イケオジと呼ばれそうな人と会いました

 トルポ村から出て暫く、ヨルドを仲間に加えた私はモンスターを倒しながら次の村に向かって森の中を歩いていた。


 悪魔はヨルドがいるからか私に話しかけてこなくなった……なんてことはなく、脳内に直接語りかけてきていて不愉快以外の何物でもない。時々悪魔への言葉が口から出てしまってヨルドから妙な物を見るような視線を受けているけど、突然嘔吐もするしどこか変な勇者と認識されているようで、特に何も言われることなく過ごしている。嬉しいような悲しいような、非常に複雑だ。懐かれているのは実感しているけど。


 そんな感じで着実にレベル上げと戦闘経験を得ていく中で、今、私はピンチに陥っていた。


『ヨルド! 風上に回りこめっ!』

「分かってル!」


 風上……つまりモンスターの背後に回ったヨルドは鋭い爪をモンスターに向ける。ヨルドの気配を感じたモンスターは私から視線? を外してヨルドへと向き直った。バサバサと大きな羽根を動かし毒のある鱗粉を撒き散らすソレは、風上に向かったヨルドには関係ない。鱗粉を避けるように私も移動する。


 あああああっ! きもい、きもい、きもい! めちゃくちゃ気持ち悪いっ!


 相対しているモンスターは、蛾だった。

 私よりも、ヨルドよりも大きな蛾のモンスター。魔物というより、蛾をただただ大きくしたような見た目ですこぶる気持ち悪い。毒々しい色の羽根と体をして、視線の読めない目で異様な存在感を醸し出している。


 私は虫が嫌いだ。大っ嫌いだ。虫が好きな女なんて少ないだろうけど、私は蟻や蝶ですら苦手なのだ。それなのにこんな見た目は大きな虫でしかないモンスターに遭遇するなんて、今にも吐きそう。吐いている間に接近されそうだから全力で飲み込んで相対しているんだけど。


 逃げられるのなら逃げたい。でも、それは悪魔が許してくれなかった。逃げようと思いながら動こうとすると体の自由が利かなくなるのだ。その間に蛾のモンスターに接近されそうになった瞬間、逃げるのを諦めた。


 ……この場にヨルドがいてくれて良かった。トドメは任せよう。


「いけっ!」

「うおりゃああっ!」


 ヨルドの爪が蛾のモンスターへと向かう。けれど、蛾のモンスターはひらりとかわした。


「げっ」


 蛾のモンスターは攻撃をかわした動きから流れるように体の向きを変え、なぜかターゲットを私に変えた。変えやがった。

 蛾のモンスターは気持ちの悪い羽音をさせて、私に向かってくる。


 ひいいいいいっ! やめて! きもい! こわいいいい! なんでこの体は魔法が使えないんだ! バリアが欲しい! 近付きたくないいいい!


 私の武器は木刀のみ。しかも付加のないただの木刀で、盾すら持ってない。近付いてくるモンスターを退けるには攻撃するしか方法はない。でも、アレに近付きたくはない。視界の端では悪魔がげらげらと笑っている。


「あああああっ!」


 バキン――

 何かが壊れる音がした。


 手に持っていたはずの木刀が消えていた。


「ん……?」


 なぜか、蛾のモンスターの動きが止まっていた。よく見れば羽根に穴が開いている。


「――――っ!」


 人の声ではない、モンスターの叫び声が鼓膜を揺らす。

 羽根に開いた穴のせいか、蛾のモンスターはがくんとバランスを崩した。その隙をついてヨルドの爪が蛾のモンスターを切り裂く。先程よりも激しい断末魔の叫びのような音を出して、モンスターは消えた。

 代わりに落ちたコインが倒せたことの証だった。


「やったナ、勇者」


 嬉々として駆け寄ってきたヨルドは私の前で止まり、軽く頭を下げた。低くなったその頭をいつも通り、いや、いつも以上に撫でまくる。


 ……怖かった。気持ち悪かった。


 モンスターを殺すことには大分慣れたけど、虫と相対するのは生理的に無理だと実感した。


 ヨルドの尻尾は嬉しそうにぶんぶんと揺れている。可愛いワンコめ。ああ、癒される。


 わしゃわしゃと撫でていると、ヨルドはぴくりと反応し、私の背後に視線をやった。

 ヨルドに倣って同じ方向に視線をやれば、少し離れた所に体格の良い壮年の男が驚愕の表情をこちらに向けて立っていた。


 ……相手が風下だから気付くのが遅くなったのか、撫でられるのに夢中で気付けなかったのか。


 残念ながら私はまだ気配には疎い。けれどモンスターと戦っているうちに、相手に敵意や悪意があるかどうかは、なんとなく分かるようになった。こちらを見つめる彼からは、驚愕と困惑しか見えない。


「……人狼を手懐けているのか」


 口の動きから何かを呟いたのは分かったけど、男とは距離があって私の耳には言葉は届かない。

 けれどヨルドには聞こえたようで、不快そうに鼻に皺が寄った。


「なんて言った?」

「……オレをペット呼ばわりしやがッタ」


 え? ホントに?……まあ、番犬もペットだから間違いではないか。


 私の心を読んだのか悪魔がげらげらと笑っているけど、無視する。


 ヨルドは壮年の男を警戒して睨みつけている。

 でも、そこまでの警戒はいらないと思うのだ。


 もちろん誰相手でも油断するつもりはない。この世界は私にとって未知で、理解なんて出来そうにもないから。

 ただ、男の出で立ちは旅人という風ではない。つまり、近くに村があると推察できるのだ。勇者の存在がどこまで広がっているのかは分からないけど、話をする価値はあると思う。


 私はそろそろお風呂に入りたいんだ。


「あの人と話してみよう」

「……わかッタ」


 嫌そうなヨルドの背を撫でて、男に手を振って声を張り上げた。


「こんにちは! 俺たちは旅をしてるんだ! この辺りに村はあるかい?」


 男は私の声が届いたのか、ゆっくりとこちらに向かって歩いてきた。近付くにつれ男の顔がはっきりと見えてくる。

 男は端正な顔立ちをしていた。元の世界ならイケオジ、と呼ばれるような雰囲気のある顔だ。けれど、その容貌よりも何よりも、彼の暗い瞳が目に付いた。


 私たちの前まで来た男は、一度ヨルドに視線をやったが、特に表情も変えず私へと視線を移した。


「村はある。だが、勧めはしない」


 淡々とした、感情を押し殺したような声色だった。押し殺した感情はヨルドへの嫌悪ではなさそうだけど。そんな彼がなぜ村に行くのを止めるのだろう。


「なぜ?」

「……お前たちの仲が良いなら、行かない方がいい」


 ……なるほど。この先の村も、トルポ村にいた村人と同じということか。


 ちらりとヨルドに視線を向ければ、ヨルドは鼻を鳴らした。……鳴らしただけだった。悲しいことに、ヨルドはその扱いに慣れてしまっている。


「忠告ありがとう。でも、あなたは違うのか?」

「魔王に関連していないならモンスターだろうと、亜人だろうと、人間だろうと……どうでもいい」


 本当にどうでもいいと思っているのだろう。それを感じたヨルドが驚いたように男を見つめていた。


 しかし、魔王に関連していないなら、か……。

 暗い瞳と何か関係しているのだろうか。まあ、私には関係ないけど。


「ところで、あれはいいのか?」

「あれ?」


 男の指す方に顔を向ける。視界に入ったそれに、頬が引き攣った。

 そこには、無残にも真っ二つに折れた木刀が落ちていた。


「お、俺の唯一の武器が……!」


 なんでこんなことに!?


 そういえば、さっきの戦闘でぶん投げた気がする……。でも、たった一回投げただけで壊れる物なの? 間違った使い方をしたから? だから私にはもう使われたくないってこと!? それともただただ耐久力がゴミだっただけなのか……。


 膝からがくりと崩れ落ちた私に、ヨルドはおろおろとして背中をさすってくれた。いい子だね……。


 私がどれほど絶望的な顔をしていたのか分からないけど、男は私の顔を見ると気まずそうに口を開いた。


「……木刀でいいなら、作ってやろうか」

「本当に!?」

「あ、ああ……」


 私の勢いに男は引き気味だけどそんなこと気にしていられない。

 ああ、良かった。危なかった。次の村まで丸腰での旅になるところだった!


「ホントに作れんのカ?」

「俺は大工だ。木刀くらいなら作れる」

「木は専門ってことだな! ありがとう! 感謝する!」


 立ちあがってその勢いのまま男の手を握り締めて感謝の言葉を述べると、男はなんとも言えない表情でそっと私の手を外した。

 そりゃあ、男が男に手を握られるのは嫌だよね。


「すまない」

「いや……。木刀を作るなら俺の家に案内しよう」

「それは、村に行くってこと?」


 私の問いかけに、男は少し目を伏せた。だけどそれも一瞬だった。


「今は村の近くのこの森に一人で住んでいるから大丈夫だ」


 暗い瞳に最初から訳ありなのかと思っていたけど、村にいられないほどだとは。村に寄れない私たちにしたらありがたいけど。


「……わかった。よろしく頼む」

「ああ」


 男の先導に、私とヨルドは後をついて行った。

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