情報屋と再会しました

 風呂場に繋がる扉を開けると、今が食事時だからか脱衣所には誰もいなかった。

 前回の入浴の時に男性の裸体を間近で見たからもう恐れはないけど、好き好んで見まくりたいわけではないのでほっとする。

 ついつい気が緩んでしまって、鼻歌でも歌いたくなるというものだ。


「お風呂っ、お風呂っ。ふんふ~ん」

「俺様も久々に浸かれるぜ」


 汚れた服を脱いでいるときに聞こえた悪魔の声。

 浸かれるぜ、ということは、浸かりたかったということ。


「やっぱり悪魔もお風呂好きになった?」

「さあな」


 風呂の良さを知ってくれるのは嬉しいから聞いたのに、いいから早く脱げと急かしてきた。照れ隠しだと解釈するぞ。


 律儀にも私を待っている悪魔を従えて浴場の扉を開ける。

 開けた瞬間むわっと広がる温かい湿度に、漸くお風呂に入れるのだと実感が沸いた。


 宿屋の浴場は一般のお風呂よりは確実に広い。けど、宿に泊まる人専用ということもあるせいか大浴場よりは狭かった。

 しかし大浴場と違って、洗い場のすぐ隣にはかけ湯専用と看板がついた、お湯が入った大きな桶のようなものがあった。サイズは一般家庭の浴槽ぐらいの大きさだろうか。水道はやはりどこにもないし、時間をみて宿のスタッフが継ぎ足しながら使用しているのだろう。入浴する人数が限られていて、何度も足す必要のない宿屋だからこそ出来ることだ。


 けど、これなら浴槽のお湯が減る心配も、お湯の中に汚れが落ちるリスクも少なくかけ湯が出来る。

 相変わらずシャワーがないことには少しがっかりしたけど、まあ、仕方がない。


 ぐるりと洗い場を見渡す。見える範囲には人の影はなかった。


 ……よし、洗い場には誰もいないね。


 ならば、ここは自由に使ってしまおう。

 かけ湯用の大きな桶は全員が問題なく使えるようにとの配慮か、洗い場の中心にあった。つまり、洗い場で普通に洗っていたらお湯に手は届かないのだ。

 なので、かけ湯用の大きな桶の横に椅子を置く。


 ……誰もいないなら、この場を占拠しても問題はないでしょう。


 手早く、しかしこの数日間の汚れを落とすために念入りに体を洗っていく。洗い終わればすぐ横に手を伸ばしてかけ湯をしていく。

 とても楽だ。やっぱりシャワーが欲しいね。


 しっかりと体をお湯で流して、辺りを綺麗に戻し、漸くお湯に浸かることが出来た時だった。


「あれ? 勇者くん?」


 突然聞こえた声。誰かがいる可能性はもちろん考えていた。けれど、まさかこんなところで声をかけられるなんて。


 声がした方に視線を向ける。


 なぜか、浴槽に情報屋が浮いていた。

 下半身を晒して。


「っ、風呂で泳ぐんじゃねえ!」

「これは失礼。さっきまでは僕しかいなかったから、ついね」


 そう言って情報屋はお湯に浮かせていた体勢を変えた。きちんと浴槽内に座った情報屋に安堵する。


 ……男ってみんなこんなに無防備に弱点晒すの? どこの男子高校生だよ。


 思わず漏れたため息なんか気にしていない様子で、情報屋はそういえばと言葉を続けた。


「そういえば聞いたよ勇者くん。ナーガまで仲間にしたんだって? 魔王討伐じゃなくてサーカスでもするつもり?」


 冗談だと分かる声色。

 けれどイラっとしてしまったのは、私がみんなに絆されているから。


「……アンタには関係ないだろ」

「あれ? 怒っちゃったかい? 随分と仲良くなったんだね。最初は人狼くんを仲間にするのも渋々だったじゃないか」


 あっけらかんと告げる情報屋にひくりと頬が引き攣った。

 怒りと一緒に血の気が引きそう。


 確かにヨルドを仲間にした私は渋々だったけど、あの時ヨルドと話していたのは悪魔で、勇者らしく振舞っていたから渋々なんて様子は微塵も出していなかった。

 だからヨルドも喜んで「勇者」の仲間になったのだ。


 それなのに、まるでその時の私の心を読んでいたかのように「渋々だった」と情報屋は言い切った。


 はったりだろうか。

 でも、こういう場合のはったりは、少しでも可能性があるから言うのだと思っている。言われた相手の反応を見るのが目的で。

 けれど私は人がいる前で勇者らしくない行動は取れない。悪魔の判定から逸れた場合、悪魔が勇者らしく主人公言葉に変換するからだ。

 だから、私はヘマをしたわけではないと思うのだけど。


 ……では、情報屋は何をどこまで知っているのか。


「そんな怖い顔しないでよ。僕は情報屋だからね。人狼くんを仲間にする前の君も知っている。ただそれだけさ」


 情報屋は相変わらずにこにこと胡散臭い笑顔を浮かべている。


 それは、つまり、この体が死ぬ前のことも知っているということだろうか。


 ……そういえば前回会ったとき、死んだと聞いたとかなんとか言っていた気がする。


 元の勇者と実際に知り合いだった? いや、それなら前回情報屋と会った時にもっと違う反応がきたはずだ。

 では、彼が一方的に元の勇者を見て知っていたか。


 ……うん。どう返事をするのが正しいのか皆目見当もつかない。


 じっと情報屋を見つめる。考えれば考えるほど、眉間に皺が寄るのが分かる。

 そんな私を見て、情報屋は楽しそうに笑った。


「あはは! 疑われてるな」

「……仕方がないだろ」

「さてさて、そんな情報屋のお兄さんからアドバイスを一つ」


 情報屋は一度言葉を区切る。


「この街に君の仲間にした方がいい子がいる。誰とは言わないけど、魔王討伐に行くならおすすめするよ」

「え……?」

「君が修行を頑張っているのも知っているよ。けど、たった四人で魔王を倒しに行くほど無謀じゃないだろう? あ、この情報はタダにしとくからね。今日だけの特別だよ」


 そう言って情報屋はウインクを飛ばしてきた。

 先程の話とまるで関係ないことを言われても……っと、ちょっと待って。


「勝手に情報を落とすなよ! それに、タダより怖いものはないだろ!?」

「僕が勝手に落とした情報だからタダなんだよ?」

「うぐぅ……」


 ……そうだけど、そうじゃないんだよ!


 情報屋は思わずといったように失笑をこぼした。


「じゃあ僕はもう出るよ。君のことは嫌いじゃないから。また会えたらよろしくね。ライトくん」


 ……名前まで知られている!?


 情報屋はばしゃっと水音を立てて立ち上がり、振り返ることなく脱衣所へと向かっていった。


「……なんか、あの様子じゃあ悪魔のことも知られていそうで怖い」

「そしたらおもしれーことになるな」

「何も面白くはない」


 ケラケラと笑う悪魔にお湯をぶっかけといた。

 そうしたら仕返しだとばかりに魔法で大量のお湯を顔面にぶつけられた。


「んぶっ! ……くそ、やったな!」

「お前がやったんだろうが」

「更にお返し!」

「ふざけんな!」


 ……いつも高みの見物をして笑っている悪魔に溜まっていた鬱憤を今ここで晴らす!


 公共の場でこんなことをしてはいけないのは分かっているけど、他に人はいないから良いのだ。


 悪魔にお湯をかけて、かけられる。私は手でかけているのに悪魔は魔法を使ってくるからどんどん勢いが増していって、何度もお湯をぶつけられている顔面が痛くなってくる。

 悪魔にそんなことをして大丈夫なのかって思うけど、悪魔はあくまでもお湯をぶつけることしかしてこなかった。


 ……こいつ、楽しんでやがるな。


 どれだけやっていたか分からないけど、童心に返ったようで徐々に楽しくなってきた頃、脱衣所から人の声が聞こえてきた。

 悪魔も魔法を使うのはぴたりと止める。


「……あれ、もうそんな時間?」


 そして来るであろう裸体から逃げる間もなく、夕食を終えた宿泊客たちがぞろぞろと洗い場に足を踏み入れてきた。


 しまった。悪魔と遊んでいたせいで、ちゃんとお湯に浸かった気がしない。

 本当はもう少し浸かりたい。のんびり、ゆっくりと浸かりたい。けれど、このまま人が増えると分かっていてゆっくりはできないだろう。

 残念だけど今日は諦めるしかないか。


 ……でも、今はまだ脱衣所が混んでいそうだし、もう少し待つかな。


 下半身に視線がいかないように、この場にいる全員が洗い場で座ったことを確認してから出よう。

 それまでは浸かっていようと肩まで体を沈める。すると、洗い場に寄らずに真っ直ぐにこちらに向かってくる人がいた。


「やっぱりまだいたか……」

「ライネル……」


 お願いだから前を隠してくれませんか。


 ライネルの方を見ないように視線を外せば、近くにヨルドがいないことに気付いた。


「ヨルドは?」

「獣人用の風呂があって、そっちに行っている」

「へえ」


 毛の問題だろうか。

 そういえば、風呂場の入り口が三つに分かれていた気がする。パッと見て男湯に進んだからちゃんと見ていなかった。


 ……あれ? つまり獣人は混浴?


 毛があるからいいのか、種族的に気にしないのか。

 よく分からないから獣人のお風呂については深く考えることは止めよう。


「食事が終わってもお前がなかなか戻ってこないから、俺たちも風呂に行くことにしたんだぞ」

「あはは……そろそろ出るって」

「全く。もう食堂を閉める時間だと言われたから、ライトの分は宿屋の主人に頼んで部屋に運んである。部屋で食べろ」


 ……ん? 食堂を閉める時間?


「え? 待って、今何時だ?」

「もう21時は回っている」

「嘘だろ!?」

「……お前は風呂に時計を持ちこむべきだな」


 呆れたようにため息をつくライネル。

 けど、まさかそんな時間になっていただなんて思ってもいなかった。


 ……つまり、三時間近く入っていたってこと?


「わ、悪い……まさかそんな時間になっていたなんて……」

「謝る必要はない。だが、心配するから気をつけろ」

「わかった」


 私が頷いたのを確認すると、ライネルは洗い場まで戻っていった。


 なんだか狐につままれた気分だ。

 ちらりと悪魔に視線をやれば、悪魔は只々愉しそうに笑みを浮かべているだけだった。


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