に笑顔を携えて話しかけてくる。一体、なにが目的なのよ。
「勉強、苦手なんだよね」
「ふーん。苦手なことから逃げるんだ?」
あたしはつい調子に乗って、挑発的なことを言ってみる。
すると彼は苦虫を噛み潰したような顔をして。
「うぐっ……あ、そうだ。能美さんが勉強教えてよ。そしたら俺、頑張れる気がする」
「は? なんであたしがそんな面倒な事しないといけないわけ?」
「あ、もちろん、なんかお礼はするしさ」
「いらない。勝手に頑張ったら?」
「そっか……。気が変わったりは──」
「しないわよ」
「ですよね」
あたしが勉強を見てあげる義理はない。
そもそも、この男はどうしてあたしにこんな嫌な態度取られても平気なのよ。訳、分かんない。
その後も、彼は幾度となくあたしに話しかけてきた。
休憩時間とくれば、身体ごとあたしの方に向けてくる。
そのくせ、あたしが友達と話してたり、忙しそうにしていたりすると、空気を読んで声をかけてこない。
決まって、あたしが暇しているタイミングに声をかけてきた。
あたしはもう我慢ならなくなって直接訊ねてみることにした。
「ねぇ」
「ん?」
「なにが目的なの?」
「え? 目的?」
言葉が足りなかったのか、彼は小首を傾げて不思議そうな顔をする。
「あたしなんかと話しても面白くないでしょ。だからなにが目的なの?」
「えっと、能美さんと話してて面白くないって思ったことないけど」
「気を遣わなくていいから。あたし、自分の性格くらい分かってるし」
「少なくとも俺は楽しいよ。表情コロコロ変わるし」
「……は? い、意味わかんないんだけど。てか、あたし超ポーカーフェイスなんだけど!」
「いや、今だって凄い慌てようじゃん」
あたしが矢継ぎ早に言いながら赤面していると、彼はクスクスと軽微に笑みをこぼした。
慌ててなんかない。取り乱しただけ!
いや、あんま変わんないか。とにかく。あたしは至って冷静。そう、冷静よ!
あたしは頬杖を付くと、そっぽを向く。
ぶっきら棒に吐き捨てるように言ってやった。
「あたしは、杉並くんと話しても別に楽しくないっ」
「……っ。そ、そっか。そう、だよね」
あたしの一言で、彼は表情を一転させる。
しゅんと陰りを見せて、視線を下に落とす。
な、なによ、その顔……。なんでそんな顔するのよ……。
それから、彼があたしに話しかけてくることはなかった。
一週間、二週間と、杉並くんと話さない日が続く。
あたしの勢いに任せた一言が原因なのは、火を見るよりも明らか。
まぁ、あたしにとっては願ったりな展開。
これで休憩時間を阻害されることもなくなったのだ。
けど、彼と会話をしない日が続けば続くほど、あたしはイライラが募るようになった。
なんなのよ。
この前まで、些細なことでも話してたじゃない。
これまで図々しくやってたんだから、あたしに一言言われてくらいでやめないでよ。
あたしの言葉なんて、真に受けてどうするのよ。
って、あれ?
これじゃ、杉並くんと話がしたいと思ってるみたい。
違う違う! そうじゃない!
あたしは、ただ、暇つぶし程度に……そう、暇つぶし程度に彼の話に付き合ってあげてもいいかなと思ってただけで。
って、誰に言い訳をしているんだろう。
ふと、あたしの視線の矛先は杉並くんへと向かっていた。
彼は、あたしとは別の女子と話していた。
なによ、女なら誰でもいいわけ。あたしが偶然隣の席だったから、話しかけてただけなの?
ムカつく……。ムカつくムカつく。
「女たらし」
「え? なんか言った?」
意図せぬ形であたしの声が漏れてしまう。
すると、杉並くんがあたしに振り返ってきた。
すでに会話は終わったのか、杉並くんの近くにいた女子は自分の席に戻っている。
「別に。……女子なら誰でもいいんだと思って」
「ごめん、どういうこと?」
「なんでもないわよ」
「そっか……。あ、てかやっぱ、たまには能美さんと話しても良いかな」
「は?」
思わぬ提案が降ってきて、あたしはポカンと口を開けてしまう。
「俺、能美さんともっと話したいな。まぁ、俺と話すの退屈かもだけど」
彼はポリポリと首筋のあたりを指で掻きながら、遠慮気味につぶやく。
あたし、あんな酷いこと言ったのに……変なの。
「あたし以外にも女子はいっぱいいるでしょ」
「え、女子だから能美さんと話したいわけじゃないよ?」
「……っ。ふん、じゃ、勝手にすれば?」
「やった。じゃあ勝手にする」
無邪気に笑みをこぼす彼を見て、あたしはなぜだか頬が熱くなるのを感じた。
それから二ヶ月が経ち。
「だから、何度言ったらわかるの。文法がまず間違ってるの。英単語覚えるよりもっと先に学ぶことあるでしょ」
「ちょ、スパルタすぎないですか?」
「あたしに勉強を教えてもらうってこーゆうことだから」
「うっ……頼む人間違えたな……」
「なんか言った?」
「な、なんも言ってません!」
あたしは杉並くんに期末テストに向けての勉強を教えていた。
四月の頃のあたしが今のあたしを見たら、さぞ驚嘆するだろう。
男嫌いのあたしが男子に勉強を教えているのだから。
まぁ、彼がどうしてもってお願いするから仕方なく教えてあげてるんだけどね。
そう、仕方なくよ。大事なことだから二回言いました。
「あたしが教えてあげてるんだから低い点取ったりしないでよね」
「うっ……プレッシャーだな。あ、じゃあさ」
「なに?」
「次の期末テストで、俺が学年一〇〇位以内だったら、一個お願い聞いて欲しいんだけど」
杉並くんは人差し指を立てて、小首をかしげる。
「あたしにご褒美を求めてるってこと?」
「端的に言えば……」
「呆れた。勉強教えてもらった上にご褒美まで求めるとか」
「ダメ?」
「一応、詳細だけ聞いてあげる」
パァッと目に光を灯す杉並くん。
ったく、あたしって優しすぎ──って、あれ?
少し前まで、話すら聞いてなかったはずなのにな。どうしたんだろ、あたし。しれっと勉強まで教えちゃってるし……。
胸の内でモヤモヤを膨らませていると、杉並くんはポツリと切り出した。
「じゃあ、学年一〇〇位以内だったら、一日だけ休日の時間くれないかな」
「え? そんなことでいいの?」
「うん。あ、お金とかは心配しなくて良いから。こっちでなんとかするし」
「なら、別に良いけど」
「ほんと? じゃ、約束ね」
「で、でも一〇〇位は簡単すぎるから五〇位以内だから」
「うっ、ハードル上がったな」
「できないの?」
「頑張ってみる」
杉並くんはシャーペンを掴む手を強めると、ふわりと微笑んだ。
あたし、なに余計なこと言ってんだろ……。
あ、いや、全然まったく杉並くんと出かけたいとか考えてないけどね。
そう、だから五十位以内と入られるのは困るわけで。
で、でも勉強は教えてあげないとね。えへへ。
「何か面白いことあった?」
「な、なにもないわよっ」
「いや笑ってたから」
「……っ。笑ってなんかないわ。あたし、笑わないし」
よく分からないことを言うあたし。
もう嫌だ……。なんであたしこんな性格なんだろ。
「恥ずかしがらなくていいのに。かわ──」
杉並くんはそこまで言って、口を噤む。
頬を赤く染めて、そっぽに視線を逸らした。
え? 今、可愛いって言おうとした?
「い、今、なんて言いかけたの?」
「な、なんでもない。勉強続けよ」
あたしはムッと唇を前に尖らせる。
なんで最後まで言ってくれないのよ。
いや、別に言われたいわけじゃないけどね?
期末テストが終わった。
杉並くんは学年32位という好成績だった。
この前の中間試験では、一〇〇位代だったことを鑑みれば、著しい成長。
ま、あたしの教え方が上手なんだけどね。
「……いや、多分違うけど」
彼は、ただ本腰を入れていなかっただけで、やればできるのだ。
彼が本気で勉強を始めれば、あたしだって簡単に越せる気がする。
てか、運動に関してもそう。彼はいつも、少し手を抜いている気がする。
目立つことを嫌っているというか。
って、まぁどーでもいいんだけどね。
杉並くんのことなんか。
ともあれ、あたしは幾度となくスマホを内カメにしては前髪を整えていた。
約束通り、一日だけ杉並くんに休日の時間をあげることにしたのだ。
ったく、勉強を教えさせた上、ここまでさせるなんて……
「ふふっ」
あたしはなぜだか、口角が緩んで笑みをこぼしてしまう。
お、おかしい。
最近のあたしは本当におかしい。
そもそも、男なんて生き物は性欲の塊で、あたしを不快にさせる存在だったはず。
でも、杉並くんは全然そうじゃなくて。
彼と話していると、心が安らいで、自然と笑みが溢れてくる。
待ち合わせ場所である渋谷駅。
杉並くんの姿を発見して、あたしはふぅっと息を整えた。
男子と二人きりで出かけるなんて初めて。
あれ?
「これってもしかして……デート?」
直前になって、理解するあたし。
ドキドキと知らない速度で、心臓が早鐘を打つ。
顔に熱が溜まって、ぼわっと湯気が出そうになる。
「ど、どうしよう。れ、冷静に……そう、冷静に」
「あ、能美さん。おはよ」
あたしが一人でブツブツやっていると、杉並くん目の前に来ていた。
あたしのことを見つけて、わざわざコッチに来てくれたらしい。
「……お、おはよう」
「顔、赤いけど大丈夫? もしかして体調悪かった?」
「は? すこぶる快調だけど!」
「なら、いいんだけど。あ、もし本当に体調悪くなったら言って」
あたしはコクリと首を縦にふる。
ああ、もう、調子狂う!
全部、杉並くんのせいなんだからね!
杉並くんとの、で、デートはまぁ、ぼちぼち楽しかった。
いつだか、あたしがチラッとこぼしたタイトルの映画チケットを買っておいてくれていたし、あたしが好きな和食を取り扱うお店に連れて行ってくれた。
男の子と二人で遊ぶのは、新鮮で、一々意識しちゃって、周囲の目が気になって、あたしの感情は右往左往していた。
そして別れ際のことだった。
「今日はありがと。能美さんと出かけることできて、楽しかった」
「ふん、当たり前よね。あたしの貴重な時間使ってるんだから」
ホント、あたしって捻くれてる。
楽しかったのはあたしも同じだ。
せっかく、ここまでエスコートしてくれたのに、感謝の気持ちも伝えないのは違う、よね?
「まぁ、あたしも……楽しかった。……あんがと」
直接、目を見るのは憚られて、視線を逸らしながら感謝を伝える。
杉並くんはパァッと目を輝かせると。
「マジ? よかったぁ」
子供みたいに無邪気に笑う杉並くんを見て、体温が上がっていく。
もう、訳わからないわ。あたし、どうかしちゃってる。病院、行ったほうがいいのかな。
「じゃ、じゃあね」
「あ、あのさ」
あたしが踵を返すと、杉並くんはすぐさま呼び止めてきた。
「なに?」
「また、誘っても良いかな」
また、誘うって……えっと、デートに誘うってこと!?
こ、この男、調子に乗ってるんじゃないの?
今回は、テストで学年五十位以内に入ったから、そのご褒美として付き合ってあげただけで。
そう簡単に、何度も出かけてあげるほど、あたしは暇じゃないし、お人好しでもないわけで。
だから、そう、なにが言いたいかと言えば。
「……うん」
小さく首を縦に振って、逃げるようにこの場を後にするあたし。
頭で考えてることと、実際にやってることの乖離が大きすぎる!
もう、なんなのよ!
全部、全部、全部全部、杉並くんのせいなんだから!!!
それから、何度か杉並くんとデートをした。
夏休み中は会わなくなるのかと思ったけれど、杉並くんは普通に遊びに誘ってきた。
今の時代、スマホさえあればすぐに繋がれる。
杉並くんからチャットが飛んでくるたびに、あたしのテンションは跳ね上がる。そんな、不可思議な状態がしばらく続いた。
さすがに病気だと思ったあたしは、お姉ちゃんに相談してみることに。
「──これ、なにかの病気だと思うの。脳外科に行ったほうがいい?」
「えっと、ツッコめばいいの?」
「別にボケた覚えないけど」
「答え言ってあげてもいいけど、それじゃつまんないよね」
お姉ちゃんは思案顔を浮かべる。
「答え知ってるの……?」
「うん。まぁ、今の話を聞けば誰でも分かると思うけど」
「じゃあなんであたしは分からないのよ」
「うーん。てか、わたしその、杉並くんって子に興味あるな。今度、会わせてよ。あの明日香をここまでさせるの相当だし」
会わせる?
杉並くんをお姉ちゃんに?
それを想像すると、あたしは何故だか強い抵抗感が生まれた。
だってお姉ちゃんは、あたしよりずっとずっと女の子らしくて、大人で、明るくて、優しい。
もし、あたしとお姉ちゃんのどっちを選ぶのかって問いがあれば。
満場一致で、お姉ちゃんが選ばれると思う。
容姿こそ大きな差はないけど、内面で負けている自覚はあった。
「……気が向いたらね」
「にゃるほど。可愛いなー、明日香は」
「は? な、なんでそんな話になるのよ!」
「だって可愛いんだもん。てか、その杉並くんと夏祭りに行くんでしょ? 今日」
お姉ちゃんはひとしきりあたしの髪の毛をグシャグシャにすると、小首を傾げて確認してきた。
そう、あたしは今日、杉並くんに誘われて夏祭りに行くことになっている。
「そう、だけど」
「じゃ、浴衣着ないとね」
「浴衣!? そ、そんなの着なくていい!」
「遠慮しなくて良いってば。それにさ、杉並くんに浴衣姿、見てもらいたくないの?」
別に、見てもらいたくなんかないけど。
「あたし、浴衣の着方とか分かんないからね」
「任せて。お姉ちゃんがやってあげるから」
もう、ホント、あたしはどうかしちゃってる。
夏祭り。
近所の神社で開かれており、どこもかしこも人で賑わっていた。
待ち合わせ場所に指定した小学校の正門あたりで、スマホを操作している杉並くんを発見する。
ど、どうしよう。
浴衣姿で来ちゃったけど、変じゃないかな?
似合ってないとか思われたら、立ち直れそうにない。
恐る恐る慎重に杉並くんに近づく。
と、彼は、あたしとは違う女の子に声を掛けられていた。
この距離からだと会話内容は聞き取れない。
多分、知り合いなんだと思う。
面識はないけど、学校ですれ違ったことはあったような。
彼女もまた浴衣姿に着替えていて、楽しそうに杉並くんに話しかけている。
「な、なによ」
あたしのこと誘ったくせに、他の女の子と楽しそうにしないでよ。
あたしのこと置いて、その子と夏祭り回ったりしないよね?
よくない感情が沸き立つ。
やだ、取られたくない。
そう思ったら、あたしは自然と杉並くんの元に向かっていた。
彼はすぐにあたしの存在に気がつくと、パタパタと手を振って。
「あ、能美さん。って、浴衣着てきてくれたんだ?」
彼は何の気なしに笑みをこぼす。
変な心配してたのが、馬鹿らしくなってくる。
「べ、別に、杉並くんのためじゃない」
「そ、そうだよね」
少し寂しそうな顔をする杉並くん。
違う、本当は杉並くんに見てもらいたかった。
じゃなきゃ、こんな面倒くさい服着たりしない。
「あ、私、お邪魔みたいだからもう行くね」
「ああ、うん。ごめん、またな」
杉並くんと話していた女子はとてとてとこの場を後にする。
「今の子、だれ?」
「友達。能美さん待ってる時に声掛けられてさ、一緒に回らないって言われて」
「ふーん。一緒に回ってあげればよかったじゃん」
あたしは思ってもないことを言う。
「能美さんを誘ってるのに、そんなこと出来ないよ。それに、俺は能美さんと一緒がいいし」
「……っ。な、なにそれ、意味わかんないっ」
「わ、分かんないよね。ごめんね変なこと言って」
「ほら、行きましょ。こんなとこでグダグダやってもしょうがないし」
あたしは一足先に夏祭り会場へと向かう。
あたしはもう身体が熱くて仕方なかった。
ホント、あたしどうしちゃったんだろう。
夏祭りは楽しかった。
これまでも何度か来たことはあったけど、ダントツで今日が一番楽しかった。
少し前まで、男の子と二人で夏祭りに行くなんて考えられなかった。
どうしてみんな恋人を作ったりするのか分からなかったけど、今なら分かる。
すごく楽しくて、胸が高鳴って、この上なく満たされる。
こんな時間を過ごせるなら、納得だ。
友達と夏祭りに行くだけじゃ、こんな感情は出てこない。
二十時を過ぎ、花火が打ち上げられる時間帯。
あたしは、杉並くんに連れられて河川敷に来ていた。
「ここ、穴場なんだって。人は少ないけど、よく花火は見れるみたい」
「へぇ。前に誰かと来たことあるの?」
あたしはつい、そんなことを聞いてしまう。
彼との時間が楽しいせいなのか、独占欲が湧いてきちゃう。
もし、あたし以外の女子と過去になにかあったとしたら──。
そんな想像をするだけで、あたしは良くない感情が滲み出てきてしまう。
「ないよ。友達に教えてもらってさ」
「女の子の?」
「男だけど」
「そ、そう、ならいいけどっ」
あたしは自然と声のトーンが上がる。
なに、安心してるんだろう、あたしは。
杉並くんはバッグからブルーシートを取り出すと。
「手伝ってもらって良い?」
「ん、こっち持てばいいの?」
「うんお願い」
杉並くんとあたしとで四隅を押さえて、地面に敷き始める。
──と、その時だった。
「ひゃっ」
「っ、能美さん!」
あたしはブルーシートに気を取られて、足元の石に躓く。
履き慣れない下駄も相まって、簡単に体制を崩してしまう。
杉並くんは一目散にあたしに寄ると、あたしの背中に手を回してすんでのところで支えてくれた。
「あ、ありがと……」
「よ、よかった」
危なかった。
てか、距離ちかっ。杉並くんって意外とまつ毛なが──。
と、余計な思考を生み始めるあたし。
けれど、もっと別に考えることがあった。
河川敷は足場が斜めになっているため、安定性はない。
その上、この姿勢はかなり際どいものがあった。
「うあっ」
「きゃっ」
やがて、杉並くんは足を滑らせると、それに釣られてあたしも転んでしまう。
彼がキチンとあたしを守ってくれたので、幸い怪我はなかったけど。
「……っ」
「……っ」
唇に感じる知らない柔らかい感触。
一秒ほどしっかり硬直した後で、あたし達は即座に距離をとった。
「ご、ごめん!」
「…………っ」
あたしはただただ当惑していた。
なに、今の……。
え、今、キスしたの?
で、でもレモンの味しなかったし。
いや、でも、間違いなく──。
あたしはボワっと湯気が出るくらい真っ赤に顔を染め上げる。
杉並くんも、見たことないくらい顔が赤かった。
「べ、べべ、別に気にしてないから!」
「で、でも」
気丈に振る舞うあたし。
頭が真っ白になって、はち切れんばかりに心臓が鼓動する。
そんな中、ドンッとお腹の奥まで届く爆発音が宙から降ってきた。
見上げれば、最初の花火が打ち上がっている。
「も、もう始まっちゃったし、さっさと元の場所に戻りましょ」
あたしがブルーシートのところに戻ろうとすると、杉並くんはあたしの左手を握った。
彼の手の感触に、あたしはドキッとする。意外と、ゴツゴツしてる。
「本当はもう少し、後に言うつもりだったんだけど」
続け様に花火が打ち上がる。
けれど、花火そっちの気で、あたしは杉並くんに視線を奪われる。
だって彼はいつになく真剣な表情で、真っ直ぐ、あたしを見つめてきていたから。
何か覚悟を決めているのは分かって、それだけに茶化すこともできなくて、あたしは黙って彼の目を見つめ返した。
「俺、能美さんのことが好き、です。俺と、付き合ってください」
「え、えっと、え?」
あたしの頭上に無数にも近い疑問符が浮かび上がる。
あ、あれ、今、告白されてる?
「き、キスしちゃったから、責任取ろうみたいなこと?」
「違う。初めから考えてたんだ。花火見ながらタイミング見て告白しようって。でも、この状態でタイミングもなにもあったものじゃない、から。だから、えっと、俺のカノジョになってもらえませんか?」
再び、告白してくる杉並くん。
あたしはもういよいよ頭が回らなくなっていた。
冷静に……冷静になるのよ、能美明日香。
あたしは、男嫌いのはずでしょ。
男なんて、性欲の塊で、あたしのことイヤらしい目で見て、変態ばっかで。
もし付き合うなんて事になったら、当然、そういうことにもなるわけで。
だから、うん。ここでの答えなんて決まっている。
「……いい、よ」
「え?」
「だ、だからいいよ。杉並くんのカノジョになってあげる」
「……っ。ほ、ほんと? まじ?」
杉並くんは屈託のない笑みを咲かせると、テンションをぐんと跳ね上げる。
「な、なに驚いてるのよ。自分から告白したんでしょ」
「そう、だけど。上手くいくか不安でしょうがなかったし」
気持ちは分かる。
もし、逆の立場だったらと思うだけで、ゾッとする。
杉並くんは立ち上がると、あたしに向かって手を伸ばしてくる。
「戻ろっか」
「……うん」
彼の手を握りしめる。
「でも、安心した。俺、能美さんに好かれてる自信なかったから」
「なにそれ。あたしはとっくに、杉並くんのこと──」
そこまで言って、声を途切らせるあたし。
お姉ちゃんの言っていた答えに、今更気がついた。
そっか。
あたし、杉並くんのことが好き、なんだ。
「ん?」
途中で喋るのをやめたあたしを、杉並くんは不安げに見つめてくる。
『別に』、といつもみたいに素っ気ない返事をしようとするあたし。
けど、もう隠す必要はない。
それに、彼は勇気を出して告白してくれた。なのに、あたしばっかり虚勢を張るのは、良くない。
だから、あたしも勇気を振り絞って。
「好き、ヒロト」
「……っ」
彼に自分の気持ちを伝えたのだった。
──────────────────────
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