主人公に、されてしまう

 トルポ村を出てから私の前に飛び出してきたのは、昨日村を襲った人狼だった。

 毛並みから判断するに、最初にもふった人狼だと思う。一番触り心地が好みだった子だ。


 その人狼は、私の前に飛び出してきてしゃがみこんだまま何も言わない。視線をうろうろと彷徨わせて、困惑した表情を浮かべている。


 ……いや、私の方が困惑してるんだけど。


「えーっと、何か用?」

「うっ……! ぐ、うう……」


 人狼は頭を抱えて悩んでいる。

 何か言いたいことがあって来たんだろうけど、このまま待ってなきゃいけないのだろうか。どうせなら悩み終わってから来てくれればいいのに。

 悩んでる姿はすこぶる可愛いんだけどね。ただのワンコにしか見えない。昨日の恐怖なんか、もう遥か彼方に飛んでいっている。もふもふは正義。


「……あれ、人狼って群れで行動するんじゃなかったっけ? 仲間は?」

「…………ぬ、ぬけてきたんダ」

「え、なんで?」


 変わらず視線は合わないけど、漸く私に対して向けられた言葉に疑問を返せば、人狼はまた困ったように眉を下げた。

 だから、この状況に困ってるのは私なんだって。


「何もないなら、俺は先を急ぐけど」

「ぅあっ! ま、まって……!」


 ……こんなに大きいのに、置いていかれる可哀相な子犬にしか見えない私は疲れているのかな。


「う、うう……、その……お、オレ、感動したんダ……」

「……は?」


 しどろもどろに話し始めた人狼の落としていく言葉に、急速に私の心が冷えていくのが分かった。


「昨日の、アンタが言った、魔王を倒すってヤツ……。オレは、自分で魔王を倒そうだなんて思ったこともなかったんダ。全部魔王が悪いって、魔王のせいだって不満に思いながらも、何もしなかっタ……。でも、昨日のアンタの言葉に気付かされタ。痺れたんダ! アンタについていきたイ。アンタと魔王を倒したいッテ!」


 話しながら興奮してきたのだろう、キラキラと瞳を輝かせて私を見上げる人狼をぶん殴ってやろうとしたのに、指先ひとつ、ぴくりとも動かせなかった。

 ちらりと悪魔に視線をやると、案の定愉しそうに笑っている。


『俺は俺のやるべきことを言っただけだ』

「そうだとしても、それがオレにはマネできない、すごいと思ったんダ!」


 ああ、ダメだ。いやだ。この流れはまずい。


『ははっ! なんだか照れるな』

「オレをアンタの仲間にしてほしイ!」


 なにそれ。なんなんだその理由。そんな理由で仲間になりたいだなんて。


『お前なら大歓迎さ! 名前は?』


 やめてよ。仲間が、増えてしまう。


「ヨルド!」


 これじゃあ、ホントに、勇者にされてしまう……。


『よろしくな! ヨルド!』


 主人公に、される……っ!


「んぎゃあああっ!?」


 口から溢れ出た物に、人狼――ヨルドは悲鳴をあげている。

 そういえば、昨日の嘔吐の一番の被害者もこのヨルドだった気がする。


 ……そんな全力で後ずさらなくても。


「う、ぐうう……! オマエ、昨日からなんなんダ!? そんなに何度も吐くなんて病気じゃないのカ!? そんなんで魔王を倒せるのカ!?」

「……病気では、ないから」


 体が色々と拒絶反応を示しているだけでね。


 驚愕が落ち着けば憂色を濃くした人狼に苦笑をもらす。やっぱり、ワンコにしか見えない。


 悪いのはヨルドじゃない。ヨルド自身が嫌な訳じゃない。

 大丈夫。この子と行動を共にすることで不都合はないのだ。人手は欲しい。

 ……うん。もう、大丈夫。


 水で口内を漱ぎ、ヨルドの元へ足を向ける。


「改めて、よろしくな」


 差し出した手に、ヨルドは相好を崩して手を合わせた。


「おう!」









「いやはや、人狼を仲間にしちゃうだなんて面白い勇者様だねぇ」

「!?」


 突如、聞こえてきた声にびくりと体が震えた。

 耳を尖らせて歯をむき出しにして警戒を露わにするヨルドと周囲を見渡す。


 ……この場に私たち以外の何かがいただなんて、思いもしなかった。


 もちろん私は気配なんかは感じない。

 ヨルドも声の主が分からないのか、周囲を探るようにキョロキョロと目を動かし、鼻もひくひくと動かしている。


 そんな私たちを嘲笑うかのように、真横の木の裏から男がひょっこりと顔を出した。


「臭いガ……?」


 ヨルドが鼻を擦って困惑した表情を浮かべている。


 ……もしかして、この男からは臭いがしないのだろうか。


 だからこんなにも近くにいたのに居場所が分からなかったのだろう。

 本当に臭いがなかったのか、人狼のようなモンスター用に臭いを消す何かをつけているのかは定かではないけど。


 突然現れた男は商人のような格好をしていた。この世界の商人を見たことがないから、あくまで私のイメージの、とつく。

 クロッシェに似た帽子を被り、人の好きそうな笑みを浮かべた男は、なんというか、非常に胡散臭い。漫画とかなら情報屋として出てきそうだ。


 男はにっこりと笑みを浮かべて、口を開いた。


「僕は情報屋なんだ。たまたまこの辺に来てたら君を見つけてね。トルポ村でのこともしっかり見させてもらったよ」


 ……え? 本当に情報屋なの?


 ウソだろう? と思うけど、こんな意味の分からない嘘をついたところでメリットは見いだせない。

 しかし、想像通り過ぎて面食らってしまった。それともこういうタイプの人が情報屋として上手くいくから、漫画とかでも採用されているのか。


 私の困惑はよそに、ヨルドが一歩、私の前に出た。ぐるる、と情報屋を威嚇している。

 ……番犬にしか見えない。


「あー、こわい、こわい。そんな人狼相手に、君はよくあれだけ立ち回れたね」


 にこにこと笑みを浮かべている情報屋の真意が読めない。

 そんなことを言うためだけに怪しまれると分かっていて顔を出したとは思えないのだけど。


 案の定、情報屋はすっと表情を変えた。


「ところで、勇者は死んだって聞いてたんだけど……君、本当に勇者?」


 ……なるほど、それで。


 ヨルドは何を言われたのか理解していないのか、きょとんとしている。


「俺が勇者を名乗る偽物だって言いたいのか?」

「まさか! 君が勇者なのは間違いないよ」


 ……うん? 何を根拠に?


 人の職業が分かる魔術具でもあるのだろうか。

 というか、勇者だと思っているなら、さっきの問いはどういう意味なのか。


「……なら、今、アンタが目にしていることが事実だよ」

「……。ふーん。なるほど、なるほど……」


 情報屋は、今度はにやにやと楽しそうな笑みを浮かべた。

 何に納得したのか分からないけど、なんだか怖い。漫画とかならこういうキャラは大好物なのに、実際に目の前にいると胡散臭くて何を考えているのか全く分からなくて怖いな。


「ま、人狼の弱点(ウィークポイント)を知っているんだから、優秀な勇者様に決まってるよね」

「弱点?」

「人狼が気持ち良くなって戦闘不能にするポイントを撫でまわしていたじゃないか! たとえ知っていても人狼にあそこまで近付くのは普通の人間には難しい。それをあんな簡単にやってのけて、尚且つ仲間にしちゃうだなんてすごいよね」


 …………。

 あ、あー! なんであんな簡単に人狼をワンコ化できたのかと思ってたけど、弱点をピンポイントで撫でていたのか!

 ……もしかして、勇者の無駄に高い運のおかげ? うん、勘違いしているなら余計なことは言わないでおこう。


「べ、別にオマエに撫でられたいから付いてくわけじゃねーヨ!」

「いや、誰もそんなこと言ってないから」


 ヨルドは顔を赤らめて慌てて否定している。

 うん、撫でられたいと思っていることは把握した。いっぱい撫でくりまわそう。


「あはは! 楽しそうだね。……君とはまたどこかで会う気がするよ。その時は僕とも仲良くしてね」


 ぱちりとウインクを落として情報屋は私たちの前から姿を消した。

 姿が見えなくなった途端、情報屋がもうどこにいるのか分からなくなった。私のレベルが低いって理由だけじゃない。

 ヨルドも情報屋の気配も臭いも追えなかったようで、不機嫌そうに鼻に皺が寄っていた。


「……オレ、もうアイツに会いたくねエ」

「本当に情報屋なら、そう頻繁には会わないさ」


 情報屋っていろんなところに出没するイメージがあるし。まあ、場所が被らなければの話だけど。


「だったらいいヤ。オレたちも早く魔王の所へ行こうゼ!」

「いや、行かないよ」

「なんでだヨ!?」


 信じられないと驚愕に目を見開いて見下ろしてくるヨルドには悪いけど、このまま魔王の元へ向かったところで元の勇者と同じく死ぬだけ。大してレベルは上がっていないのだから、今まで通りレベル上げをしなくちゃならない。


「俺の力じゃまだ魔王には届かない。力をつけて、それから挑まないと。ヨルドだって、今の自分のままで魔王に勝てるなんて思っていないだろう?」

「……でも、早く倒さないト」

「お前の仲間の食料のことを考えてるんだろうけどさ」


 無駄死にしたいならお前だけで向かえばいい。


『勇者は魔王を倒すための存在だ。失敗は許されない。わかるだろう?』


 初めて言葉の途中で変換されてしまった。特攻してもらおうかと思ったのに、残念。


「……わかった。オマエに従う」

「……いい子だ」


 よしよしと頭を撫でる。ヨルドは嬉しそうに顔を綻ばせた。




 ……この体は一度失敗してるんだけどね。


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