そこは勇者を知る村でした

 一日かけて着いたトルポ村は、規模だけでなく村の様相もプロートン村と似ていた。村だけで完結しているような、ほとんど自給自足が出来ている。そんな感じ。


 ……夜になる前に着いて良かった。まだ日が出ているから、村人が外に出ているはず。


 まずは宿を探そう。そう考えて村に入ってすぐ見かけた女性に声をかけようとした。かけようとしたのに、女性は私を目に止めた瞬間、驚愕に目を見開いた。


「……え?」

「まあ! 勇者様じゃないですか! どうしてこんなところに? 魔王退治はどうしたんです?」


 女性の大きな声に、なんだなんだと近くの家々から村人が出てくる。

 村人たちはそれぞれ私を見止めると目を丸くし、口々に勇者様だ、魔王退治は、と声を漏らした。


 なんで、勇者の顔がこんなにも知れ渡っているの……?


「この世界の勇者は産まれたときから勇者なんだ。そんでここは勇者が生まれた村の隣の村。知られてても不思議はねーだろ」


 律儀に教えてくれるのは嬉しいが、そういう情報はもっと早く知りたかったと悪魔を睨む。効果はまるでないけど。


 しかし、まさかこの体が産まれたときから勇者だったとは思っていなかった。ある年齢で職業として選ぶ、もしくは協会などで選ばれるものかと思っていた。

 でも、それなら本当になんでこんなレベルで魔王に挑んだんだろう……。修行する機会なんてたくさんあっただろうに。


『みんな久しぶりだな! 俺は魔王を確実に倒すために一度プロートン村に戻ったんだ。みんなには不安な思いをさせて、待たせてすまないと思っている。でも、魔王を倒すのに必要なことなんだ』


 悪魔の能力ですらすらと言葉が口から零れてくる。

 こういう、なんと答えればいいか分からないときは便利だと思う。


「そうでしたか。でしたら、村長の家へどうぞ。旅の準備の間は以前のように村長の家にお泊りください。おもてなしさせていただきますよ」


 女性はにっこりと笑ってとんでもないことを言った。


 村長の家だなんてそんな面倒くさそうなところ、絶対嫌ですが?


「村長の家だなん……あ、いや、わた……俺は普通に宿に泊まりたいんだけど……」


 なんで突然主人公言葉に変換するのを止めたの!?

 もしかしてさっき私が便利だなんて思ったから? って、おいこらニヤニヤしてんじゃない、この悪魔がっ!


 ……ちくしょう。こういうことも想定して、普段から言葉遣いは気を付けた方がいいってことね。

 本当に私で愉しんでいやがる……。


 村人に悪魔が見えていないのを忘れて悪魔を睨みつけていると、後からやってきた初老の村人は不思議そうに首を傾げた。


 ……しまった!


「この村に宿はありませんよ?」


 思わず一緒に首を傾げてしまった。

 私の行動ではなくて言動に首を傾げたみたいで少しほっとする。

 そしてはた、と気が付いた。


 そうか、宿に泊まる必要のある人間がこの村には来ないのか。


 そりゃあ、こんな辺鄙な村に旅行者なんてほとんど来ないのだろう。

 プロートン村と同じく村だけで完結していそうだと思ったけど、やっぱりこの村には余所からの商人もほとんど来ていないんだろうな。


 ゲームであれば体力回復のための宿屋は大体どこにでもある。しかし、ここは現実。こんな余所から客の来ない村で宿屋の経営だなんて、できるはずがないのだ。


 さて、どうしたものか。村長の家に泊まるという選択肢はない。食料を調達して、大浴場があればそれだけを借りてさっさと村から出るしかないかな……。

 どうしようかと頭を悩ませていると、若い男の村人がぽつりと呟いた。


「時々来る商人用に素泊まり出来る場所はありますが、勇者様にそんな場所を貸すわけには……」

「おい! 勇者様があんなところに泊まるはずがないだろう!」


 初老の村人は声を荒げ、若い男の村人を咎めた。

 すみません……と顔を青くして小さくなる若い男の村人に、小さな村の嫌な慣習というか、ルールを見た気がした。


 そんなに怒鳴る必要はないよね。……あ、くそ上司を思い出したわ。うん、やっぱりそういう村の村長の家なんか絶対に行きたくない。

 屋根があればどこでもいいや。


「いや、それで十分だ! 長居する予定はないから!」

「しかし……」


 ええ……なんで渋るの?

 困惑した表情の村人たちに、なんだか私が悪いことをしている気分になる。もてなす必要はないって言ってるんだから喜んでほしいんだけど。


 ……もしや、産まれたときからこの体が勇者だったということは、こういうもてなしが当たり前としてきたのだろうか。であれば、突然拒否をする私の方がおかしいということになってしまう。

 なるほど。それならば、仕方がない。


「その代わりと言ってはなんだが、魔王の元へ向かう旅路のための食料を売ってはくれないか? 少し多めに」


 こういう他所との交流の少ない村は、基本は自分たちが食べていく分だけを作ったり獲ったりして生活しているはず。その中で多く食料をよそ者に売るということは、自分たちの食べる分を売るということだ。もてなしの代わりとして要求するには丁度良いと思う。ここに来るまでの森には色々と木の実も生っていたし、私が食料を買ったからといって村人たちが無駄に飢えることもないだろうし。


 じゃあ自分で採れって? 私は米とか肉とかしっかりがっつり食べたいんであって、木の実は求めていないのだよ。


「……そういうことでしたら。ですが、勇者様の元へ村長は挨拶に伺いますよ」

「わかった」


 やっと折れてくれた村人たちに安堵の息をつく。よし、勝った。


 結局悪魔はただニヤニヤとやり取りを聞いているだけだった。

 これは今後、強制的な主人公言葉に嘔吐を我慢するか、自発的な主人公言葉に嘔吐を我慢するかの究極な状況では……?

 いや、私自身で言葉を考えるなら、嘔吐しないギリギリのラインを狙えるかもしれない。……って、嘔吐しないギリギリのラインってどこなんだ!?




   ◆




「では、ご案内します」


 最初に場所を提案してくれた、若い男の村人に泊まる場所に案内してもらうことになった。

 そこは村の端も端の場所だった。大きな村ではないため歩くには問題ないけど、本当に商人がただ泊まるだけの場所だとありありと分かるくらい村の端だった。


 若い男が扉を開ける。目の当たりにした室内に思わずぱちぱちと瞬いてしまった。

 中には、テーブルセットはおろかベッドすらなかった。四畳半はあるかな? という広さのこの場所には、本当に何もなかった。低い天井も相まって、もうただの箱にしか見えない。

 そして、あまり使われていないのがありありと分かるほど埃臭かった。


「……本当にここに泊まるんですか? 今からでも村長の家に……」


 若い男の戸惑った表情に、ここまで酷いとは思っていなかったんだろうと分かる。でも、私としては村長の家だなんて面倒なことになりそうな場所には絶対に行きたくないのだ。

 埃なんて掃除すればなんとかなるしね。


「ここでいい。それとも、食料を売りたくないのか?」

「まさか! 食料なんてこの季節、いくらでも補充できますよ!」


 少し意地悪な言い方をしたけど、若い男はぶんぶんと首を振って否定した。


 ……森で木の実をたくさん見たから食料を多めに買っても大丈夫だろうと思っていたけど、なるほど、季節か。


 この世界に来て数日、暖かくて過ごしやすい気温だと思っていたけど、季節が移ろうならこれからの旅は少し気を付けた方がいいかもしれない。

 どのくらいの気温差になるのかも気象状況も分からないけど、季節が変わるなら出てくるモンスターも変わるだろうし、衣服や食料も金額が変わるだろう。何より、冬になることで川では体を綺麗に出来なくなってしまう。


 魔王を倒すための修行にかかる時間は想像すら出来ない。季節は必ず跨ぐだろう。

 ……慎重に旅を続けるしかないんだろうな。


「じゃあ俺がここに泊まることに関してもう何も言うな。心配してくれてありがとう。……そうだ、ここまで案内してくれたついでで悪いんだけど、この村に大浴場はあるか? 案内してくれると助かる」

「あ、ええ。ご案内します」


 若い男は納得はしていない表情だったが、そう言って村の中心へと戻る道を案内してくれた。


 漸く……漸くお風呂に入れる……!


 若い男の説明では、今案内されている大浴場は他の村人も使う場所だけど、今の時間はほとんど人がいないそうだ。


 ……あれ? もしやプロートン村でも、昼間なら一人で入浴出来たのでは?

 よし、気付かなかったことにしよう。過ぎたことを後悔しても仕方ない。さーて、お風呂楽しみだなあ。




 しばらく歩いたところで、若い男は立ち止まった。


「こちらです」


 若い男の指差す先、村に並ぶ家々と比べて明らかに広そうな建物がそこにはあった。

 湯気のイラストが描かれた木の板が看板のように掲げられており、その場所が一目で風呂場だと分かるようになっている。


「風呂だーっ!」

「えっ」

「……はっ」


 しまった思わず叫んでしまった!


 信じられない、というような顔で私を見る若い男になんて言い訳しようかぐるぐると思考を巡らせる。


 おいこら悪魔、笑ってんじゃないこの野郎!


「……ふっ」

「え……」

「あは、あはははっ!」


 ……え? なんでこの人にも笑われているの……?


 勇者らしくない、と不振がられてしまうと思っていたのに、なぜか若い男は腹を抱えて笑っている。予想外の展開に頭がついていかない。

 狼狽している私に気がついて、若い男は漸く笑いを引っ込めた。その瞳には涙が浮いている。

 いやいや、笑いすぎでしょ。


「も、申し訳ありません……」

「構わないけど、そこまで笑う理由が知りたい」

「その……勇者様と言っても、あまり俺たちと変わらないんだなって思ったら、急に気が抜けてしまって……」


 そう言って涙を拭った若い男の手は、微かに震えていた。


 ……そういえば、この男の表情はずっと強張っていなかったか? 震えては、いなかったか?


 気付いた瞬間、ぞくりと背筋が冷えた。




 産まれたときから、この体は勇者だと認知されていた。

 村長の家に通されるのが当たり前の勇者様。

 魔王を倒してくれる、崇めるべき、勇者。

 今まで関わった村人たちのどの言葉、反応よりも、この世界における勇者という立場を目の当たりにした気がした――


 この村人は、若いと言ってもこの体よりは幾らか年上に見える。ならばこの体が産まれた当初から聞かされてきたはずだ。

 いつか魔王を倒してくれる赤ん坊が産まれたと。将来魔王を倒しに行ってもらうためにしっかり成長してもらおうと。いつか魔王を倒してくれる、その時期まで大事に大事に、と。


 プロートン村だけでなく、近隣の村全てで勇者を崇め育ててきたのだろう。

 それでは、彼らにとって勇者は同じ人間だとは思えないだろうな。勇者「様」だなんて大げさだと思っていたけど、ここの人たちにとっては「勇者様」で間違いないのだ。


 そんな勇者様がたかだか風呂で興奮する姿だなんて誰が想像しただろう。若い男だから良かったものの、他の人だったら卒倒していたかもしれない。

 これは、想像以上に勇者らしく行動しなくちゃいけないのでは?


 ……嫌だな。プレッシャーがかかる。


「……あはは、恥ずかしいな。他の村人には内緒だぞ?」

「ええ。話したとしても、信じてもらえないでしょうし」


 信じてもらえないんだ……。

 苦笑する若い男は、気を取り直して……と大浴場の中に足を踏み入れた。

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