修行、はじめました

 新しくナーガのアリーネが仲間になって、この体に名前がなかったという事実を知った衝撃の日から一夜が経った。

 今までは「勇者」と呼ばれていたから「ライト」と呼ばれることになかなか慣れない。


 ……ライネルたちが決めてくれたこの名前が嫌とかではないんだけどね。


 この体が勇者だということは悪魔からの最初の説明で納得せざるを得なかったから、周りから勇者と呼ばれることにはすぐ対応できた。だけど、個人名となるとなかなかすぐには反応できないのだ。どうしても、私本来の名前とはかけ離れているため、私が呼ばれたという感覚にならない。

 まあ、そのうち慣れるだろうから長い目で見守っていてほしい。


 新しい名前と新しい仲間を迎えた初めての夜……昨夜はアリーネが純情ヨルドを揶揄っていたくらいで、特に問題なく過ごすことができた。

 アリーネが悪いヤツでないことは昼間のうちに分かっていたから心配はしていなかったけど、悪意がない分厄介な時もあるから一緒に旅をしていくなら気を配る必要はあるだろう。

 ライネルも似た考えを持っているのか、アリーネとヨルドが絡むときは意識を向けていたようだし、まあ、なんとかなるだろう。


 問題は、これ以上冒険物語のように仲間を増やしていくような何かが起きないようにすることだ。出会ってしまえば悪魔は嬉々として私を操るだろう。

 だから出会わないようにしたい。これ以上、勇者と持ち上げられたくはない。吐きたくない。


 ……三人が嫌な訳じゃないんだよ。魔王討伐に向かっている途中で仲間が増えていくというのが主人公っぽくて嫌なだけで。


 悪魔のせいで魔王討伐には向かっているけど、主人公をやらなくてはいけない理由はどこにもないのだから。






 さて、私たちは魔王がいる東に真っすぐ向かうのではなく、少し逸れたリンカンという街に向かうことになった。

 リンカンは今まで通ってきた村や町とは比べ物にならないくらい栄えているらしい。リンカンの近くでも強盗をしていたと言うアリーネが教えてくれた。


「行くのは構わないけど、理由を聞いてもいいか?」


 魔王のいる場所まではまだ遠い。このまま真っすぐ東へ進んだとしても途中で街や村を何度も通るだろう。なのに、わざわざ道を逸れてまで大きな街に先に行く理由が分からなかった。


 アリーネに問えば、何を言っているのか、と首を傾げられた。


「ライトの今のレベルでは魔王には勝てないでしょう? 修行は道すがらしていくとしても、木刀で魔王に勝てるなんて思っているわけじゃないわよね?」


 ……ごもっともで。


 木刀の製作者であるライネルですら、うんうんと頷いている。

 けれど、今の私のレベルで扱える武器を買ったとして、その武器で魔王に勝てるわけではない。かといって魔王に勝つための武器を今買っても荷物にしかならない。


 もちろん、ステータスを上げてくれる武器があることは分かっている。

 けれど、メンバーが増えた分食費も考慮してなるべくお金は節約していきたいし、レベルが上がるごとに武器を買いなおすなんてことは節約以前に今の資金を考えても現実的ではない。


「アリーネの言っていることは正しい。けど、そこまでの資金はないんだ」

「資金なら修行でモンスターを倒して倒して倒しまくればなんとかなるわよ」


 ……つまり死ぬ気で修行しろってことね。


 にっこりと笑うアリーネに悪意がないのが余計に怖い。

 思わずひくりと引き攣った頬。ライネルにぽん、と肩を叩かれた。


「ライトについて行くと決めた俺たちも強くならなくてはならないからな。共に頑張ろう」


 魔王と戦うために私自身が強くならなくてはならないのは分かっている。

 このメンバーの中で一番レベルが高いのはアリーネだと昨夜悪魔に見せてもらったステータスで把握していた。そして、私が一番下だということも。運だけは相変わらず高いのも確認している。

 けれど、運だけで魔王に勝てるわけがないし、アリーネのレベルが魔王に匹敵するかと言えば、匹敵しない。

 だから、やるしかないのは分かっている。


 ……それに、負けるどころか死ぬと分かっていてこのまま戦いを挑むようなドMではないのでね。


「頑張るしかない、か……」


 まあ、私が強くなればレベルの高いモンスターを倒すこともできるし、モンスターのレベルが上がれば上がるほど、落とすお金も増えるだろう。資金のことはそうやって解決していくしかないかな。



 そうやって始まった修行は、地獄かと思った。



 何が地獄って、休む間もなく只管モンスターを倒すのだ。

 今までの私は、練り歩いて出会ったモンスターを倒していた。筋トレもしつつ、適度に休憩をして「今日もいい汗かいた。頑張った」と。


 けれど、アリーネにはそんなものは修行ではないと一蹴された。

 そして魅了を使い、多数のモンスターをおびき寄せたアリーネに「只管戦え」と言われた私たちは休憩を与えられずモンスターと戦い続けている。


「……ぜえ、はあ……っ、魅了の使い方って、色々あるんだな……」

「便利でしょう?」


 にっこりと微笑むアリーネ。

 アリーネだってずっと魅了を使ってMPが減っているはずなのに、疲れた様子はない。

 ライネルも息を切らしながらモンスターと戦っている。


「アリーネの、強さの理由か?」

「ナーガは幼いころからこうやって修行をして強くなるのよ」

「こえーナ……」


 ぶるりと震えたヨルドに、アリーネは笑みを深めた。


「それが修行なのよ」

「ぅわんっ!」

「……んん゛っ!」


 思いがけない鳴き声に笑いそうになった。


 それにしても、こうやって数をこなして漸く理解できた。このまま木刀で戦うのは現実的ではないと。

 筋力値がずば抜けているならまだしも、普通のステータスで木刀を扱っていても大した攻撃にはならないのだ。切れた方が圧倒的に良い。剣術を学んでいない私にとって、木刀での攻撃はただの打撃だからね。


 ……資金がどうこうと言っていられないよね。アリーネの修行を乗り越えるためにも、新しい武器は必要だわ。


 木刀では一匹一匹倒すのに時間がかかってしまう。だから息が上がるし、体も悲鳴を上げる。

 疲労からふらついてくる足元。力が入りきらず何度も落としそうになる木刀。

 このまま気絶したいくらい疲れているけど、アリーネのあの様子では許されないだろう。


 あと少し。もう少しと自分を誤魔化しながらモンスターを倒していく。


 どのくらい時間が経っただろう。そうこうしていると、目に見えてモンスターの数が減ってきた。

 それぞれが一匹ずつ確実に倒していく。そして最後のモンスターを三人で連携して倒した瞬間、私たちは地面に倒れ伏した。


 荒い呼吸を繰り返す。

 ようやく、終わった……?


「お疲れ様。魅了が届く範囲にもうモンスターはいないみたいだから、休憩しましょうか」


 ……え、もしかして、場所を変えてこれを繰り返すとか言わないよね?


 倒れた途端、糸が切れたのか指先すらぴくりとも動かせなくなってしまった。

 早くレベルを上げるには限界を越えなきゃいけないのかもしれないけど、元々はただのオタクでしかない私には肉体的にどころか、精神的にも辛すぎる。


 もう少しだけでいいから余裕をもって修行させてくれないかな。

 視線だけでアリーネに限界を訴えてみたけど、アリーネはこてんと首を傾げた。


「魔王軍団の四天王っていうのが一度来ているのでしょう? 次はどうなるのか分からないのだから、レベル上げを急がなきゃ」


 アリーネの言うことが最も過ぎて、何も言えなかった。

 どのみち喋る気力はなかったけど。


 ……たしかにアルマンは倒せたけど、他の四天王も私たちレベルで倒せるとは思えないんだよね。四天王の中で最弱とか言われていたし。


 魔王を倒しに行く以前に、また四天王が襲ってくる可能性は十二分にあるということを失念していた。

 この修行が辛いという思いは変わらないけど、魔王どころか四天王に殺されるなんて絶対に嫌だ。だから、アリーネを信じて死ぬ気でついていく。


 動かない手足と口の代わりに決意を目で訴えれば、アリーネは分かってくれたのか微笑んだ。


「そういえば、休憩だと言って水分すら渡していなかったわね」


 アリーネは水筒を渡してくる。ライネルとヨルドはなんとか腕を動かし受け取ったけど、私は変わらず動けない。水、飲みたいのに。


 なぜか、アリーネは楽しそうに笑った。


「ライトったら仕方ないわね。ワタシが口移しで飲ませてあげる」

「ごふ……っ!」


 盛大に水を噴き出したヨルドに構ってられない。


 ……いやいや待って! アリーネは確かに美人だし私としては同性の恋愛はいいとは思うけど私自身は違うし、なによりこの体は私の体じゃないから勝手にそういうことをするのはどうかと思うんだけどちょ、だからまって――


「ははっ、ライトはモテるな」

「……ぶはっ! そうじゃないだろ!?」

「よかったな。声が出るようになって」

「ライネルは楽しそうで良かったね!」


 ……ライネルは常識人だと思っていたのに!


 顔を真っ赤にして視線を逸らしているヨルドの方がまともに見えるわ。


「ほらライト、まだまだお水はあるわよ」

「いい、自分で飲むから!」

「でも、まだ動けないでしょう?」

「後で飲むから……!」


 ……根性出して私の腕!


 どんなに願っても、腕に力が入らない。

 ここで動けるなら、既に動けているよね。分かっている。


「アリーネは美人だからいいだろう」

「美人だから困ってるんだけど!?」


 異世界で新しい世界の扉を開くつもりはないんだって!

 高鳴る鼓動は気のせい! 緊張!


 近付くアリーネの顔。逃げられない現状に目を瞑った時だった。


 何かが近くに落ちてきた。




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